生霊殺人事件 4-②

「悪夢……といいますと……?」


「私達があの両親の許にいた頃の悪夢です。

 私とイレネオは、別々の施設から、ほぼ同時にあの家に引き取られました。私が十四、イレネオが十一歳でした。


 両親は地元の名士で、世間から慈善家と呼ばれる議員夫婦でしたけれど、実際の彼らは養子を引き取ったというより、奴隷を買ったという感覚だったのでしょう。

 両親は世間への見栄から、私達を学校に通わせ、衣服を着せてはくれましたが、家の中での生活は奴隷そのものでした。

 私とイレネオは一日中、掃除、洗濯、料理や家事、庭の芝刈りと、終わらない仕事を言いつけられました。私達の食事は両親の残飯でした。


 そして私達がどんなに必死で命令をこなしても、両親はどこかしら気に入らない点を見つけて、私達を平気でぶちました。外から見えないお腹や背中を……。


 私とイレネオはいつもビクビクしていなければなりませんでした。

 そして父が癇癪を起こすと、あの拷問が待っていたんです」


 キアーラは青ざめ、両腕で自分の身体を抱いて、ぶるりと震えた。


「拷問……ですか」


 アメデオが唾を呑む。


「ええ。手足を押さえられ、悲鳴を上げないように猿轡さるぐつわをされて、釘打ち機で細い釘を打ち込まれるんです。二の腕や太股に……。


 細い釘ですので、引き抜いてしまえば痕こそさほど目立たず、他人から見れば虫刺されの痕ぐらいに思われたでしょうが、酷い痛みが何週間も続きました。

 その時の記憶は、本当に悪夢そのものです」


「そ、そんな酷い折檻を子どもに……。キアーラさん、どうして周囲に助けを求めなかったんです?」


 アメデオは思わずソファから身を乗り出していた。


「両親が怖かったからです。一言でも口外すると、何をされるか分かりません。それに、ちっぽけな私達の言葉なんて、誰も信用してくれないと思っていました」


「そうだったんですか……。それでロンキは釘打ち機で犯行を……」


 掠れた声で呟いたアメデオに、キアーラは小さく頷いた。


「弟は過去の悪夢に囚われているんです。傍目には幸せそうに見える今の私ですら、夜な夜な悪夢にうなされているのですから……」


「ふむ……」


 アメデオは顔をしかめて腕組みをした。


 キアーラが嘘を言っていないことは分かる。


 バースデーカードに仕掛けがないことも分かった。


 もう一つ分かったのは、キアーラが弟に同情的であるということだ。


 何不自由ない暮らしを送るキアーラが、本来は不名誉だろう犯罪者の弟に関する聴取に、素直に応じてくれたのも、弟を庇うような気持ちがあってこそだろう。


「ところでキアーラさん。イレネオの下にもまだ二人、弟妹がいらっしゃいましたね」


「ええ。下の二人が引き取られたのは、私が十九、イレネオが十六歳の時でした。

 間もなく成人する私達の後釜として、新しい奴隷が欲しかったのでしょう」


 アメデオは、その弟妹もまた、イレネオ・ロンキが庇う可能性のある人物だろうと考えた。


「その二人との姉弟きようだい仲というのは、良好でしたか? 例えば、イレネオ・ロンキが特別に可愛がっていたですとか」


 アメデオの台詞に、キアーラは目を細め、苦い笑いを浮かべた。


「大佐。大佐のような真っ当な方には理解して頂けないでしょうけど、あの家のような環境の中では、姉弟仲だとか人間関係なんてものは、何も芽生えないんです。

 そもそも姉弟間の自由な会話なんて、一切存在しませんでしたから。

 私とイレネオには、同じ時期に貰われて来て、同じ恐怖を味わった仲間意識のようなものはありましたけど、下の二人はまだ幼くて、私とは距離のある関係でした。


 ただ……イレネオは、幼い二人を逃がしたがっていたのかも知れません」


「ロンキがそう言っていたんですか?」


「いえ、イレネオは何も言っていません。

 ただ、両親が交通事故に遭った日、イレネオは洗車を命じられていました。随分、入念にやっていると思っていましたら、その後、両親が事故死したんです。原因はブレーキの不具合だったとか……」


「待って下さい。つまり貴女は、ロンキが車に細工をしたと?」


「いえ、それは分かりません。証拠も何もありませんし、実際、ただの事故として処理されましたから。

 でも、両親の事故死が結果的に、私達姉弟を自由にしたのも事実です。

 当時の私は、イレネオが両親を殺したのではないかと怖くなり、逃げるようにあの家を出ました。そしてイレネオとの接触を、いえ、あの家に纏わる全てを避けて暮らしてきました。


 でも、やはりイレネオのことは一時も忘れたことがありません。いい思い出なんて、一つもありはしないのに……。

 イレネオもきっと同じでしょう。だから私に毎年、バースデーカードを送って来るんです」


 そう言うと、キアーラは大粒の涙を流した。


「キアーラさん。もう一度お訊ねしますが、貴女は両親の葬式の後、イレネオ・ロンキと会ったことも、言葉を交わしたことも、ないんですね?」


「ええ、ありません」


「キエーザ大臣殺害事件の前後、イレネオ・ロンキから連絡があったとか、イレネオとは名乗らなくても、不審な電話や手紙があった、というようなことは?」


「ありませんわ」


 キアーラは涙を拭い、キッパリと答えた。


「貴女やご主人が、キエーザ大臣と関わりがあったとか、面識があったということは?」


「いいえ、全く」


「そうですか……。分かりました。また何かあれば、お話を伺っても?」


「ええ、構いませんわ」


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