エレイン・シーモアの秘密の花園 3-①


  5


 翌日、エレインを迎えに来たのは、ロールス・ロイスのリムジンであった。


 白手袋をはめた上品そうな運転手が一礼をして、後部座席のドアを開く。


「車内にはお飲み物などもございます。ご自由にお寛ぎ下さいませ」


「有り難う」


 エレインは微笑み、厚いクッションシートに座った。


 足元には毛足の長いフロアマット。上質なレザーとウッドパネルで装飾された車内は、まるで高級ホテルのようだ。


 車は静かに走り出し、緩やかなカーブの続く山道へと入って行った。走行はスムーズで、揺れもなく、エンジン音さえ聞こえないほど快適な乗り心地だ。


 エレインは備え付けのクーラーボックスからミネラルウォーターを取り、一口飲んだ。


 幾つかの丘を越え、点在する古城の側を通り過ぎると、やがて目の前に、蔦の絡まる高い城壁が見えてきた。まるで中世の要塞を思わせるようなたたずまいだ。


 車は城壁沿いに暫く走り、重々しい錬鉄の門扉の前で停まった。


 間違いない、ここがジュリアの居城だ。


 門番と運転手が短い言葉を交わした後、門扉が開かれる。


 木立の間を走り抜けると、幾つもの噴水と花壇が幾何学的に配置された、大庭園が現れた。其処此処に飾られた古代彫刻やオブジェがエレインを圧倒する。


 正面にそびえているのは、贅沢なファサードを持つ白亜の古城だ。


 一体、どんな暮らしがあの城の中で行われているのだろうと、エレインの胸は高鳴った。


 ところが突然、車は噴水の脇で停まった。


『シーモア様、こちらで少しお待ち下さい』


 スピーカー越しに運転手の声がする。


 何事かと思う間もなく、彫像の向こうから、マクシムが現れた。


 車のドアが開かれる。


「ようこそ、シーモアさん。こちらでお降り下さい」


「ここで、ですか?」


「はい。ジュリア様ご自慢の温室がございます。主はそこでの面談をお望みです」


 マクシムがうやうやしく一礼をした。


(成る程。そう簡単に、外部の人間を自宅に招き入れる気はないということね。少し残念だけど、ここは素直に従いましょう)


「分かりました。とても楽しみですわ」


 エレインは微笑み、車を降りた。


 マクシムが薔薇を絡ませたアーチの下を歩いていく。エレインもそれに続いた。


 アーチは巨大な温室へと続いている。


「どうぞ、お入り下さい」


 マクシムが温室の扉を開く。


 エレインは、色とりどりの花々で溢れかえった花園に足を踏み入れた。


 マクシムに続いて歩いて行くと、花園の中心には豪奢ごうしゃなテーブルと椅子が置かれており、側にメイドが控えていた。


 テーブルの上には、ティーセットと、一口サイズのアミューズやデザートの盛り合わせが用意され、花が飾られている。


「お席におかけ下さい」


 言われるがままに、エレインは着席した。


「こちらの温室には、ジュリア様が世界中から取り寄せた蘭が植えられております。数百種類のコレクションとなっておりますでしょうか。大変高貴で薫り高い花々です」


「そんな貴重なコレクションを拝見できるなんて、とても光栄ですわ」


 マクシムの言葉に頷き、辺りを見回しながら、エレインはフェリシアのことを思い出していた。



   ※  ※  ※



 あれは二度目にフェリシアの家に招かれた、日曜日のことだった。


「その洋服、よく似合っているわよ、エレイン」


 フェリシアは、自分の着古しを身に着けたエレインに向かって微笑んだ。


「有り難う、フェリシア。貴女が親切にしてくれたお陰だわ」


 エレインが心からの礼を言う。


 するとフェリシアは人差し指をそっと唇に当てながら、こう言った。


「エレイン。貴女だけに特別、私のコレクションを見せてあげるわ」


「コレクション?」


「ええ。私ね、お人形をコレクションしているの。こっちに来て」


 フェリシアはエレインの手を引き、広い屋敷を連れ回した後、一つの部屋の扉の前に立った。


 その扉を開くと、大きな飾り棚の中に、沢山の人形が飾られていた。


 可愛い赤やピンク色、青や緑色など、目の覚めるような鮮やかなドレスを着、大きな帽子やリボンをつけた、陶器の肌のフランス人形達だ。


 フェリシアはその中から、豪華な白いレースを纏った人形を手に取り、エレインの前に差し出した。


「見て、エレイン。この子が私の一番のお気に入りなの。どうかしら? お顔がエレインに似ているでしょう? 目の色や髪の色までそっくりよ。だからね、エレインも私の一番のお気に入りなの」


「えっ……」


 目の前の綺麗で華やかな人形と、惨めで貧乏な自分が似ているとはとても思えず、エレインは戸惑い、視線を泳がせた。


 その時、視界に一体の人形が飛び込んできた。


(あっ、あの子は誰かに似ているような……)


 少し考えて、エレインは思い出した。同じクラスのイライザに、雰囲気や髪の色が似ているのだ。


「そ、それよりフェリシア。あの子はイライザに似ていると思わない?」


 するとフェリシアは不思議そうに、大きな目を瞬いた。


「イライザって誰?」


「クラスメイトのイライザよ。フェリシアの席の近くの子。お友達でしょう?」


 だが、フェリシアは小首を傾げた。


「さあ、そんな子のこと知らないわ。私のお人形に似ているなら、私に分からない筈がないもの。だからきっと、その子は私のお人形に似ていないわ」


「……」


 フェリシアがイライザを知らないなんて、信じられないことだった。


 何故なら、イライザはフェリシアの熱心な取り巻きで、休み時間はいつもフェリシアの側にいるからだ。フェリシアの髪型や洋服、言葉遣いもよく真似している。


 なのに、知らないなんてことが、あるのだろうか?


 何も気付いてないなんてことが……?


 黙り込んだエレインの手を、フェリシアは優しく握った。


「そんなこと、どうでもいいじゃない。それより、こっちに座って」


 フェリシアは窓際のドレッサーの前にエレインを座らせ、引き出しからブラシを取り出して、エレインの髪をいた。それからヘアアイロンを使うと、エレインの髪はふんわりとした巻き髪になった。


「出来たわ。ほら、似合うでしょう?」


「有り難う、フェリシア。髪をセットするのがとても上手なのね」


「ふふっ。それじゃあ出発よ。いい所に案内してあげる」


 そう言うと、フェリシアはエレインの手を取り、再び広い屋敷の中を連れ回した。そして今度は、裏庭に続く扉を開いたのだった。


 途端に、まばゆい真昼の日射しがエレインを包み込んだ。


 前を行くフェリシアの周りには、名前も知らない花々が咲き乱れ、そよ風に揺れていた。


 何処か夢見心地な気分で庭を進んで行くと、その先に大きな温室が建っている。


「この中でHide-and-Seek(隠れんぼ)しましょう」


 フェリシアはエレインの返事も聞かず、温室に駆け込んだ。


 南国の様々な木や花が茂る広い温室の中は、小道が迷路のようにくねり、熱くて蒸し蒸ししていた。


「最初は私が鬼よ。エレインは、十数える間に隠れてね」


 フェリシアはそう言うと、目を閉じ、一つ二つと数を数え始めた。


 エレインは慌てて走り出しながら、隠れる場所を探した。


 最初に目に付いたのは、大きな葉の陰だ。


 けれど、道の先にある、椰子の木の大きな植木鉢。その後ろになら、上手に身を隠せそうに思われた。


 フェリシアのカウントの声は、五を数えている。


(急がなきゃ!)


 椰子の木に向かって、全速力で駆け出した時だ。足元に置かれていた空の植木鉢に足を取られ、エレインは側にあった花壇の中へ、勢いよく倒れ込んでしまった。


「キャッ!」


 花壇を囲むブロックで切ったらしく、足から血が流れていて痛かった。手にも擦り傷が幾つかある。


 痛む身体を起こし、土塗れの手足を払っていると、何時の間にかカウントの声が止み、背後から足音が聞こえてきた。


 見つかっちゃった?


 それとも私の悲鳴を聞いて、助けに来てくれたの?


 そう思いながら振り返った視界の先には、怒った顔でエレインを睨み付けているフェリシアの姿があった。


「その花壇のお花、私が植えたのよ。こんなに滅茶苦茶にするなんて、エレインは悪い子ね!」


 厳しい声が降り注いだ。


「ご免なさ……」


 エレインの詫びも聞かないうちに、フェリシアは黙って踵を返し、温室から出て行ってしまった。


 ガチャリ。


 外鍵をかけたらしき、大きな金属音が響く。


「えっ……」


 エレインは半ばパニックになりながら、痛む足を引きずり、出口に向かった。


 出口の扉には、やはり鍵がかかっていた。


 分厚いガラス戸は、押しても引いても、ビクともしない。


「フェリシア、フェリシア、ご免なさい。許して!」


 エレインは何度も泣き叫んだが、フェリシアが戻ってくる様子はない。


 為す術もなく、エレインはその場に崩れ落ちた。


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