エレイン・シーモアの秘密の花園

エレイン・シーモアの秘密の花園 1-①


 主な登場人物

 ■ルッジェリ・ラザフォード

 アメリカの若き大富豪。その正体は、秘密結社・ガルドウネの一員。


 ■エレイン・シーモア

 ルッジェリの秘書。


 ■ジュリア

 秘密結社・ガルドウネの一員でルッジェリの部下。美貌の青年司祭として活動していた。


「ガルドウネ」とは……

 中世ヨーロッパで暗躍したとされる幻の秘密結社。


* * * * *


     1


 ルッジェリの第一秘書であるエレインの朝は早い。


 午前五時に起きる彼女は、まずゆったりとヨガをする。


 一時間程かけて身体をほぐすと、次はシャワーと洗顔だ。入念な肌の手入れに三十分はかける。


 朝食は軽いものだ。


 バゲットにチーズを塗り、スモークサーモンを載せ、スムージーと共に食べる。


 彼女の高層マンションの部屋は眺望が良く、セントラルパークが見渡せた。


 エレインはその日のスケジュールを整理しながら、静かな時を過ごした後、八時半になると、出勤の準備にかかった。


 ピッタリと身体の線に沿ったブランド物のスーツを身に着け、メイクをし、ブロンドをしっかりと結い上げる。そして、秘書道具の入った大きめのバッグを持ったら、いざ出陣である。


 エレインはマンションの地下駐車場から白いベントレーに乗り込み、仕事先へと向かった。


 最初に向かうのは、ウォール街にあるルッジェリの投資会社だ。


 ルッジェリはマンハッタンだけでも二十余りの会社を経営しており、エレインはそれら全ての会社役員に就いている。それゆえ、業務は多忙である。


 車を停め、颯爽さっそうと歩き出したエレインの姿を振り返る男達は多い。


 少し年は取っていても、例え無表情でお堅い印象を与えていても、エレインの美貌は人を振り返らせずにはいられない。


 そんな彼女は、街の人々から見れば、リッチな成功者に違いなく、ニューヨーカーの理想を体現しているかのようだ。


 しかしエレインは、その程度で満足出来る女ではなかった。


 いくらセレブな雰囲気を纏おうと、それは只の張りぼてだと思っている。


 本物のセレブ。


 それはこの世のもっと遠い所に存在している。


 エレインはそう考えていた。



 彼女は貧しい生まれ育ちであった。


 父親はギャンブルと酒にのめり込み、ろくに働くこともしない男だった。


 母親は、そんな父親と別れるほどの勇気もなく、毎日、べそべそと泣いている弱い女であった。


 エレインは、そんな父親と母親を心底軽蔑していて、絶対に自分はこうなりたくないと思っていた。


 あれは幾つの時からだろう……。


 そう、四つか五つの頃には、そう強く心に決めていたのだ。


 家庭の事情が複雑で、両親から構われない子は悲惨である。


 エレインもそうだった。


 数着しかない汚れた服を着回し、髪はぼさぼさ。


 時に、ノートやペンさえ買って貰えない。


 そんなエレインをクラスメイト達は、「灰かぶり」とからかい、様々な手段で虐めてきた。


 普通なら、そこで心が折れていただろう。


 しかし、彼女は違った。


 誰に似たのか、持ち前の根性があって、からかうクラスメイト達をいつか見下す日が来るのだと確信していたのだ。


 そんなエレインに転機が訪れたのは、ミドルスクールの二年の時だった。


 クラスに転校生がやってきた。


 その女子生徒はとても上品で、垢抜けていて、立ち居振る舞いが美しく、周囲の醜悪なクラスメイト達とは、同じ生き物とは思えないような存在感を放っていた。


 綺麗なイギリス訛りの言葉で話し、エレインを見てもいやな顔一つしない。


 それどころか、エレインに自ら近づいて、頻繁に話しかけてくる。


 彼女の名は、フェリシア・コンラッド。


 だがエレインは、彼女の眩しさにあてられ、自分のような者が話をしてもいいのかと、いつも口籠もってしまうのだった。


 そのうち、クラスで噂が立った。


 フェリシアの父親は大きな会社を営んでいて、彼女はセレブなのだという。


(セレブ……そんな人種がこの世にいたんだ……)


 この時からエレインの中に、セレブへの憧れが生じた。


 憧れといっても、自分がセレブになりたい訳ではない。


 セレブという人々の生活や考え方を知りたい。見てみたいという大きな欲求が生じたといった方が良いだろう。


 ある日、何故だかエレインは、フェリシアの家へ誘われた。


 驚くほど大きな家の門を、車で潜っていったのを覚えている。


 あの時のシャンデリアのきらめきや、部屋の装飾の美しさは、今でも目に焼き付いている。


 フェリシアはエレインを自室に誘い、ふかふかのソファにエレインを座らせると、続き部屋から沢山の服を抱えてきて、エレインに差し出した。


「あのね、エレインはとても綺麗だから、きっと服装を変えれば見違えるわよ。私のお古で申し訳ないのだけれど、この服達だって、ただ捨てられてしまうより、貴女に着て貰えたら、きっと喜ぶと思うの」


 フェリシアの口調には、何の悪意も混じっていなかった。


(これがセレブというものか……)


 エレインは感動し、素直に彼女の服を貰い受けた。


 これが、エレインの意識が変わった瞬間であった。


 家に帰ると、ろくでもない両親が待ってはいたが、エレインは自分で身だしなみを整えるようになった。


 毎朝シャワーを浴び、髪をフェリシアに倣って結い上げ、出来るだけ上品に振る舞うことを心掛けた。


 ただそれだけのことで、周囲のエレインを見る目が大きく変わった。


 男子達は、熱い視線を送ってくるようになった。


 女子達は、最初こそいぶかしげだったが、エレインを会話や遊びに誘うようになった。


 勿論、虐めもなくなった。


 だが、そんなことで満足している暇はなかった。


 ハイスクールへの進学が待ち構えていたのだ。


 両親のことだ。エレインの学歴や将来のことなど気にもしていないだろう。


 下手をしたら、経済的なことを理由に、進学させて貰えない可能性もある。


 そこで、エレインは脇目もふらず学業に励んだ。


 有名ハイスクールへの推薦と奨学金を勝ち取る為だ。


 参考書など買って貰える筈もないエレインは、いつも図書館に籠もって勉学に明け暮れた。


 そして遂に、推薦でハイスクールに入ることが出来た。


 ハイスクールに入ったエレインは、初めて人生の第一歩を踏み出した気がした。


 まず、入学一日目からエレインの美貌は話題になった。


 周囲にいるのは、家柄のいいお坊ちゃん、お嬢ちゃん。


 彼や彼女らは、エレインの周囲を取り巻き、男子生徒に至っては、高額なプレゼントをエレインにするものも少なくない。


 そんな中、エレインは自分の家の貧しさを隠すことをしなかった。


 どうせ自分は張りぼてのセレブもどきだ。繕っても仕方がないと思ったからである。


 話をすれば、クラスメイト達は驚き、そして次には哀れんだ表情になって、何かとエレインの世話をしてくれた。


 エレインはそれらに感謝しながらも、自分の夢見る本物のセレブの世界はまだまだ遠い所にあり、もっと手を伸ばさないといけないと感じていた。


 エレインはハイスクールでも、ひたすら勉学に励んだ。


 成績は常にトップクラス。


 それもこれも、奨学金でカレッジへと進学する為である。


 そしてエレインは自らの計画通り、奨学金を勝ち取り、カレッジでビジネス秘書のコースを専攻した。


 何故、秘書なのか?


 簡単な話である。


 エレインは自分がセレブになりたい訳ではない。セレブを知りたいのだ。


 それならば、セレブと呼ばれる人達の身近で、彼らを観察することが出来る秘書という仕事こそが一番だと考えたからである。


 卒業後、中堅どころの会社の社長秘書となったエレインは、完璧な秘書になる為の努力を惜しまず続けた。


 中堅どころの会社の社長などでは、到底、エレインの理想とするセレブにはほど遠い。


 エレインは秘書としての技能を切磋琢磨し、業界で名を売り出した。


 そうして幾つかの会社を渡り歩いていた頃、父親が死んだ。


 母親には絶縁を言い渡し、エレインは当時の上司の紹介で知り合った、子どものいない夫婦の養子となった。この時、彼女はシーモアの姓を手にいれた。


 仮にもセレブの秘書である以上、不出来な両親の存在は、出世の邪魔である。


 それから幾度ものヘッドハンティングを経たエレインは、遂にアメリカでは知らぬ者がいないセレブ、ルッジェリ・ラザフォードの第一秘書にまで昇り詰めたのである。

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