生霊殺人事件 6-①


     8


 翌朝、アメデオは二日酔いの怠さと、鈍い頭痛と共に目覚めた。


 のろのろと身体を起こし、顔を洗ってダイニングキッチンへ行くと、妻がキッチンカウンターで作りたてのスムージーを自分と娘のコップに注いでいるところだ。


 普段なら勧められても断じて飲まない緑の液体だが、今日はやけに美味そうに見える。


「アンナ、悪いが俺にもそいつを一杯、作ってくれ」


 テーブルに着きながら言ったアメデオに、アンナは少し驚き、微笑んだ。


「珍しいわね。ええ、どうぞ」


 差し出されたコップをぐっと呷ると、フレッシュな野菜と果物の甘味、そしてビタミン類がゆっくり喉を通って全身に巡っていくようだ。


「うん。美味い」


 一気に飲んでから気付いたが、隣席に息子の姿がない。息子の好物であるマリトッツォとカフェラテが、テーブルに並んでいるだけだ。


「アデルモはどうした? まだ寝てるのか?」


 するとアンナは眉間に皺を寄せ、徐にアメデオの正面に着席すると、膝に手を置き、彼をじっと見た。


「それが大問題なのよ、貴方」


「どうしたんだ」


「あの子、今日は学校へ行かないと拗ねてるの。部屋から出てこないのよ」


 真面目が取り柄の息子には珍しいことだ。アメデオは目を見開いた。


「何かあったのか?」


「ええ。あの子、先週からジグソーパズルに夢中になっていたでしょう?」


「ああ、そうだったな」


 アメデオは息子と交わした会話を思い出しつつ、頷いた。確か先週には、「出来上がったら、父さんに一番に見せてあげる」と、元気よく言っていた。


「ジグソーパズルって、楽しみながら集中力や忍耐力を鍛えられたり、完成させると自信に繋がったりするんですって。ビル・ゲイツやアインシュタインも愛好していたそうよ。

 だからアデルモの教育にもピッタリだと思って、買い与えたの。

 あの子も最初は喜んでやってたんだけど、何日経っても完成しなかった。それをアイーダが一日で完成させてしまったのを見て、拗ねてしまったのよ」


「そんなことがあったのか……」


 アメデオは息子を不憫に思いつつ、素知らぬ顔でスムージーをすすっている娘の方に身を乗り出した。


「アイーダ。どうしてお兄ちゃんのパズルを勝手に完成させたりしたんだ」


 咎めるように言ったアメデオに、アイーダは面倒そうな溜息を吐いた。


「パパは毎晩帰りが遅くて知らないだろうけど、ここ数日、お兄ちゃんがメソメソしてて、超ウザかった。『パズルを完成させるって約束したのに、父さんに合わせる顔がない』とか何とか言ってさ。

 ママは頑張って励ましてたけど、すっかり困り切ってたし、そんなの見てたら苛々してきて、お兄ちゃんの部屋へ様子を見に行ったら、もう信じらんない! 始めて一週間も経つのに、パズルの右端の一列しかできてなかった。

 こんな調子じゃ、何時まで経っても完成する訳ないと思って、私も手伝おうかって、声をかけたの」


「ふむ。それで?」


「お兄ちゃんは右端から内側に向かって、合いそうな形や似た色のピースを一つずつ、当てはめながら探してた。

 だけど、例えば海の青と空の青は一寸違うでしょ? それを一緒くたにして、一つ一つ試しながら、パズルピースの形合わせばかり気にしていたら、完成なんて無理に決まってる。もっと落ち着いて、全体を見るべきなの。

 それで私が軽くアドバイスしたら、お兄ちゃんが怒り出して、『偉そうなこと言うなら、お前がやってみろよ』って言われたから、やった」


「そう簡単に言うがな。一体どうやって、たった一日でパズルを完成できたんだ?」


「まずは角や端のピースを取り分けて、四方の外枠を完成させたら、あとは枠の色合いや柄をよく見て、分かり易い場所から手をつければいいのよ。

 なにしろ完成図のサンプルが箱に印刷されてるんだから、それをちゃんと観察すれば、ヒントも答えもそこに全部書いてあるの。簡単だったわ」


 アイーダの聡明さは自分の遺伝ではないな、とアメデオは感じた。やはり息子はつくづく自分に似、娘は妻に似たらしい。


 妻のアンナは平凡な主婦だが、なかなか賢い女だ。


 家庭内のトラブルや将来のプランについて、妻はしばしば自分に相談をもちかけるが、どんな時も彼女の提案が正しいので、アメデオは妻に逆らわないことにしている。


「成る程な……。事情は分かったが、アイーダ。お兄ちゃんのパズルをお前が完成させたら駄目だ。お兄ちゃんがガッカリする気持ちは、分かるだろう? 第一、お兄ちゃんのやる気やプライドを傷つけてしまうことになる」


「へえ、そうなんだ、分かった。じゃあ私、もう二度と、お兄ちゃんを手伝ってあげようなんて思わないし、もう二度と何もしないから! それでいいんでしょ?」


 アイーダはふてくされた顔で、テーブルに肘を付いた。


 アメデオは娘の肩を宥めるようにポンと叩き、息子の部屋へと向かった。


 ドアノブに手をかけると、中から鍵がかかっている。


 アメデオはドアを大きくノックした。


「おおい、アデルモ。何時まで拗ねてるんだ? 子供っぽいことを言っていないで、いい加減に出てきなさい。学校へ行かなきゃ駄目だろう」


 すると、ドアの向こうから泣きじゃくる声が聞こえてきた。


「いいんだ、もう! 学校なんか行ったって、僕は母さんが期待してるような成績は取れないし、ジグソーパズルだって妹に負けちゃった。

 僕は父さんに全然似ていなくって、頭が悪いんだ。学校なんかに行く意味ないよ!」


 何とも胸に刺さる言葉だ。


 アメデオは天井を仰ぎながら、努めて穏やかに語りかけた。


「いいか、アデルモ。父さんだって実は、学校の成績は悪かったんだ。それに、ジグソーパズルも苦手だ。

 だけど、学校だって仕事だって、諦めずに食らいついて努力していたら、ある時から段々できるようになったんだ。

 だからアデルモ、きっとお前は父さんに似て、実力が発揮できるのが遅いタイプなんだと思うぞ」


「……本当に? 今は駄目でも……将来は、父さんみたいになれるかな?」


「ああ、なれるとも。父さんが保証する。お前は大丈夫だ」


 心の痛む嘘であるが、それ以外にかける言葉が見つからない。


 暫くすると、ドアが開いて、息子が出てきた。


 泣き腫らした顔で、アメデオに抱き着いてくる。


「ごめんね、父さん。心配かけて……」


「よしよし、いい子だ。気を取り直したら、朝ごはんをしっかり食べて、学校へ行くんだ。いいな」


 アメデオの言葉に、息子は「うん」と素直に頷いた。


 こうして他人の言葉を鵜呑みにするところも、自分にそっくりだ。


 喜ぶべきか、嘆くべきか、アメデオは複雑な心境になりながら、息子の手を引いて、洗面所で顔を洗わせ、ダイニングキッチンへ導いた。


「お早う、アデルモ」


 妻が振り向き、飛びきりの笑顔になる。


「お早う、母さん。お早う、アイーダ」


 アデルモが少し恥ずかしげに言う。


 アイーダは無言で手をひらひらと振った。


 アデルモが席に着き、食事を始めると、妻がアメデオの腕を引いて耳元に囁いた。


「流石は貴方ね。お見事だわ」


 そうして一家は、今朝も無事に食卓を囲んだのだった。



 カラビニエリに出勤したアメデオは、机に積まれた事件資料をじっと見た。


 意味不明で膨大な情報量のせいで、昨日はすっかり混乱してしまったが、今朝は一つ、学んだことがある。


 娘のアイーダの言葉だ。


 海の青と空の青を一緒くたにしたまま、パズルピースの形合わせばかり気にして、細かいピース一つ一つを手に取るだけでは、パズルは完成しない。


 最初にもっと落ち着いて、全体を見るべきだ。


 犯罪のサンプルともいうべき事件資料をちゃんと観察すれば、ヒントも答えもきっとそこに書いてある。


 そう考えたアメデオは、できる限りの粘り強さを発揮して、再び資料に取り組んだ。


 一つ一つの事件を読み込んでみる。


 三時間ばかりそれを続けた後、今度は事件の細かな相違点や気になる謎については一旦、頭から追い出した。


 細部の枝葉にとらわれず、森全体を見るつもりで、改めて、最も不可解な共通点に着目する。


 最も不可解な事件の共通点といえば、やはり生霊殺人事件を自白した囚人達が、皆、実際の犯行の手口を知っていて、かつ証拠品を持っているということだ。


 それさえなければ、一連の事件は、誰か他のコピーキャットの仕業で片付けられたのだから。


「まずそこが一番大きい謎って訳だよな……。ここから崩していけば……」


 アメデオは煙草を一服し、目を閉じた。


(まず、犯人が他にいるとする……。

 その真犯人は、収容中の囚人と接触できる人物で、事件の経緯や証拠品を渡すことができる人物……。

 実際に外で犯行が可能でありながら、刑務所に出入りができる……。

 それでいて、今まで誰にも疑われなかった人物……。

 そんな人物とは、一体……?)


 アメデオは長く長く考え込んだ。


 そうするうちに、ふと暗闇に光が見えた。


(待てよ。いるといえば、いるじゃないか。刑務所の看守だ。看守なら囚人に接触することも可能だし、刑務所の出入りも自由だ!)


 アメデオは己の閃きに、思わず膝を打った。


 とうとう事件の謎の大枠は判明したのだ。

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