エレイン・シーモアの秘密の花園 2-③


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 土曜日の昼過ぎ、エレインはシャトー・ル・プリウールに到着した。


 城の外観には華美な装飾がなく、凜とした佇まいが際立っているように感じられた。


 ロビーの内装も控え目だが、そこに本物のアンティークの調度品がしっくりと馴染んで、荘厳な雰囲気を醸し出している。古びた柱の一本一本にも、確かな歴史の重みが息づいているかのようだ。


(これが本物のお洒落というものかも知れないわね……)


 エレインはそんなことを思った。


 案内された部屋は決して広くなく、窓も腰窓しかなかったが、ベッドを含む全ての家具がアンティークで、手入れがよく行き届いていた。


 笑ってしまうほど小さなテレビが控え目に、壁際に設置されていたが、とてもテレビを見る気にはなれなかった。


 エレインはアンティークの椅子を持って窓際に座ると、窓を開き、窓枠に頬杖をついて外を眺めた。


 ざわざわと風が木の葉を揺らす音がし、小鳥の囀りが聞こえてくる。


 エレインは暫く時を過ごした後、買い物で満杯になったスーツケースの奥から、ずっと読み損なっていた小説を取り出し、窓辺で静かに読み始めた。


 日がかげり始めたのに気付くと、夕食の時間まで前庭を散策する。


 すっかり何もない半日を過ごしてしまったが、エレインは非常に贅沢な気分であった。


 夕食のメニューは、近くの畑で採れたシンプルなサラダと野菜のスープ。豚肉のリエットに、焼きたてパン。


 メインは魚料理で、川カマスの腹にシャンピニオンを詰め、赤ワインソースで煮込んだ名物料理だと、シェフが説明してくれた。


 最後に運ばれてきたのは、タルト・タタン。林檎菓子の最高峰と言われるこのデザートは、ロワール発祥のものらしい。


 エレインは、愛情と手間隙のたっぷり詰まった素朴なコース料理をロワール産のシノンのワインと共に堪能し、シェフとの短いお喋りを楽しんだ。


 食事を終えると、少し化粧直しをして、直ぐに最上階のラウンジへ向かう。


 マクシムの到着時刻まで、まだ間があったが、ここで下手に休憩を挟んでしまうと、今の喜びと解放感に満たされた気分が、何処かへ消え去ってしまいそうだ。


 そうなればきっと、マクシムにかける言葉も冷たく芝居がかったものとなり、あの海千山千の執事を怪しませてしまうことだろう。


 エレインはどこか人恋しいような、高揚した気分のままラウンジに入り、入り口近くのカウンター席に座ると、バーテンダーを呼んだ。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」


「そうね、貴方のお勧めのカクテルをお願いするわ」


「味のお好みなどは、ございますか?」


「余り甘くないもので、色の綺麗なカクテルがいいわ」


「承知致しました」


 シェーカーを振るリズミカルな音が暫く響き、グラスに注がれたのは、鮮やかな薔薇色のカクテルであった。


 バーテンダーはその上から、生石榴ざくろの搾り汁を注いだ。


「どうぞ。ジャック・ローズです」


「……美味しい。林檎の風味がとてもいいわね」


「有り難うございます」


「前にアメリカでも一度、このカクテルを飲んだことがあるのだけど、それより断然、美味しいわ」


「フランス産カルヴァドスと生石榴を使ったアレンジレシピでお作りしましたので」


「流石は美食と芸術の国ね。私のいるアメリカとは大違いだわ」


 エレインは大きく溜息を吐いた。


 バーテンダーは少し笑った後、それをフォローするかのように口を開いた。


「ですが昨今はフランスでも、バーガーブームとやらが起きているそうですよ」


「本当? でも、フランスのバーガーの方が、どうせずっと美味しいのでしょう?」


「まあ……その点に関しては、私からはノーコメントです」


「ほら。やっぱりそうなのね」


 エレインはクスッと笑い、次のカクテルを注文した。


 そうしてバーテンダーと他愛ないやりとりをしていると、背後から声がかかった。


「失礼ですが、エレイン・シーモアさんでしょうか?」


 振り返ると、マクシムが立っている。


 入り口からよく目につく場所に座っていたので、見付け易かったのだろう。


 エレインは驚いた声をあげて、椅子から立ち上がった。


「えっ……コールマンさんですか? どうしてここに?」


「それはこちらの台詞ですよ。私の職場はこの近くです。貴女こそ、どうして?」


 マクシムは少しばかり疑いを含んだ口調で訊ね返した。


「私は久々の休暇を頂きましたので、美味しいものを食べてリフレッシュしたいと、一人旅に来たんです。やはり世界一の美食の都といえば、パリですから」


「成る程。それで?」


「はい。パリを選んだのは、大正解でした。騒々しくて巨大なだけのアメリカと違って、文化と歴史の香りをたっぷり満喫出来ました。

 それで、暫くはパリのシャングリ・ラ・ホテルに滞在していたのですが、一度はシャトーホテルを体験してみてはどうかと、友人にアドバイスして頂いたんです。

 私、このシャトー・ル・プリウールがとても好きです。これこそ本物の贅沢だという、珠玉の時間を過ごさせて貰いました」


 真っ直ぐで熱の籠もったエレインの言葉に、マクシムもやっと納得したように頷いた。


「そうだったのですね。ところでシーモアさん、隣に座らせて頂いても?」


「ええ、勿論です。どうぞお座り下さい」


「では、今宵に乾杯と参りましょうか。マイエ君、いつものワインを」


 バーテンダーがマクシムのグラスにワインを注いでいく。


 二人はグラスを持ち上げ、乾杯をした。


 それからは、エレインが旅行者にありがちな失敗談や、パーティーで聞いたジョークなどを語り、マクシムがフランスの歴史や文化にまつわるエピソードやジョークを披露した。


 そうしてすっかり機嫌を良くしたマクシムは、いつもより多目の酒を飲み、最後の最後にこう言った。


「シーモアさん。もし宜しければ、明日、当家にご招待させて頂けませんか?」


「私をおやしきにですか?」


「ええ。明日は丁度、ジュリア様が当家にお戻りになられるのです。ハイチの一件でのシーモアさんの機転には、我が主人もいたく感心しておられましたよ。

 ですから貴女が元気なお顔をお見せになれば、きっと喜ばれるでしょう」


「ええ、そうだといいんですが……」


 自信なさげにそう応じながら、エレインの心臓は興奮と歓喜に跳ねていた。


 プライベートの席で、あのセレブ、ジュリア・ミカエル・ボルジェに会えるとは。

 この千載一遇のチャンスは、絶対にものにしたい。


 もしかすると、この誘い自体がマクシムの老獪ろうかいな罠かも知れないが、そもそもジュリアとマクシムは、既にエレインの情報を詳細に把握している筈だから、今更何を知られた所で、大した問題はないだろう。


 ビジネスに関する質問はうまく受け流し、あとはルッジェリの命で動いているという一点を隠し通せばいいだけだ。


 それに引き換え、こちらは相手の情報を全くといっていいほど、掴んでいない。


 何気ない雑談からでも、なにがしかのヒントやキーワードを得られるチャンスが大いにある。


「それではシーモアさん。ひとまず私のプライベートな招待客として、アフタヌーン・ティーにいらして下さいませ。

 明日の午後二時、ホテルの一階ロビーへ迎えの者を向かわせます」


 微笑んで言ったマクシムに、エレインも満面の笑みを返した。


「ご招待頂き、本当に光栄です、コールマンさん。明日を楽しみにしています」



(続く)



◆次の公開は2022年3月20日の予定です

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