エレイン・シーモアの秘密の花園 5-③
エレインはレンタカーでキャンプ用品店に行き、初心者のキャンパーが着そうな衣服と簡易テント、リュックや双眼鏡、望遠カメラ、食料品を買った。
そして一路、アルジャーシェへと向かった。
広がる草原の所々では、牛や馬が草を食んでいた。
平和な光景の中を疾走し、アルジャーシェに辿り着くと、例の家の前を通り過ぎ、身を潜められそうな場所を探す。
幸い、小高い丘の上に、木立が繁る一角があった。
例の家からもほど近く、観察地点にはピッタリだ。
エレインは木陰に車を停め、地面に腰を下ろして、野鳥でも観察する振りをしながら、望遠カメラの焦点を家の二階に当てた。
幸い、二階のカーテンは開いており、女が部屋を掃除している。
暫くすると、女が部屋を出て、今度は夫婦が揃って部屋に入って来た。
テーブルに向かい合い、話し込んでいる。
やがて夜が更け、部屋に灯りが点った。
男が料理の載った皿を運んで来て、テーブルに並べ始める。
食事の時間となれば、子どもも姿を現す筈だ。
エレインが期待を込めてレンズを覗き込んでいると、女が車椅子に乗った子どもを押して部屋に入って来た。
だが、それを迎え入れた男が邪魔で、子どもの顔は見えない。
車椅子は、窓に背を向けて、テーブルの前で停まった。
食事が始まった。
談笑でもしている様子で、夫婦は子どもに話しかけて、子どもは時々、頷いたりしている。
暫くすると、カーテンが閉じられてしまった。
(車椅子の子か……)
エレインは顔を顰めた。
彼女の考えていた計画はシンプルで、子どもなら、天気のいい日には前庭で遊んだりもするだろう。そこを通りがかって、顔を見ようとしていた。
或いは、夫婦が帰った夜、道に迷ったキャンパーを装い、水を一杯くれとでも、少女に頼むつもりであった。相手は子どもだ。幾らでも誤魔化せるだろう。
だが、車椅子なら、どちらも難しいかも知れない。
(あの夫婦をこちらに抱き込めれば、一番いいのだけれど……)
しかし、それには夫婦の弱味を握る必要があり、そんな危険な任務は探偵に任せた方がいいに決まっている。
エレインが次の一手を考えているうち、部屋の灯りが消えた。
午後十時。夫婦が玄関から現れ、車に乗って去って行く。
エレインはカメラを置き、車に戻って夕食を食べた。
今日の収穫は、特に無かった。
しかし、なにしろ相手は一万ユーロの子どもである。
幾ら訳ありでひと目を避けているとしても、世話係ならば、その健康にも気を使って、車椅子で庭を散歩させることだって、あるだろう。
明日こそ、そんな幸運が巡って来ればいい。
エレインはそう考えながら、シートを倒し、帽子を目深に被って眠りに就いた。
深夜。けたたましい犬の鳴き声で、目が覚めた。
何匹もの遠吠えの声も重なってくる。
悲鳴のような人の声まで聞こえてきた。
(野犬? 人が襲われている?)
不穏な空気に、エレインは緊張した。
車のヘッドライトを点けると、前方から、数頭の犬を連れた人影が近付いてくる。
大男だ。
ボロを着て、ボサボサの髪を伸ばしている。顔には真っ白なマスクを着けている。
明らかにおかしい。危険だ。
エレインの背筋は凍り付き、震える手でエンジンをかけようとしたが、うまくかからない。
男は大股で車に近付いてきたかと思うと、手にしていた斧で突然、ボンネットを叩き始めた。
よく見ると、男の全身には、返り血のようなものが付いている。
鎖に繋がれた
次に男が振りかぶった斧は、フロントガラスに叩き付けられた。
ガラスにヒビが入った。
(駄目だ! やられる!)
エレインはドアを開け、脱兎の如く走り出した。
フロントガラスが砕ける音が、背後から響いてくる。
『アルジャーシェでは、行方不明になる人間が何人もいて、深夜には化け物が出るという噂があるというんです』
ジュベールの声が脳裏に蘇り、ぐるぐると回る。
何処か、安全な場所に逃げ込まないと……。
この辺りで安全な場所といえば、例の家しかない。
エレインは夢中で家の玄関まで走り、ドアを叩いた。
「助けて!! ここを開けて!!」
ドアを叩いたり、引いたりしたが、反応はない。
その間にも、背後から犬の吠え声が迫ってくる。
他の進入口を求めて、エレインは家の背後に回り込んだ。
裏口の木戸にも、鍵がかかっている。
その近くにある窓を目がけ、エレインは地面の石を拾って投げつけた。
窓ガラスが割れた。
そこから手を入れ、窓のロックを外す。
開けた窓から、身を躍らせて室内に飛び込んだ。
怒った犬の鳴き声が、すぐ近くで聞こえる。
見上げると、大男の顔がそこにあり、目が合った。
ガチガチと奥歯が鳴ったかと思うと、腰が抜け、エレインは床にへたり込んだ。
何か武器になるものはないかと、慌てて見回すと、そこはキッチンだ。
エレインは床を這いながら、戸棚の中から包丁を取り出した。
とても勝てる相手とは思えないが、やるしかない。
氷のように凍えた手で包丁を握りしめていると、何時の間にか、犬の声が遠ざかり始めた。
恐る恐る顔を上げ、外の様子を窺うと、大男の姿も消えている。
諦めてくれたのだろうか……。
そのままどれほどの時間、息を詰めていただろう。
ようやく危険が去ったと安堵したエレインは、ふらふらと立ち上がった。
包丁の柄の指紋を拭い、棚に戻す。
そして、割った窓ガラスの始末をどうしたものかと考えた。
例えば、たちの悪いバイカーの旅行者が悪戯した、というのは、どうだろう。ここの家のガラスだけが割れていては不自然だから、他の何軒かの家にも偽装をして……。
それとも、あの大男の仕業ということにして……証言者を仕立てるとか……。
そこまで考えて、ハッと我に返った。
今こそ、あの子どもの顔を見る、千載一遇のチャンスではないか。
エレインは忍び足でキッチンを抜け出した。
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