エレイン・シーモアの秘密の花園 3-③


     6


 華やかな蘭の花に囲まれながら、ジュリアが近付いてくる。


 波打つプラチナブロンドの髪に、滑らかな白い肌。光沢のあるシルクのドレスシャツがよく似合う長い手足。印象的なエメラルドグリーンの瞳。口元に浮かぶ不可解な笑み。


 ルッジェリも申し分のないハンサムであるが、ジュリアの美貌は次元違いである。


 神々しいほど美しく、むしろ禍々しい感じすらする。


 恐ろしくて、それでいて、惹かれずにはいられない。


 メイドが紅茶をカップに注ぎ始め、甘い薔薇の芳香が漂う。


 ジュリアはゆっくりとエレインの正面の席に座り、冷たい微笑をエレインに向けた。


「久しぶりですね」


「はい、お久しぶりです、ジュリア様。お元気でいらっしゃいましたか?」


「ええ。無粋な挨拶はこれぐらいにして、冷めないうちに紅茶を頂きましょう」


 ジュリアがカップを手に取った。


 その仕草の優雅さに、整った顔立ちや長い睫毛に、思わず目が釘付けになる。


「ジュリア様、こちらはローズティーですか?」


「そうですよ。ご婦人には良いと聞いていますので」


 ジュリアは一口飲むと、カップをソーサーに置いた。


 エレインはまず、目の前にあるカップを吟味した。


「こちらはセーヴルの物ですね。ブリュードロワ(王者の青)、アシッド(エッチング金彩)、ライズドゴールド(盛金)。どれも素晴らしいですわ。

 最高のアンクルスタシオン(金象嵌)、美術品です」


 エレインの言葉に、ジュリアは片眉を上げ、少し驚いた表情を示した。


「貴女はなかなかの目利きですね。これはセーヴル製で、フォンテンブロー宮殿の会議室をモチーフに絵付けしたものですよ」


(よし、これで少しは関心を引けたかも知れない)


 エレインはジュリアに微笑み返して、ローズティーを一口頂いた。


 ジュリアは組んだ足に肘をつき、長い指に顎を載せ、エレインを窺うようにじっと見た。


「それにしてもです。あの人使いの荒いルッジェリが、有休をたっぷり取らせるなんて、珍しいこともあるものですね」


 早速、探りを入れられたようだ。


 ここは臆せず、堂々と答えなければならない。


「はい。本当に、私自身も驚いていますわ。休みを取れだなんて、青天の霹靂でした。

 ただ、休暇を命じられた日、彼の女性達とのお付き合いに関して、少々小言を言い過ぎたかも知れません。それで、私を暫く遠ざけたいと思われたのでしょう。

 いずれにしても、滅多にない幸運だと考えましたので、口約束を取り消されないうちに、急いで飛行機に飛び乗りましたの」


 エレインは粛々と答え、紅茶をもう一口飲んだ。


「そうですか。確かに彼は、女癖が悪過ぎます。今にハニートラップに引っかかりますよ」


 ジュリアは薄く笑った。


「ジュリア様も、そうお思いですか……」


 エレインは柄にもなく悩んでいるふりをして、額に手を当てた。


「ご婦人を悩ませるなんて、困った男ですね。


 そんなルッジェリのお守り役を折角、外れた訳ですから、ゆっくりと羽を伸ばせばどうですか? パリ観光などは楽しみましたか?」


「はい。エッフェル塔の見えるホテルに泊まったり、ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿を観光したり、街を散策したり、パーティーに出掛けたりと、毎日楽しんでいます。

 それでもまだまだ全然回りきれないぐらい、フランスは素晴らしい魅力に溢れた国ですね。何処に行っても美しくて、文化の香りがします。

 まるでジュリア様のような国だと、お世辞ではなく、そう感じました」


「ほう……。そうまで言われますと、少しばかり、貴女に手を貸したくなりますね。

 うちの者に観光ガイドなどさせましょうか? パリの名所ばかりではなく、穴場なども知っておくべきですよ」


「本当ですか! 是非、お言葉に甘えさせて頂きます。日にちは何時でも構いません。明日でも明後日でも!」


 思わぬ提案に、エレインは前のめりになって答えた。


 ジュリアが背後に立つマクシムを振り返る。


「マクシム。明日と明後日、ご婦人のガイド役に適任な者はいますか?」


「でしたら、アダンは如何でしょう」


 マクシムが即答した。


「アダン?」


「はい。半年ほど、当家で執事見習いをしております、二十代の若者です」


「そんな未熟者で大丈夫ですか?」


 ジュリアは懐疑的に問い返した。


 だがその途端、エレインは閃いた。


 マクシムのような手練れを懐柔したり、こちらに有益な情報を聞き出したりするのは難しい。いや、殆ど不可能だろう。


 だが、まだ見習い中の若者なら、うっかり口を滑らせたり、一寸した隙を見せたりする可能性が高い。情報を聞き出す相手としては、最適だ。


「あの、私なら、その方で充分です。ジュリア様が邸に戻られて、皆様お忙しい中、それ以上を望むなど、罰が当たります。ジュリア様が私などに気持ちをかけて下さった、それだけで本当に、心から有り難いのですから」


 するとマクシムが話に入ってきた。


「シーモアさんはこのように仰っておりますが、如何致しますか、ジュリア様。

 私としましては、アダンが当家に相応しい使用人かどうか試すにも、良き機会かと考えますが」


「マクシムがそうまで言うなら、いいでしょう。彼にはくれぐれも、当家の名に恥じぬ接待を、と伝えておきなさい」


「はい」


 マクシムは深く頭を下げた。そしてエレインに向き直った。


「シーモアさん。アダンに失礼なところや、気の利かぬところがありましたら、遠慮なく私にお伝え下さい」


「分かりましたわ。お心遣いに感謝致します」


 エレインは丁寧に答えながら、心の中でガッツポーズをした。


「それではまず、時間の確認ですが、明日は何時にお迎えにあがりましょう?」


「ホテルのチェックアウトが十一時ですから、その時間に迎えに来て下さると助かります。

 それからパリに戻って、明日明後日と、穴場のスポットを紹介して頂きたいです」


「問題ございません。パリは当家の庭のようなものですからね」


「有り難うございます」


 二人のやりとりを黙って聞いていたジュリアは、紅茶を飲み終わったタイミングで席を立った。


「では、いずれまたお会いしましょう」


 エレインにそれだけを言い、ジュリアは悠然と去って行った。


 その後ろ姿を見送ったマクシムが、改めてエレインに向き直る。


「さて。それではシーモアさん。今日はホテルまでアダンに送らせます。お互いに面識がある方が、明日からのガイドもスムーズでしょうから。

 宜しければ、当家のデザートなどを楽しみながら、アダンをお待ち下さい」


 マクシムはエレインに一礼すると、内ポケットから携帯電話を取り出し、「アダンを温室に来させるように」と、部下に指示を出した。


 エレインは紅茶とデザートを味わいながら、アダンを待った。


 暫くすると、ブルブルと芝刈り機のようなエンジン音がして、白いランドカーが走ってくるのが見えた。


 ランドカーは温室の近くに停まり、でっぷり太った大男があたふたと降りてくる。


 大男が温室の扉を開けた。


「こちらに来なさい、アダン」


 マクシムが手招くと、アダンはエレイン達の近くまで走ってきた。


 そしてぜいぜいと息を切らし、額の脂汗を拭った。


 その赤ら顔は、緊張でガチガチに強張っている。


 美麗なジュリアの邸には余り相応しくない感じの男だが、力仕事などは得意そうだ。マクシムにしても、使い勝手の良さはあるのだろう。


 それより何より、いかにも新入りらしく、場慣れしていない様子が、こちらにとって好都合である。


 エレインがそんなことを思っていると、マクシムがアダンに言った。


「アダン。こちらのご婦人は、エレイン・シーモアさん。当家の客人だ。

 お前には、明日と明後日、シーモアさんのパリ観光のガイドを務めてもらう。分かったな。詳しいことは、後で私が教えよう」


「はいっ、畏まりました」


 アダンはまずマクシムに、続いてエレインに深く会釈した。


(この男なら、うまく丸め込めそうね)


 エレインはそう思いつつ椅子から立ち上がり、微笑んでアダンに握手を求めた。


「どうぞ宜しくお願いします」




(続く)



◆次の公開は2022年4月20日の予定です

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