生霊殺人事件 4-①


     6


 アメデオは、次にロンキの姉を調査することにした。


 何しろバースデーカードを送っていたくらいだから、二人は親密な関係だったのだろうし、ロンキが庇いたくなるような人物に違いない。


 刑務所長のドゥーニに連絡を入れると、ロンキが今年、刑務所から姉宛てのバースデーカードを送っていたことが分かった。住所も連絡先もすぐに調べられた。


 もしかすると、そのバースデーカードに、何らかの秘密が隠されているのかも知れない、とアメデオは思った。


 姉弟にしか分からないやり方で、互いに連絡を取り合うような方法が……。


 アメデオは早速、ロンキの姉であるキアーラに電話をし、任意の事情聴取を受けてもらうことにしたのだった。


 キアーラの家は、ローマから車で二時間半。


 ナポリの高級住宅地であるヴォメロの丘にあった。


 活気はあるが小汚いナポリ市内とはうってかわり、落ち着いたクリーム色や白色のアパルタメントが整然と並ぶ閑静な高級住宅地だ。


 緑の街路樹が揺れ、行き交う人々も上品そうだ。


 通りの中でも一際豪華な建物の最上階に、キアーラの家はあった。


 玄関のインターホンを押すと、中から柔らかな声で返事がある。


「カラビニエリのアメデオ・アッカルディ大佐だ」


 アメデオがインターホンのカメラに身分証をかざして言うと、暫くしてドアが開かれた。


 光沢感のあるグレーのワンピースに、ふんわりしたブロンドの髪。大きな瞳をした、エレガントな美女が現れる。年齢は三十代半ばだろう。


「ようこそおいで下さいました。私がキアーラ・コンタリーニです」


 キアーラは極上の笑みを浮かべた。


 絵に描いたような上品なマダムだ。血の繋がりがないから当然といえば当然だが、ロンキとは大違いの印象である。


 こんなに美しい姉の為ならば、自分なら何でもするだろうと、アメデオは思った。


「今日は、弟さんのことでお訊ねしたいことがあって来ました」


「ええ、分かっていますわ。キエーザ大臣の事件のことですよね」


 キアーラは少しうつむき加減に言って、アメデオを広いリビングへと案内した。


 メゾネットタイプの部屋の天井は高く、ベネチアンガラスのシャンデリアが吊り下がっている。


 南向きの窓からはナポリ市中を一望出来、温かな光が部屋を満たして輝かせていた。


 メゾネットの二階からは、子ども達の賑やかなはしゃぎ声と、シッターらしき若い女性の声が聞こえてくる。


 仲睦まじい家族写真が、壁のあちらこちらに飾られている。


 リビングの中ほどには、ゆったりとしたカッシーナのソファセットが置かれていた。


「いやあ、立派なお宅ですな」


 アメデオは素直に感心した。


「夫が海運業を営んでいるので、多少の贅沢をさせてもらっていますわ」


 キアーラは謙遜気味に答えた。


「お子様がいらっしゃるのですね」


「ええ。子どもは三人おります」


「そうですか」


 二人はソファに向かい合って座った。


 アメデオは小さく咳払いをして、話を切り出した。


「さて。早速ですが、貴女がイレネオ・ロンキと最後に話をしたのは何時いつですか?」


「最後ですか? それは両親の葬式の時です」


「えっ、本当ですか?」


 アメデオは思わず問い返していた。


「はい。教会でのミサを終え、両親を墓地に埋葬した日を最後に、私はあの家を出ましたから。そして程なく、当時付き合っていた夫と結婚しました。

 他の弟妹も同様で、皆、家を出てバラバラになりました」


「それから一度も、誰とも連絡を取っていないと?」


「ええ。弁護士を通して、書類のやり取りは何度かあったと思いますけど」


「でも、イレネオ・ロンキは貴女にバースデーカードを送っているんですよね?」


 アメデオが粘っこく訊ねると、キアーラは複雑な顔をして立ち上がった。


「イレネオが送って来たカードをお見せしましょうか?」


「ええ、是非」


 キアーラは頷いて、廊下の奥に消えた。


 そうして再び戻って来た彼女の手には、麻紐でくくられた封筒の束があった。


「これがイレネオから私に毎年届く、バースデーカードの全てです」


 そう言うと、キアーラは封筒の束を、見て下さいと言わんばかりに、アメデオに差し出した。


 アメデオはそれをテーブルに載せて麻紐を解き、一枚一枚、封筒からカードを取り出して、テーブルに並べていった。


 合計十枚。


 全てのカードは、どこのスーパーマーケットの雑貨コーナーにもありそうな、特徴のない代物で、『お誕生日おめでとう』と、文字が印刷されている。


 各々のバースデーカードには当然、直筆のメッセージを書き込む余白が設けられているが、そこには何の文字も書かれていなかった。ひと文字すらだ。


 実に奇妙な感じだ。


 わざわざ毎年、バースデーカードを送るほど親しい筈の姉に対し、一言もメッセージを書かないという意味が分からない。


 そもそもカードというものには、デザインを選ぶ時から相手を喜ばせようとする気持ちが込められたり、心の籠もった言葉を贈ろうとする意志が感じられたりするものだ。


 それが何もない。


 無味乾燥としか感じられない。


 それなのに、市販のカードが入った封筒に書かれた宛名は、丁寧な筆跡である。


「これらの封筒には、カード以外に、何かが入っていませんでしたか?」


 アメデオは訝しげに訊ねた。


「いいえ、いつもカードだけです。私達はお互いに、いい思い出なんてありませんでしたから、語り合うこともないんです」


 キアーラは無表情に答えた。


 ロンキの両親が養子達を虐待していたという、ブリジッタの言葉がアメデオの脳裏に甦る。


「しかし、それにしても……素っ気なさ過ぎる」


 唸るように呟いたアメデオに、キアーラはフッとむなしげな息を吐いた。


「そうでしょうか? 私にはイレネオの悲鳴が聞こえますわ」


「悲鳴ですって?」


 アメデオが目を瞬く。


「大佐。貴方には、私が幸せに見えますか?」


 キアーラは黄色味のある深いグレーの瞳で、じっとアメデオを見詰めた。


「そりゃあそうでしょう。こんな高級住宅地の立派な家に住んで、ご主人は経営者で、可愛い子ども三人に囲まれて、それが幸せじゃないなんてことは……」


「そう見えるのですね。ええ、普通はそうなんでしょう。


 ですが、私は毎晩のように悪夢を見ます。そしてその悪夢の方が現実で、現実の幸せの方が夢のように感じているんです」


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