生霊殺人事件 7-①
10
『明日午後六時。ローマ・コンコルディアホテルのインペリアルスイートへ、事件関連書類を全て持参されたし』
件名も差出人名もない、短いメールが届いた。ローレンからだ。
アメデオのパソコンを覗き込んでいたフィオナの顔が、ぱっと輝く。
「直接来てくれるんだ。嬉しいな。おめかししなきゃ」
「おいおい、遊びじゃないんだぞ」
アメデオが呆れた口調で言うと、フィオナは怠そうな目でアメデオを見た。
「そんなことは重々分かってるよ。大佐こそ、資料を忘れないでよ」
アメデオは机の上に築かれた資料の山に、溜息を吐いた。
「これを全部持ってこいってか……」
「宅配業者にでも頼んだらどう?」
「ううむ。そうだな。部下にやらせる訳にもいかんし、手配しようか」
アメデオは早速、宅配業者に集荷を依頼し、荷物は明日午後六時迄に必ずホテルへ届けるようにと念を押した。
「明日の準備があるから」と、フィオナが足取り軽くオフィスを出ていく。
そして暫くすると、宅配業者がやってきた。
業者が荷物を段ボールに詰め、台車に積み込んでいく。その時、部下のガリエ中尉が廊下を通りかかった。
「どうされたのです、大佐。事件資料を何処かに持っていくおつもりですか?」
「う、うむ。推理を働かせるには、ここは雑音が多くてな。じっくり考察する為に、ホテルに籠もるんだ」
アメデオが冷静を装って、咳払いする。
「成る程。確かに難事件ですものね。しかし、仰って下されば、私が手伝いましたのに」
「いや、いいんだ。君には君のやるべき仕事に集中して貰いたい」
アメデオの
「大佐のお心遣いに感謝します」
何やら上手く納得して貰えたようで幸いだ。
安堵したアメデオは、そのまま帰宅し、翌日を待つことにした。
翌日は、時計ばかりを気にして勤務時間を過ごし、迎えに来たフィオナと共にカラビニエリを出る。
ホテルに着き、フロントの係に案内されて、最上階でエレベーターを降りる。
すると、一目でボディガードと分かる黒服の男達が、エレベーターホールに
「お名前をどうぞ」
ボディガードに言われ、二人は名を名乗った。
「アポイントメントがあるとお聞きしております。どうぞこちらへ」
ボディガードの男は、軽く会釈して廊下を進み、大きなドアの前に仁王立ちしたボディガードに目配せをした。
静かにドアが開かれる。
そこには以前にも執事のようにローレンの側にいた、品のいい紳士が立っていた。
「ようこそ。ナカモト様がお待ちです」
紳士はそう言うと、アメデオとフィオナを中へと招き入れた。
まるで高級クリニックの待合室かと思うような、大型テレビとソファセットが幾つも並んだ通り道を進み、市街を一望できる大きな窓のあるリビングに辿り着くと、小柄な東洋人が腕組みをして、窓の前に立っていた。
暗号資産であるビットコインの発案者と言われているサトシ・ナカモトの姿をしたローレンだ。
アメデオ達は普段のローレンが何処で何をしているのか全く知らないが、こうして街に出てくる時は、特殊な変装をしているようだ。
広々としたリビングにはシャンデリアが輝き、壁には見たこともない絵画が飾られている。やたらに長いテーブルには八つの椅子がセットされていて、王室の食卓のような雰囲気があった。
「二人とも、ひとまず座ってくれ」
ローレンがテーブル席を視線で示す。
(この部屋、一泊幾らなんだ?)
アメデオは意味もなくそんなことを考えながら、席に座った。
その隣にフィオナが座り、ローレンは二人に向かい合って座る。
「マスター、久しぶりだね。ボク、会いたかったよ」
フィオナは、恋する乙女のような熱い視線をローレンに向けている。
「ああ、そうだな」
ローレンの答えは、相変わらず手短で事務的だが、フィオナはそれでも感動している様子だ。フィオナのローレンに対する傾倒ぶりは、アメデオにとって謎だった。
(本当に変わった女だな……)
呆れているところに、紳士が紅茶を運んできた。ガラスのティーポットの中で、
紳士はそれをカップに注ぎ、三人の前に置いた。
アメデオは喉を湿らせようと、ローズティーを一口飲んだ。何とも上品で心地よい香りがふわりと広がっていく。
(流石にいい茶らしいな)
そして無言の時が流れた。ローレンは余計な会話をしないし、フィオナは、ひたすらうっとりとローレンを眺めている。いつものことだ。
暫くすると、遠くでドアを開ける音がして、足音が聞こえてきた。
手に手に段ボールを抱えた黒服の男達が、紳士に案内されながら入ってくる。
男達はそれを床に置くと、また、一人一人出ていった。
紳士が段ボールを開封し、テーブルの上に六つの書類保存箱を並べていく。
「さて。事件資料はこれだけかな?」
「ああ。俺が今、担当している生霊殺人事件の資料が一つと、州警察から預かった、それに類似した事件の資料が五つ。それぞれの保存箱に入っているんだ」
アメデオの言葉に、ローレンは頷き、手前の保存箱の蓋を取った。
「数が多いから、私とフィオナで別々の資料から読んでいこう。全てを読み終えたら、答え合わせだ。アメデオ君はもう読んだのだろう?」
「あ、ああ。一応……」
ローレンの無機質な声に自信を無くしながら、アメデオは曖昧に頷いた。
「じゃあ、ボクはマスターと逆側の箱から読むね」
二人が資料を読み始める。
アメデオは何もすることがない。
ただ、紅茶を飲みながら、資料を繰る二人を眺めているだけだ。
それにしても驚くのは、二人の資料を読む速さである。
自分があれ程読むのに苦労した資料を、速読術でも心得ているのか、恐ろしい速さでページを繰っていく。
(二人ともあれで本当に読んでいるのか?)
アメデオは、そんな疑いすら持ちながら、驚嘆の念を抱いていた。
ローレンが先に三箱分の事件資料を読み終わり、頬杖をついて瞑想をしているような時間が三十分ほど過ぎたところで、フィオナが読み終わる。
そうすると、二人は資料を交換して、また読み始めた。
夜が更けるまで、それは続いた。
紅茶で腹が膨れたアメデオにとっては、長い時間であったが、資料の量を思えば、それだけの時間に読み込んだのは驚きでしかない。
「成る程。コピーキャット事件か」
ローレンは呟いて、アメデオを見た。
「あ、ああ。犯人が生霊じゃないとすれば、模倣犯ってことになる。だが、州警察の調べでも、それらしき犯人に全く見当がつかんのだ」
「面白い事件だよね」
フィオナが声を弾ませる。
ローレンは頷いて、唐突にアメデオに問いかけた。
「それでは、アメデオ君。君が行った捜査について話してくれ」
アメデオは、その言葉に一瞬、顔を歪めた。
自分の行った見当違いな捜査などを話しても、茶化されるだけだと思ったからだ。
口ごもったアメデオに、ローレンは尚も追い打ちをかけた。
「どうしたんだい? 一応、君の行った捜査もデータの一部だ。きちんと話してくれたまえ」
アメデオは渋々、自分が捜査した経緯の内容を、ローレンとフィオナに語って聞かせた。
これを言ったら、笑われるんじゃないかと、逐一、冷や冷やするが、二人は顔色一つ変えずに聞いている。
それが却って不気味である。
話を終えたアメデオは、どんな言葉を浴びせられるやらと、厭な気分になって、溜息を吐いた。
「それが君が捜査して判明したことか」
ローレンの呟きに、アメデオは自嘲した。
「ハハッ、そうだよ。まるっきりの見当外れだ……」
すると、ローレンとフィオナは互いに顔を見合わせた。
「いや、君にしては意外によく捜査している」
ローレンが思わぬことを口にした。
「そうだね。大佐にしては、脱線していないと思うよ」
フィオナも同意する。
二人の言葉に、アメデオは驚きながらも、少し舞い上がった。
「そっ、そうか? そうなのか? なら、やっぱり怪しいのは、看守のクレート・カッラか?」
前のめりに言ったアメデオだが、ローレンは冷たく首を振った。
「それは違う。犯人が刑務所と外を自由に出入りできる人間だというのは確かだが、その看守ではない。
これだけの数の事件を起こしながら、手掛かり一つ与えない完全犯罪を遂行できる犯人像とは、フィオナ、君ならどう思い描くね?」
ローレンがフィオナに視線をやると、フィオナははにかみながら頷いた。
「ボクの予想する犯人像は、計画性の高い、知的な人物。それなりに知的な職業についていると思われる。そして、被害者に成人男性が複数いることや、その犯行方法から見て、フィジカルに自信があるタイプだ。成人男性を襲って、反撃を恐れないとなると、恐らく、何らかの格闘技をしていたり、その経験があるだろう。背丈は百九十センチ程度あるんじゃないかな。
そして、事件現場から徹底的に証拠を消す能力は、事件に限ったことじゃないと思うんだ」
「ん? どういう意味だ?」
アメデオが疑問を挟む。
「犯人は日頃から、相当な……というか、極度の潔癖症である可能性が高いと思う。
どんなに完全な犯罪を考え、予め証拠を消す計画をしていたとしても、実際の犯行現場では不慮の事柄だって起こる筈さ。そんな時でも、指紋や靴跡、髪の毛の一本に至るまで気を遣うことができる人物とは、日頃からそうしたことに極度に敏感なタイプだろう。
あとは、犯行時刻が深夜から朝方にまで広く及んでいることから見て、犯人の行動を束縛する環境がない。つまり独身である可能性が高い。
落ち着いた犯行をしているところから見て、十代や二十代の若者である可能性は低い。三十代以上。フィジカル面から見て、五十歳より上じゃないと思う。
女性に対する加害行為を行う犯人は、自分と同じ人種を標的に選ぶことが多い統計があることから、白人かもね。
つまり考えられる犯人像は、刑務所に自由に出入り可能な知的職業の人間で、恐らく白人で、潔癖症で、背が高く、格闘技をしていた経験があり、三十代以上五十歳以下の男性だろうということさ」
「資料を読んだだけで、そこまで分かるなら、どうして最初から俺をサポートしてくれないんだよ!」
アメデオが思わずテーブルを叩くと、フィオナは肩を竦めた。
「マスターの案件じゃなかったら、ボクと大佐はパートナーじゃないからね」
アメデオは憤慨の鼻息を吐いた。
「ふん。まあいい。犯人の特徴は分かったが、問題はどう犯人を絞るかだ」
アメデオがフィオナを睨みつけると、フィオナは薄く微笑んだ。
「それならボク、大いに自信があるよ」
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