生霊殺人事件 8-②


     ※  ※  ※


 その一週間前――。


「ダンテ・ガッロ、三十二歳、精神科医。身長一メートル九十二センチ。柔道の黒帯七段を所持。全国大会にも何度も出た経験がある。

 独身で白人。加えて、彼の自宅の監視カメラの映像をハックしたところ、一連の殺人事件の日の不審な時間帯に外出が確認された」


「なら、その男で決まりだな」


 アメデオは、部下にダンテの身柄確保を指示しようとして、携帯を取り出した。


「いや、まだ動くのは早い」


 ローレンは、冷たくそれを制した。


「物証は無いに等しい。しかも刑務所の記録では、ダンテは、イレネオ・ロンキやチリアーコ・アレッシら、生霊殺人事件の犯人と名乗り出た受刑者達と面接した記録が無い」


「えっ、どういうことだ?」


 アメデオが首を捻る。


「多分、誰かもう一人、内部の人間が絡んでいるんじゃないかな。証拠品の受け渡しも、その誰かを介して行われたとしたら?」


 閃きを呟いたフィオナに、ローレンが頷いた。


「ああ、私もそう思う。そこで、ダンテのカウンセリングを頻繁に受けている受刑者で、約二年前までゴルガ刑務所におり、その後、ロンキの刑務所に移動してきた者がいないか調べると、該当者が一名いた。


 ボニート・ガンビーノ。六十二歳、元神父。ただしバチカンからは破門されている。破門の理由は、彼が独自の教義を唱えたことだ。

 彼が言うには、神によって創造された人間の魂に元来、悪は存在しない。それが過ちを犯すのは、外的悪によって魂が侵食されているからだという。その外的悪を排除すれば、魂は浄化され、罪を犯した人間でも天国に入れるというものだ。


 ボニートは、それなりのカリスマを持った人物らしく、破門された後、キリスト教団を起こし、寄付を集めて教会を作った。

 そして『浄化の会』と名乗るその教団には、すねに傷を持つ人間が集まってきた。マフィアや不良少年の心の拠り所になっていたらしい。


 ボニートはある日、どうしてもクスリを止められない少年信者を救う為に、クスリの売人をやっていた少年の両親を銃で撃って、殺害することになる。懲役二十五年の刑を言い渡されたが、ボニートは、最後まで自分は正しい行いをしたと証言し続けた。

 刑務所に入ってからは、キリスト教徒の会をオリエンテーリングで主催し、刑務所仲間からの信望が厚いとある」


「成る程、刑務所内のオリエンテーリングか……。刑務所側が適切な活動だと認めれば、週に一度、決められた時間帯で自由に出来るね。そこでボニートは、受刑者達の話を聞いていたんだろうね」


 フィオナは楽し気に言った。


「しかし、何でボニートの依頼を、ダンテが実行しなくちゃならないんだ? 仮にも精神科医だろう?」


 アメデオが疑問を差し挟む。


「ダンテがカウンセリングをしている内に、ボニートに洗脳されたのかも知れないし、ダンテの中に元々あった殺人衝動を、ボニートが刺激したとも考えられるね」


 フィオナは遠い目で答えた。


「何であれ、この二人が一連の殺人事件を共犯として行った証拠が必要だ。実に計画的に行われた犯罪だが、ダンテは一つ、致命的なミスを犯している」


 冷静に言ったローレンに、アメデオは食いついた。


「何だ、それは?」


「バルトロ・アッデージの一件だ。バルトロは、犯行に使われた縄と灯油の入手先とその日付を明らかにした。

 その供述を元に捜査を続けると、バルトロが言った通りの店で、事件当日、縄と灯油を入手する、バルトロとよく似た男の姿が目撃されていただろう?」


「ああ、不思議なことだ」


「事件を生霊が起こしたのではなく、ダンテが起こしたのだとすれば、簡単な推察が成り立つ。バルトロ・アッデージは黒人で、上背のあるやせ型の男。そして顔には大きな特徴がある」


「特徴?」


「そうだ。君は彼の写真を確認していないのかね? バルトロの鼻の右には大きな黒子があるんだ。とても目立つものだ。つまりバルトロによく似た背格好と顔立ちの男を見つけ出し、鼻の横に偽黒子をつければ、誰でもバルトロに間違えられるということだ」


「つまり……どういう意味だ?」


 アメデオが目を瞬いていると、フィオナがローレンの言葉を解説した。


「つまりね、大佐。ダンテは自分の犯罪が上手くいって警察を攪乱かくらんしているのに味をしめ、より一層、捜査を攪乱しようとしたんだよ。その余計な演出が、致命的なミスなんだ。

 恐らくダンテは、身近で見つけたバルトロに似た男に、小遣い銭あたりを渡して、付け黒子をして、指定した店で縄と灯油を買うように指示した。男はただの買い物程度のことで金が貰えるならと、気軽に引き受けた。でしょう? マスター」


 フィオナの言葉に、ローレンは無言で頷いた。


「それの何処が、致命的なミスなんだ?」


「いいかね。私は警察の監視カメラなど問題にならないくらいの多くの目を持っているんだ。各国の飛ばす偵察衛星、ドローン、小さな商店に付けられたカメラ。それら全てが私の目になっている。

 バルトロに間違えられた男が、店にいた時間帯も、その時の服装も、ハッキリと記録に残っている。午後六時過ぎ、白い線の入った赤いパーカーのフードを深く被り、ズボンは黒。

 そこまで分かれば、この男の足取りが追える。

 私は私的情報局を保有している。彼らにその男の行動を追うよう、既に指示を出した。恐らく丸一日もあれば、男の行動が明らかになる筈だ。

 男が店から出た後、誰に会って、何処に帰ったのか。接触した人物がいれば、そちらの方も追跡するように指示している。

 男が買った縄と灯油は間違いなく犯行に使われたものだ。だとすれば、男は店を出てから、誰に会うと思うね?」


「そうか……。ダンテ・ガッロに、縄と灯油を渡さないといけない訳だ」


「そういうことだ。その瞬間の映像を捉えることが出来れば、一つの物的証拠となる。

 男の方は、捕らえれば、簡単に吐くだろう。何しろ彼は買い物しかしていない。罪に問われる訳ではないからね」


「だけどそんな瞬間を、本当に捉えることができるのか?」


「百パーセント近い確率で可能だ。私の情報局は世界一優秀だからね」


「そっ、そうか。それは頼もしいな」


「だが、まだそれだけでは、ダンテ・ガッロを生霊殺人事件の真犯人だとするには証拠が弱い」


「ねえねえ、マスター。ダンテの思考とか思想が分かるようなものって、ハッキングで入手出来るかな?」


「可能だ。大学時代に取った講義や提出されたレポート、卒業論文などはすぐに入手出来るだろう」


「それで十分だよ」


「分かった」


 そう言うと、ローレンは、凄まじい速さでキーボードを打ち始めた。


 一時間余りが経過した頃、ローレンはキーボードを打つ手を止めた。


「フィオナ、確認してくれ」


 ローレンは立ち上がり、窓辺の椅子に腰かけて、物憂気な顔で窓の外を眺め始めた。


 フィオナは嬉しそうに、ローレンの座っていた席に座り、パソコンの画面を見始めた。


 アメデオはすることが無い。


 ぼんやりと、腹が減ったと考えていたが、今はそんなことを言っている場合ではないことも重々承知していた。

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