生霊殺人事件 5-②

 アメデオは次に、州警察のベルトランド・バルバート刑事に電話をかけた。


『はい、ベルトランド・バルバートです』


「アメデオ大佐だ」


『これはこれは大佐! 捜査ファイルから分かったことがありましたか?』


 期待に満ちた声で返してきたベルトランドに、アメデオは少し怯みながら咳払いをした。


「い、今、ファイルに目を通したところだ。そんなに直ぐに結論が出る訳がないだろう」


『はっ、失礼致しました』


「それでだな、念の為に聞きたいのだが、一連の事件を起こしそうな模倣犯について、州警察の調べはついていないのか?」


『ええ……。捜査ファイルにも書いた通り、有力な模倣犯というのはおりません。殺人を犯した模倣犯の場合、刑務所から滅多に出て行けるものではありませんので……。

 ただ、「娼婦溺死殺害事件」の場合、我々はベンヴェヌート・チェーヴァという男に一度、疑いの目を向けました』


「ベンヴェヌート・チェーヴァ?」


『はい。捜査ファイルに書かれている筈ですが、お読みになりませんでしたか?』


「あ、いや、読むには読んだが、もう少し詳しく話を聞かせてもらおうと思ってな」


『そうですか。ベンヴェヌート・チェーヴァは今から四十年前に逮捕された、娼婦連続殺人の犯人なんです。彼はその事件について当時、「切り裂きジャックに捧げるオマージュだ」と語っていたそうです』


「ほう。『切り裂きジャック』とは、随分古典的だな」


『ええ。本人ももう、八十三歳になる老人ですからね』


(八十三か……。そりゃあ、殺人なんて出来んだろうな……)


 アメデオは少し落胆しながら、質問を続けた。


「で、そいつを取り調べたのか?」


『ええ。ですが、とうに寝たきりで施設に入っていて、認知症も患っていました。事件当時のアリバイも充分でした』


「そうか……。収穫はなしか……」


『はい。でも、私が「切り裂きジャックに捧げるオマージュ」とはどういう意味だったのかと訊ねた時、彼は妙なことを言いました。「愛だ。愛そのものだ」なんてね』


「何だそれは。ただの妄言じゃないのか?」


『さあ、分かりません。ただ印象的だったもので覚えています』


「他に覚えていることは?」


『いえ……。それぐらいですかね』


「ふむ、分かった。又何か思い出したり、新たに判明したことがあったりしたら、直ぐに連絡してくれ」


『はい、承知致しました』


 アメデオは電話を切り、長い溜息をついた。


 そして、一冊目のファイルの検死結果や鑑識の内容をよく読もうとしたのだが、余りにも専門用語が多くてややこしく、途中で嫌気がさしてファイルを閉じた。


(何てこった。この年までカラビニエリをやって、大佐にまでなってるってのに、俺は本当に真面まともに事件を解決したことがなかったんだな……。ファイル一つ、ちゃんと解読することが出来ない……。畜生、それもこれも、ローレン・ディルーカのせいだ!)


 アメデオは、逆恨みだとは承知しつつも、ローレンに対して毒づきながら、オフィスを出た。


 もう夕方の退勤時間だ。


 だが、どうにもそのまま家に帰る気にはならない。


 そこで憂さ晴らしに一杯、何処かで飲むことにしたのだった。


  ※  ※  ※


 繁華街の路地裏で、小さなパブを見つけたアメデオは、気紛れにその扉を開いた。


「今晩は。ようこそ」


 五十代と思しきママが声をかけてくる。メイクが濃く、貫禄のある、目力が強い女性だ。


 カウンターだけの薄暗い店内に、他の客の姿はなかった。


 アメデオは一番奥の席に陣取った。


「取り敢えずビールだ」


「はい」


 直ぐに冷えたビールがグラスに注がれる。


 それを一気に飲んだアメデオだったが、まるで酔える気がしない。


「ママ、強めの酒でお薦めはあるか?」


「サンブーカ・コン・モスカはどうかしら」


「ああ、それで頼む」


 するとアメデオの前にリキュールグラスが置かれ、透明なサンブーカが注がれた。


 ママがグラスにコーヒー豆を三粒浮かべ、ライターでそれに着火する。


 ゆらりと青白い炎が立ち上った。


 暫くそうした後、ママはグラスにコースターを被せて火を消した。


「少し冷ましてお飲み下さいね」


「うむ」


 アメデオは言われた通りにした。


 薬草の香りが立ち、独特の甘味が印象的な酒だ。


「美味いよ、ママ」


「有り難うございます」


「お代わりをもう一杯、頼む」


「ふふっ。お強いんですね」


 再びアメデオの前に青白い炎が立ち上る。


 何とも幻想的な気分になったアメデオは、ぼんやりと口を開いた。


「なあ、ママ。生霊なんてものが、この世にあると思うか?」


 するとママは小さく笑って答えた。


「ええ、あると思います。というより、私、生霊を飛ばせるんです」


「え、何だって? どういうことだ?」


 アメデオは、くらりと眩暈を覚えた。


「私ね、根っからの恋愛体質で、若い頃は特に、恋人への束縛が強かったんです。少しでも離れていると、彼が浮気をするんじゃないか、他の子と仲良くしてるんじゃないかと気が気じゃなくて。

 特に彼が出張なんかで家を空けていると、心配で心配で。一日中、彼のことを考えていたんですけど、そうすると彼の所に私の生霊が、ふっと現れちゃうんですって」


 ママは肩を竦め、グラスにコースターを被せた。


「生霊なんて、どうやって飛ばすんだ?」


 アメデオが固唾を呑んで訊ねる。


「さあ……。自分でもよく分からないのですけど、とにかく一途に彼のことを想って、彼の側にいたいと強く望んでいたことは確かね。そうすると、魂だか念だかが、飛び出して行っちゃうみたいなんです」


「本当にそんなことが……?」


「ええ。正真正銘、本当のことよ。何しろそれを気味悪がられて、六人もの男に振られたんですもの」


 アメデオはじっとママの目を見た。


 嘘を吐いている感じはしない。


 だが、彼女が嘘を吐いていないということは、この世に生霊なるものが存在するということだ。


  どうやって? それは、強い思いを持ったからとしか言いようがないですね。

  オリンド・ダッラ・キエーザ大臣を殺したいっていう強い思いが、

  僕に特殊な力を与えたんです。


 ロンキの言った台詞が脳裏に甦る。


(そんな……そんな馬鹿なことが……)


 アメデオはぐっとサンブーカを呷った。


 カッと熱い刺激が喉を通って行く。


 アメデオはもう全てを忘れて酔ってしまいたかった。




(続く)



                  ◆次の公開は8月20日の予定です。

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