生霊殺人事件 8-①
11
ダンテはいつものように、朝六時に目覚めた。
起きてパジャマのまま、部屋の中を一時間半かけて清掃する。
そして洗面台に立った彼は、髭を剃り、歯磨きをした後、洗面台を綺麗に水で流し、ペーパータオルで水滴を拭き取った。
パジャマを脱ぎ、背広に着替える。
今日の予定を確認してみると、五人の受刑者がカウンセリングを望んでいる。
その内の一人は、あの男だ。
ダンテは家を出て車に乗った。
小一時間走って刑務所に着くと、早速、診療室へと向かう。
受刑者のカウンセリングは、プライバシーに配慮して、見張りや第三者がいない環境で行われる。
勿論、受刑者は看守に連れてこられるのだが、看守は診療室のドアの外で待機することになっている。
この日も、ダンテが診療室入りするなり、受刑者が入れ替わり立ち替わり、連れてこられた。
刑務所での人間関係に悩む者。
犯した罪を、悪夢で何度も見る者。
家族に連絡を取ろうとしても拒否される者。
看守から虐めを受けていると訴える者。
カウンセリングの内容は、それぞれである。
そうして、ついにその男の番がやってきた。
看守に連れられ、元神父らしい柔和な笑みを湛えた男が、ドアから姿を現す。
看守はそのまま外に行き、男だけがダンテの前に座った。
「こんにちは、ボニート氏。今日も罪の根源を見つけたのですか?」
ダンテは、いつもの挨拶から入った。
「そうだよ。大きな罪の根源を見つけたんだ。君は知らないかな? 精肉店の冷凍室に、肉と一緒に人を吊るして凍死させてきた連続犯のことだ」
ボニートはテーブルにゆったりと肘を付いた。
「ええ、聞いたことがありますね」
「彼がこの刑務所に入ってきて、彼を犯行に及ばせた罪の根源について話してくれたんだよ」
「それで罪の根源は何だったんです?」
「彼は幼少期、弟と一緒に、酷い虐待を義理の父親から受けていたんだ。この義父が精肉店を営んでいてね、彼らは義父の意に沿わないことをすると、縛り上げられ、冷凍室に二人で吊るされた。
普段は殺さぬように頃合いを見て義父が迎えに来て、罰は終わりだったんだが、ある日、とうとう弟が凍死してしまったんだ。
義父と実の母親は、弟の死を『誤って冷凍室に入ったのを知らなかった』と口裏を合わせた。そして彼にも同様の証言を強要したんだ。
彼はそれからすぐに家出をして、路上生活者となった。そして少年ギャングとなって、マフィアの一員となる。気に入らないもの、敵、自分を裏切った恋人、そういった輩は、全て凍死させてきた。それが一番、残酷な死に方だと思っているからだ。
だが、彼の心の傷はまだ癒えていない」
「まだ悪の根源を滅ぼしていないからですね」
「そうだ。神は悪を根絶するように望んでおられる。幸いなことに、彼が次に吊るす筈だった冷凍室の場所と、鍵を預けてあるロッカーを聞くことが出来た」
「成る程、それを教えて頂けますか? 私になら悪を根絶させることが出来ます」
「ああ、お願いするよ。君はまさに理想的な神の使徒だ。神の力によって本当の悪を滅ぼすことが出来ると、彼に伝えておこう」
そう言うと、ボニートはダンテの耳元に冷凍室がある精肉店の場所と、ロッカーの場所、そして開け方を囁いた。
カウンセリングが終了すると、ダンテは素早く行動した。
まずはロッカーから鍵を取り出し、続いて精肉店の確認である。
郊外の小工場が並ぶ一角にあるその精肉店は、すっかり廃れていて、暫く使われた様子が無かった。
ダンテは手にした鍵で無人の精肉店に入っていき、冷凍室をチェックした。
中はがらんとして薄暗かったが、部屋の電源スイッチを押すと、電気が灯り、ひんやりとした空気が流れ始める。
(ちゃんと機能しているな)
ダンテは冷凍室を冷やしておく為、電気のスイッチは入れたままにして、精肉店を後にした。
自宅に戻ったダンテは、早速、パソコンで連続凍死殺人事件を検索した。
四度に亘る犯罪で、犯人の名は、イザッコ・アルファーノ。
どんどん情報を手繰っていき、イザッコの義父の名はアベーレ・アルファーノ、六十歳であり、現在は小さなデリカテッセンを営んでいることが分かった。
店の住所などを確認し、電話を入れてみる。
『はい。こちらボナカーネ・デリカテッセン』
「そちらにお伺いしたいのですが、何時まで営業していますか?」
『七時までだが』
「七時ですか、分かりました。ありがとうございます」
ダンテは電話を置き、明日の段取りを頭の中で考えながら、水槽の中の魚に餌をやり始めた。
翌日。早めに診療室を閉めたダンテは、ボナカーネに七時に着くよう車を走らせた。
八時半に店のシャッターが閉まり、初老の男が店から出てくる。
アベーレ・アルファーノに違いない。
アベーレが歩き始めたので、ダンテは車から降りて徒歩で後を付けた。
十五分ほど歩き、アベーレが入っていったのは、一棟のアパルタメントである。
ダンテは周囲に目を配り、監視カメラなどが無いかどうかを確認した。
幸いなことに、アベーレの店からアパルタメントまでの間には、監視カメラが設置されていない。
(これはかなり楽だな)
次に、ダンテはアパルタメントのポストボックスの表札から、アベーレが四〇三号室に住んでいることを確認した。
だが、部屋に入り込んでアベーレを連れ出すのは、リスクが高い。
道中での待ち伏せが一番いいだろう。
そこでダンテは、再び店までの道を歩きながら、最も人目に付かない場所を見つけることにした。
店からアパルタメントまでの道は狭く、余り人通りが無い。誘拐にはもってこいであった。道路脇に車を停めておき、素早く車に引きずり込めば問題なさそうだ。
ダンテは計画を明日、実行することに決め、念の為に偽造身分証明書を使って、レンタカーを借りた。
そして自分の車はパーキングエリアに残し、レンタカーで家に帰ったのだった。
犯行当日の夜。ダンテは、レンタカーで家から出発した。
暗く狭い道に、八時前から車を停めて、アベーレがやってくるのを待つ。
一人、二人と通行人が車の脇を通ったが、特にこちらを気に留めてはいないようだ。
そうする内に、アベーレが歩いてきた。
ダンテは車から飛び出して、アベーレを車に引き込み、頸動脈を圧迫して気絶させた。
ダンテが得意とする柔道の技だ。無防備な状態の人間にかけると、一分ももたず気絶する。
ダンテは、助手席で気絶しているアベーレを、用意してきた縄で縛り上げた。
そして車を精肉店へと飛ばす。
アベーレを肩に担いで、精肉店の鍵を開けたダンテは、アベーレを冷凍室に吊るすべく、店の奥へと足を進めた。
そして冷凍室の前に立った時である。
「手を上げろ!」
後方から声がして、眩いライトがダンテを照らした。
そのライトの周囲には、銃を構えた軍服姿の男達がずらりと立っている。
「ダンテ・ガッロ、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕する!」
(な……何で……)
ダンテは茫然と立ち尽くした。
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