エレイン・シーモアの秘密の花園 4-④
8
翌朝、エレインは八時に起きて身支度をし、アルノー=ジュベール探偵事務所に向かった。
玄関扉をノックして開くと、突き当たりのデスクに座って資料を捲っていたジュベールが、顔を上げる。
「これは、ブラウンさん。突然のお越しですね」
「緊急の用があるんです。実は、先日お願いしたエドモン・マクシム・コールマン氏とその
「そいつは朗報ですね」
「ええ。その者に、盗聴器を仕掛けてもらう場合、設置が簡単でバレにくい盗聴器はありますか?」
すると、ジュベールは鍵付きのガラス戸棚を開き、クレジットカードのような物と、コンセントの形状のものを取り出して、エレインの前に置いた。
「こちらは最新のカード型盗聴器です。ご覧の通り小さく、厚みも僅か六ミリですから、家具と壁の隙間や家具同士の隙間、家具の背面、衣類やバッグのポケットなどに入れれば、かなり見つかり辛いでしょう。電池寿命は約四十時間で、その都度電池を入れ替える必要があります。
一方、こちらの三穴コンセントタイプのものは、コンセントから電力が供給出来ますので、電池交換の必要がありません。通常のコンセントとしても機能しますから、現在使用されているコンセントと入れ替えるだけです。
あとはそうですね、車に取り付けるGPSなどもお勧めです。尾行に役立ちます」
「分かりました。では、カード型のものを三つと、コンセントタイプを二つ。GPSを二つ下さい」
「盗聴器を仕掛けますと、半径一キロの場所から会話を傍受出来ます。いつからとご指定頂ければ、私かスタッフがターゲットのお邸の近くで張り込みますが、如何しましょう」
「是非お願いします。恐らく明後日には、仕掛けられると思います。
料金についてですが、ひとまず前金で、こちらをお支払いします」
エレインは五万ユーロの入った封筒をジュベールに差し出した。
ジュベールが中を確認し、
「確かに、承りました」
探偵事務所を出たエレインは、アルマーニの店舗でスーツを一着買って、ホテルに戻った。
ルームサービスでブランチを摂り、シャワーを浴びて、アダンとの対決準備にかかる。
買ったスーツは、女らしいエレガントさがありつつ、キャリアウーマンとして信頼出来るイメージを与えるものだ。
メイクは昨日より控え目のナチュラルメイクを施す。
眉をやや太目に描くのは、力強さを印象づける為である。
そして、靴はお気に入りのルブタンだ。
三時になると、フロントから電話が入った。アダンが迎えに来ていると言う。
エレインはフロントに向かった。
現れたエレインを見たアダンは、目を大きく見張った。
「いやあ……驚いた。昨日のエレインも素敵だったが、今日はすっかり見違えたぜ」
「そう? これが普段のビジネススーツよ」
「ほう。スーツ姿ってのも、いいもんだ」
「着慣れているからね。それで今日は何処に案内してくれるの?」
「ヴォージュ広場はどうかな? パリで最古の広場で、ゆっくり出来ると思うんだが。かつてはリシュリュー枢機卿や文豪ヴィクトル・ユゴーなんかが住んでいた所らしい」
「素敵ね。早速、エスコートして頂戴」
二人は車に乗り込み、お洒落に敏感なパリジャンやパリジェンヌが集まるマレ地区の一角に向かった。
かつて多くの貴族が暮らしていたエリアというだけあって、街並みや並木が美しい高級住宅街である。
ヴォージュ広場には噴水のある美しい広場を囲むように、白い切石と赤レンガ造りの三十六の邸宅が建っていた。邸宅の一階部分はアーケードの回廊になっており、カフェやアートギャラリーが並んでいる。
二人はカフェのテラス席でワインを飲みながら寛いだり、広場を駆け回る子ども達に目を細めたりした。
ヴィクトル・ユゴー記念館に立ち寄り、修復中のノートルダム大聖堂の前を通り、ピカソ美術館を回り終えると、もうすっかり夜である。
「今日も食事は、大衆的な所がいいかい?」
アダンの問いに、エレインは首を横に振った。
「今日は私のお勧めのレストランでどうかしら?」
「おう。それもいいな」
そう。今日はエレインが羽振りの良い人物であることをアダンに示さなければならない。
二人は車に乗り込み、高台の方へと移動した。パリの夜景を一望出来る高級レストランに到着する。
店に入り、予約済みの半個室に着席したエレインは、早速、ドン・ペリニヨンを注文し、メニューにある最高値のコースを頼んだ。
アダンは目を白黒させている。
「マルセルも同じ物でいいわよね」
「あ……ああ」
二人の料理が運ばれてきて、シャンパンがグラスに注がれる。
エレインはゆっくりとシャンパンを飲みながら、話を切り出した。
「私、昨日、貴方が言ったことを考えていたの」
「俺が言ったこと?」
「ほら、今の職場が合わないって言っていたでしょう」
「ああ、そのことか。別の仕事が見つかるまで、暫くは我慢するしか仕方ないよ」
「そんな貴方に、職を紹介したいの。勿論、給料は今までより高額よ。そして、色んな業種があるから、貴方がやりたい仕事を選べるわ」
「ほっ、本当か?」
アダンは喜び、椅子から腰を浮かせた。
「ええ。私のボスが一声かければ、それぐらいなんてことはないわ」
「そりゃあ、有り難い話だぜ」
「ただね、私が個人的に親しみを感じているからという理由だけで、貴方を推薦するのでは弱い気がするの」
「そ……そうか……。じゃあ、一体、どうすりゃいい?」
そこでエレインは静かに、テーブルに身を乗り出した。
「一つ、いい方法を考えたのよ」
「いい方法とは?」
アダンがごくりと生唾を呑む。
「ボスが気に入るような手土産を、貴方が持って行けばいいの」
「その……エレインのボスってのはジュリア様ぐらい大金持ちなんだろう? そんな人が喜ぶような手土産を用意するなんて、俺の力じゃ無理だぜ」
「それが、一つだけあるのよ」
「何だいそりゃあ?」
「うちのボスへの手土産は、情報よ」
「情報?」
「ええ。情報っていうものの大切さを何より知っている人だから」
「だが、どんな情報がいいんだ? 俺なんて、大した情報持ってないぜ」
「灯台下暗しね。貴方の周囲には、うちのボスが欲しくてたまらない情報が転がっているわ。それは貴方のボス、ジュリア様のことよ」
「ジュリア様の?」
「ええ。実を言うとね、ボスはジュリア様に不信感を抱いているの。ビジネスパートナーとして大丈夫かどうかと」
「ああ……成る程」
「それが今、一番のボスの懸念材料。だから、ジュリア様が信用に足る人物であろうとなかろうと、正確な情報さえ持って行けば、ボスは大喜びで、貴方に仕事を与えるわ」
アダンはううむ、と難しい顔で唸った。
「けど、どうやってそんな情報を……」
「端的に聞くけど、マルセル。貴方は屋敷の中を自由に動ける?」
「ああ、それが執事の仕事だからな」
「屋敷の中に、監視カメラは?」
「玄関や庭先にはあるが、中にはないよ」
「じゃあ……これ」
エレインは盗聴器とGPSが入った小袋を、テーブルの下からアダンに差し出した。
「何だい、これは」
「盗聴器よ。ジュリア様の周辺に仕掛けたらどうかしら。GPSの方は、ジュリア様がよく使う車に取り付ければ、彼の行動が追える」
アダンの目を真っ直ぐ覗き込んだエレインに、アダンは眉を寄せた。
「盗聴器だのGPSだのを仕掛けるなんて、一寸、勇気がいるな……」
「貴方の将来の為よ、マルセル。
これまで貴方も私も、一生懸命働いてきた。そして私のボスの下でなら、貴方のその頑張りは評価されるわ。この私のように、贅沢を楽しむことだって出来る」
そう言われて頷き、小袋を受け取ったアダンの手は、汗ばんでいた。
「あんたを信用していいのかな?」
「勿論よ。信用して頂戴」
「……なあ、もし上手くいかなかった時は、どうなるんだ?」
「それでも努力してくれたと、ボスに推薦するわ」
アダンは暫く無言だった。
そして少し口籠もりながら、こう切り出した。
「あんたの言うことを聞く気にさせてくれないか?」
「どういう意味かしら?」
「何て言うかその、あんたからのご褒美も、あっていいと思うんだ。俺は一度でいいから、あんたみたいないい女と……。その……。分かるだろう?」
アダンは、甘えるような上目遣いでエレインを見た。
つまりは肉体関係を持ちたいということだ。
想定内ではあったが、やはりうんざりする展開である。
(図々しい男ね……)
エレインは内心の嫌悪感を抑えつつ、アダンを見詰め、少し微笑んでみせた。
「つまりスキンシップで、お互いの友好関係を確かめ合いたいということね?」
「そ、そう、それだよ」
「分かったわ。でも一度だけよ。それ以上はこれからビジネスの関係になるんだから不味いわ」
「じゃあ、今晩でも……」
「今晩は急き過ぎよ」
「じゃ、じゃあ……」
アダンはポケットから手帳を取り出して、捲り始めた。スケジュールを確認している様子だ。
「明後日はどうだい? 夜の予定は空いてる」
「分かったわ。その代わり、盗聴器の方はなるべく早く仕掛けてね」
「おっ、おう!」
アダンはすっかり鼻の下を伸ばし、にやにや笑いながら答えたのだった。
(続く)
◆次の公開は2022年5月20日の予定です
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます