エレイン・シーモアの秘密の花園 2-②


     3


 建物の外に出ると、辺りは昼時の喧噪に溢れていた。道端にはアジア系の屋台が幾つも出ている。


 エレインはそれらを横目で見ながら大通りまで歩き、再びタクシーに乗った。


 ひとまず打つべき最初の一手は打った。


 次に向かうべきは、ホテルである。中のレストランでランチを摂り、チェックインを済ませなくては……。


「シャングリ・ラ・ホテルへお願いします」


 今回、エレインが予約したのは、皇帝ナポレオン・ボナパルトを大伯父にもつローラン・ボナパルト王子の邸宅を大改装したホテルであった。ランクは五つ星より上の最高級パラスで、歴史的記念建造物にも登録されている。


 普段の仕事でルッジェリと同行する際には、セキュリティー面やスイートルームの広さ、防音対策の観点からホテルを選ばねばならないが、今回は何の制約もない一人旅である。


 本物の王侯貴族の居城の佇まいをそのままに残したクラシカルなファサードの前でタクシーを降り、黒金の門扉を潜ると、優雅な仕草でドアマンが出迎える。


「いらっしゃいませ、お客様。お荷物をお運び致しましょうか?」


「いいえ、結構よ」


 エレインはショルダーバッグの他に、小型のスーツケースしか持っていなかったし、そのスーツケースも非常に軽量だった。


 どうして軽量かといえば、彼女は趣味の旅行に持ち運ぶような拘りの私物など持っていなかった為、スーツケースが殆ど空っぽだったからである。


 大理石の床に、レトロで瀟洒しょうしゃなシャンデリア、細工の施されたアーチ状の垂れ壁が続く廊下を通り、エレインは予約したレストランへと向かった。


 そこは二階席までが吹き抜けになったボールルームのような空間で、天井のガラスのクーポラから眩い放射状の日射しが降り注いでいた。


 それでいて、エキゾチックなアジア調の細工家具や真っ赤なビロードの椅子、回転台のついた円卓などが並ぶ様が、やはり中華資本のホテルという主張を感じさせる。


 エレインはランチメニューから中華点心のセットと、タイ風スパイシーソースのステーキをチョイスし、エスニックなスパイスの風味を楽しんだ。


 そうする間に、チェックインの時間になる。


 ベルボーイに案内された部屋は、ベージュとホワイトとゴールドを基調とした上品なインテリアに、細部に貴族的な意匠が凝らされ、アクセント的に取り入れられたアジアンテイストの調度品やシルクの壁紙とのハーモニーが、何とも洗練されたセンスを感じさせた。


 そして何より印象的なのは、リビング正面の大きなフレンチ窓から見晴らせる、鮮やかなホテルの庭園と、歴史を感じさせる石造りのパリの町並み。その間から、高くそびえるエッフェル塔であった。


 何と芸術的で美しいのだろう、とエレインは息を呑んだ。


 予約の際には、エッフェル塔が見える部屋をリクエストするなど、年甲斐もなく恥ずかしいのではと躊躇したが、この部屋に決めて良かった。


 エレインはローラン・ボナパルト王子やフランス貴族達、セレブの栄耀に思いを馳せながら、長い間テラスに佇んでいた。



 翌朝、彼女はホテルのフィットネスと豪華なプールで汗を流し、部屋に戻ると、窓辺のソファで観光ガイドをじっくり読み込んだ。


 最初の二、三日は、パリ観光を楽しむつもりであった。


 普通の休暇らしい行動をしておけば、何かの拍子にボロが出ることもない。


 それにしても、パリは流石に観光名所の宝庫である。有名どころだけで、凱旋門とシャンゼリゼ通り、ノートルダム大聖堂やサント・シャペル、オペラ座にオペラ・バスティーユ、ルーヴル美術館等々の見所がある。


 セーヌ川のディナークルーズや、モンサンミッシェルでの遊覧飛行とスカイダイビング体験も魅力的だ。


 だが、彼女にとって絶対に外せない観光スポットは、片道一時間の距離にあるヴェルサイユ宮殿であった。


 エレインは今日の予定をあれこれ考えた末、まずはシャンゼリゼ通りの有名美容院に予約を打診した。数軒のサロンに電話をかけ、午後からの予約を取る。


 ついでにホテルの内線電話から、ラグジュアリーなスパの予約も取りつけた。


 そうして手際よく身支度を調えると、ショッピングとグルメを楽しむべく、パリの街へと繰り出したのであった。


 その翌日はルーヴル美術館へ、翌日はヴェルサイユ宮殿へと足を運ぶうち、あっという間に時間が経っていく。


 そろそろ仕事関係の知人達にも連絡を取るべき頃だ、と彼女は思った。


 彼らに招かれるホームパーティーやレセプションパーティーは情報の宝庫だし、そこで囁かれるジョークやセレブのゴシップ話などは、聞いているだけでワクワクする。


 そうして朝はフィットネス、昼間は散策とショッピング、夜はパーティーという日々を三日続けた夜のこと。


 アルノー=ジュベール探偵事務所から連絡があった。


 明日午前十時に事務所へ来て欲しいとのことだ。


 ジュベールの得意げな口調からすると、どうやら調査に進展があったようだった。



  ※  ※  ※



「ブラウンさん、ようこそ。ご足労をおかけしました」


 ジュベールはにこやかに言って、エレインをソファへ誘った。


 アルノーが三人分のエスプレッソをテーブルに置き、ジュベールの隣に腰を下ろす。


「いいえ、とんでもありません。それより調査結果の方は?」


「では早速、結果をお知らせします」


 ジュベールは勿体ぶった咳払いをして、話を続けた。


「我々は丸一週間、コールマン氏の住み込み先である古城を見張り、彼の行動を監視し続けました。勿論、相手方からは決して気付かれないよう、最高性能の望遠レンズを使用し、見張りの位置や人員を変えながらです。


 その結果、城には常時二十名余りの使用人がいると判明しました。コールマン氏が彼らに指示を出す姿がしばしば認められたことから、彼は執事頭のような役割をしているようです。


 一週間のうちに城を訪れた客は、三組。彼らの服装や車種などから、いずれも一流のビジネスマンか、もしくは政府の官僚かと推測されます。


 一方のコールマン氏といえば、買い出しなども部下にやらせているようで、自ら城外に出ることはありませんでした。


 ですが、そんな彼にも、変わったルーティーンが一つ、ありました」


 ジュベールは人差し指を立てた。


「どのようなルーティーンでしょうか?」


「コールマン氏は毎週土曜日の夜から日曜日にかけて、休みを取っています。

 その折、シャトー・ル・プリウールという、同じロワール渓谷の古城を改装したホテルに滞在するのが常なようで、しかも必ず同じ部屋に泊まれるよう、一定期間の前払いをすることで、その部屋を押さえているのです。

 そして毎週土曜日の午後九時頃には、決まってホテルの最上階にあるラウンジに現れ、寛ぐのだとか。

 口の固いベルボーイと、ラウンジのバーテンダーに賄賂を握らせて話を聞き込みましたから、間違いありません」


「成る程……」


 これは使えそうだと、エレインは頷いた。


「それにしても、コールマン氏は妙な方ですね。職場も古城ですのに、休日までシャトーホテルにお泊まりとは、余程、城がお好きなのでしょうかね」


「さあ……どうでしょう」


 エレインは小首を傾げてみせながら、マクシム・コールマンはフランスの歴史や文化に強い誇りを持っているのではないだろうか、などと推測していた。


 ジュベールはエレインの反応の薄さに、少し焦った様子で身を乗り出した。


「如何でしたか、ブラウンさん? この情報は、お役に立ちましたか?」


「ええ。有意義な情報でした」


「それは何よりです。今後も調査を続行されますか?」


「今回はボルジェ氏のお姿も見かけませんでしたし、続行なされては如何です?」


 ジュベールとアルノーは、まだまだ乗り気の様子だ。


「ええ、是非、今後も末永いお付き合いをお願いします。次の調査目標が決まり次第、こちらから電話を差し上げますので」


「分かりました。いつでもご連絡下さい。心待ちにしています」


 エレインは請求額を遙かに超える謝礼を払い、報告書を受け取って探偵事務所を出た。


 次なる目標は、マクシム・コールマンと自然な出会いを演出することだ。それが出来れば、ジュリアの秘密に迫る突破口が生まれるに違いない。


 土曜日の夜までは、あと三日半。


 エレインは街角のネットカフェに入り、早速、シャトーホテルなるものについて検索した。


 十五世紀から十八世紀にかけて、フランス貴族達は競うようにロワール渓谷沿いに美しい城を建てたという。そして十九世紀になると、開通した鉄道を使ってパリの富裕層が訪れるようになり、その地で華やかな社交が繰り広げられた。


 今も個人所有の古城は数多く残っているが、城の維持には多額の税金や維持費がかかる為、ホテルとして営業している所も多いようだ。


 そんなシャトーホテルの最大の魅力は、交通の便が悪い分、都市部のホテルより宿泊料が割安で、それでいて本物の贅沢な気分が味わえる点だと書かれてあった。


 続いてシャトー・ル・プリウールを検索すると、ごく簡単な紹介記事が見つかった。



『かつて王族が狩猟の際に使用していた別邸を改装し、快適に過ごせるホテル設備を整えたシャトーホテル。美しい田園と広大な森に囲まれ、ひっそりと佇むフランス・ルネッサンス様式の宮殿で、当時の優雅な雰囲気を味わえます』



 なかなかそそる煽り文句である。


 手持ちのガイドブックや、メジャーな旅行サイトには掲載されていない所をみると、結構な穴場らしい。ネットの口コミ投稿数も少なかったが、評価は高かった。


 エレインは早速、スマホを手に取った。


『はい、こちらシャトー・ル・プリウールです』


「こんにちは。そちらのホテルのことをネットで見ておりまして、一名で宿泊したいのですが、今週末の部屋の空き具合は如何でしょう?」


「そうですね……。今週の土曜日と日曜日でしたら、丁度、一室空いております。ノーマルタイプのシングルルームになってしまいますが」


「それで結構です。予約をお願いします」


 エレインは本名で予約を入れると、シャトーホテルにふさわしそうな洋服を求めて、シャンゼリゼ通りへ繰り出した。

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