エレイン・シーモアの秘密の花園 2-①


     2


 それから四日後。


「ボスの気紛れで、急遽、休暇を取るよう命令された」と語ったエレインに、秘書仲間達は同情的かつ好意的に引き継ぎをこなしてくれ、エレインは無事、機上の人となった。


 ワシントンからエールフランス機でパリへと向かう。


 探るべきターゲットであるジュリアなる男は、世界各国に拠点を有しているが、その本拠地といえば、やはりフランスだ。


 とりわけパリの南西部、ロワール渓谷地方に建つ古城は、お気に入りの様子である。


 ルッジェリの指示で、幾度も手紙や荷物を送ったことがあるから、エレインもその住所は記憶している。


 だからといって、直接、城を訪ねて行くなど愚の骨頂だ。スパイに来たと宣伝しているようなものである。


 ひとまず休暇を装い、パリに滞在しながら、アプローチの方法を探るのが望ましいと、エレインは考えていた。


 休暇というからには、それらしく振る舞うべきだと、仕事道具もほとんど家に置いてきた。


 彼女が手持ち無沙汰な気分で、ぼんやり機窓きそうを眺めていると、程なくシャンパンとおつまみ、続いて機内食が運ばれてくる。


 フォアグラのテリーヌに、根セロリのピュレと鴨肉のパイ包み。


 イチジクのコンポート。


 メインは鱈のステーキ、シェリーソース。


 普段は書類と睨めっこしながら、搔き込むように摂る食事をゆっくりと味わう。


 三杯目のワインと、デセールのパルフェ、フォンダン・ショコラを食べる頃には、彼女はパリでの活動を必ずや有意義なものにしてみせると、決意を新たにしていた。



 午前九時五十分、シャルル・ド・ゴール空港に到着したエレインは、ビジネススーツ姿にサングラスをかけ、コートを羽織った。


 そしてATMでユーロを出金し、観光ガイドを一冊買った。


 タクシーに乗り、向かったのはパリの下町といわれる十三区である。


 アットホームなビストロや雑貨店、小さなブティックホテル、洋服店やドラッグストアなどが並んだ生活感漂う一角に、目当ての看板を見付けると、エレインはその建物の三階へ上がった。


 レトロな磨りガラスに『アルノー=ジュベール探偵事務所 since1962』と刻まれた玄関扉をノックする。


「どうぞ、お入り下さい」


 中から落ち着いた中年女性の声が応じた。


「失礼します」


 エレインは室内に入るなり、素早く辺りを観察した。


 よく使い込まれた机と、本棚にみっしり並ぶ資料本。突き当たりのデスクに座っている探偵は四十代後半と思われた。


 肩までのくせっ毛に、グレーグリーンの瞳。鼻は頑固そうな鷲鼻で、薄い唇が冷淡そうな印象を加えている。いかにも曲者で切れ者の探偵といった面持ちだ。


 デスクの上には、現在処理中と思われる案件の分厚いファイルが三冊ばかり積まれており、傍らにある鍵付きのガラス戸棚には、レシーバーや盗聴器、望遠カメラといった探偵道具の数々が並んでいる。


 エレインは、丁度自分が求めていた、地域密着型で中堅どころの探偵事務所を引き当てたと直感した。


「どうぞ、こちらのソファへ」


 秘書らしき女性に案内され、ソファに座る。すると向かい側に、探偵が腰を下ろした。


「初めまして。電話で予約した、アンナ・ブラウンです」


 エレインは流暢なフランス語で、偽名を名乗った。


 フランス語は、EUや国連、ユネスコ、国際オリンピック委員会を始め、多くの国際機関の公用語として採用されている国際語だ。当然、彼女もフランス語を習得していた。


 他にもスペイン語、ロシア語は一通り話せる。


「初めまして、ブラウンさん。アルマン・ジュベールです」


 ジュベールはエレインの美貌に見とれながら、上擦った声を出した。


 そしてそれを誤魔化すように咳払いをし、言葉を継いだ。


「ごほん。当探偵事務所は父の代から、信頼と誠実をモットーにしております。


 さて早速、ご依頼内容の確認ですが、素行調査ということでしたね?」


「ええ。対象者の行動や外出先、スケジュール、現在の交友関係などを調査して頂くことと、可能な限り、経歴や過去について調べて頂きたいのです。ただし、くれぐれも秘密厳守でお願いします」


「秘密厳守は探偵の基本ですから、ご安心下さい。では、その対象者について、出来るだけ詳しく教えて下さい」


 エレインは頷き、バッグから四枚の写真を取り出し、テーブルに置いた。


「ほう……これは随分、目立つ御方だ」


 写真を手に取ったジュベールは、プラチナブロンドの髪をなびかせた、天使と見紛うばかりのジュリアの容姿に目を丸くした。


「ええ。ですが今回、調査をお願いしたいのは、こちらの人物なのです」


 エレインはジュリアの背後に写り込んでいる、白髪の老人を指差した。


「成る程……。では、このご老人について教えて下さい」


「はい。名前はエドモン・マクシム・コールマン。この金髪男性の執事をしています。住み込み先の住所も分かっています。ですが、それ以外のことは何も」


「ふむふむ。差し支えなければ、コールマン氏と貴女のご関係など、ご依頼に至った事情をお聞かせ願えますか?」


 ジュベールの問いに、エレインは静かに首を横に振った。


「それは聞かないで下さい」


「そうですか……。こちらとしては、少しでも調査の手掛かりがあれば助かるのですが。では、彼の雇用主である金髪男性について、何か情報は?」


「彼はボルジェ氏といいます。他に情報はありません。大変用心深い御方ですので、無理に探る必要もありません。

 私がお話し出来るのは、これだけです。これだけの情報では、依頼をお引き受け頂けませんか? 謝礼は弾みます」


 エレインがそう言った時、女性秘書がジュベールの隣に腰を下ろした。


「ではここで、金額面についてご説明致します。素行調査の場合、その難度や状況にもよりますが、探偵による尾行、聞き込みなどで、一日千五百ユーロ程度からとお考え下さい。

 調査の期間や、ご希望の日程などはございますか?」


「期間はひとまず今日から一週間でお願いします。一週間後の結果次第で、更に延長をお願いするか、調査を打ち切るかを考えます」


「畏まりました。では、本件の仮契約書にサインと連絡先をお願いします。ご契約にあたりまして、本日、手付金を頂戴する決まりなのですが、構いませんか?」


「無論です」


 エレインはバッグから封筒を取り出し、テーブルに置いた。


 女性秘書は封筒の厚みをいぶかりながら、中を確認し、目を瞬いた。


「これは……?」


「五万ユーロです。こちらは契約と引き換えに、領収書を頂きたい前金です。そして」


 エレインは更に厚みのある封筒をバッグから取り出し、テーブルに置いた。


「こちらは領収書不要の現金です。調査活動中には、賄賂や口止め料も必要となるでしょうから。他にも経費が必要な場合は、ご連絡頂ければ速やかにお支払いします」


 エレインの台詞に、暫く絶句していたジュベール達だったが、ハッと我に返ったように、女性秘書が立ち上がり、エレインに握手を求めた。


「申し遅れました、ブラウンさん。私、当探偵事務所の共同経営者で探偵のコレット・アルノーと申します。当事務所の全力で本件にあたります。宜しくお願いします」


 アルノーは深々と頭を下げたのだった。

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