貧血の令嬢 1-③
「立派なお考えですね。やはりそれは、スカッピ家のご先祖からの、食に拘る誇りから来るものなのでしょうか?」
「それは我が家の先祖、バルトロメオ・スカッピのことを仰っているのですか?」
「ええ、何しろバチカンの三代の法王に仕えた伝説の法王専属料理人ですからね。著書は僕も読んでいます。食へのあくなき拘りが感じられる名著でした」
「確かに、バルトロメオ・スカッピは、我がスカッピ家の誇りです。その偉大な精神を受け継いでいこうと子孫達も又、代々、苦労してきました」
「やはりそうなのですね。ところでスカッピ家には、バルトロメオ・スカッピの秘蔵の本が伝わっているという噂を聞いたのですが……」
「何故、そのことを?」
スカッピ社長は驚いた顔をしたが、
「そう言えば……最近、その本について、何度も問い合わせをしてきた人物がいましたね。ロベルト神父はもしや、その人物から噂を聞いたのですか?」
「はい。その人物は、僕が懇意にしている稀覯本屋です。
どうして彼と懇意にしているかと言いますと、僕の本業がバチカンで民俗学を研究したり、古書を解読することだからです。特に、古書には並々ならぬ拘りがあります。
それに加えて、僕は料理が大好きです。
当時の食生活や考え方を知ることが出来るバルトロメオ・スカッピの本が存在するなら、是非とも読みたいと思いました」
すると、スカッピ社長は腕組みをして唸った。
「ふむ、正直な御方だ。つまり、貴方が此処に来た理由は、それが狙いだったという訳ですか……。
しかし、いくら神父様と言えど、あれは我が家の家宝です。そう簡単に、人に見せる訳にはいきません」
「ご事情は理解します。ですが、どうか今一度、考え直して頂けませんか? もし、僕に出来ることがあれば、何でもしますから」
ロベルトは真剣な目で、スカッピ社長に訴えた。
「何でも……ですか……」
スカッピ社長は、暫く虚空を見ていたが、コホンと咳をしてロベルトを振り向いた。
「ロベルト神父、貴方は料理好きだそうですが、腕の方はいかほどですか?」
「腕……ですか? 友人知人は、料理上手だと言ってはくれますが……」
「ふむ。これも何かの巡り合わせかも知れませんな。では、神に
「お願いと仰いますと?」
「当家には、将来家業を継ぐことになるだろう、たった一人の孫娘がいます。名をチェレスティーナといい、現在十二歳です。この孫の食生活のことで困っているのです」
「どのようにお困りなのですか?」
「まず、好き嫌いが非常に多いのが問題です。しかも小食で、すぐに食べられなくなるのです。食べ過ぎたり、苦手なものを食べたりすると、直ぐに体調を崩し、嘔吐したりもします。
こんな体質では、とても食料品を扱うことは出来ないでしょう。いえ、それ以前に、孫娘の身体が心配でなりません。体格も小さく、貧血もしょっちゅう起こしますし」
何処かで聞いたような話だぞ、とロベルトは思った。
「失礼ですが、医者には診せましたか? 拒食症であるとか、消化器官に病変があるといった診断はありましたか?」
スカッピ社長は、途方にくれた顔で首を振った。
「勿論、何人もの名医に診せましたとも。
しかし、拒食症などの類ではないし、胃腸にも大きな問題はないとの診断結果が出ました。敢えていうなら、生まれつき食道の弁が緩く、逆流性食道炎になりやすいということでしたが、こちらも手術する程のことではないと……。
そうした症状を抑える薬もあるにはあるが、まだまだ子どもなので常用させるべきではない。それより普段の食事を工夫した方がいいと言われました。
いっそ、何かの病気があり、それを治療すれば良いのなら、どんなに気が楽だったでしょう。
私は腕のいいコックを雇い、孫娘の為に美味しい料理を作ってもらっています。ありとあらゆる試みはしています。なのに上手くいきません。
孫が小食過ぎるのも心配ですし、戻している姿を見るのも辛いものです。
ですが、もしロベルト神父が、孫娘に普通の子ども並みの食事を摂らせることが出来ると言うのであれば、秘蔵の本をお見せすることも
ロベルトの頭の中には、完全に平賀の顔が浮かんでいた。
そういう相手に、食事をさせるのであれば、自分は意外と得意かも知れない。
妙な自信が湧き上がってくる。
「分かりました。僕がお孫さんに料理を作ってみましょう。その前に、ご本人とお会いして、食事の様子を見せて頂けませんか? チェレスティーナさんの好みや、体調についても伺ってみたいのです」
「ええ、いいですとも。宜しければ今夜、当家にいらして下さい。日曜の夜は八時から、一族で食事会をすることに決まっています。当然、孫娘も参加しますので、ロベルト神父も同じテーブルについて下さい。
料理を担当するのは、バルトロ・チェーヴァシェフです」
スカッピ社長の口から飛び出したのは、フレンチの三ツ星レストランのカリスマシェフの名前であった。
(続く)
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