生霊殺人事件 2-③


     3


 アメデオはあてどなく車を走らせながら、次に何をすべきか考えた。


(まず凶器が発見されれば、有力な証拠になるが……)


 そこまで考えたところで、ロンキの不気味な笑顔が脳裏に浮かんだ。


  『手に入れた場所は天国ですよ。捨てた場所は地獄です。貴方がたには、探し出すことなんてできません』


 すると本当に凶器など発見できないのでは、という疑念が胸に湧いてくる。


 アメデオは舌打ちをした。


(他に何か……何か気になることはなかったか?)


 これまでの捜査を懸命に振り返る。


 ロンキによれば、キエーザ大臣は自ら変装して殺害現場へやって来たという。


 その辺りの事情は、キエーザ夫人なら何か知っているかも知れない。


 アメデオは大臣宅を目指してハンドルを切った。



 キエーザ大臣宅は、ローマ南西部の高級住宅街に建っていた。


 流石に現役大臣のものだけあって、一流ホテルと見まがうような大邸宅だが、その門前にはマスコミが群れをなして騒いでいる。


 アメデオは門番に身分を名乗り、執事に案内されて、リビングへ通された。


 落ち着いた色調で纏められた部屋の大きなソファには、喪服姿の夫人が座っている。


 年齢は四十代だろうか。女優になれそうなほどの美女である。


 ただ、その表情は暗く、目の下にはくっきりと隈ができていた。


「カラビニエリのアメデオ・アッカルディ大佐です」


 アメデオは身分証をかざしながら、ソファへ近付いた。


「アルテーア・キエーザです。どうぞおかけになって」


 夫人が力なく答える。


「では失礼します」


 すぐに二人の目の前に紅茶が運ばれてくる。


「この度のことは非常に残念です。奥様もさぞご心痛でしょう」


「お気遣い有り難うございます」


「早速で申し訳ないのですが、捜査のことで少しお伺いしたいことがありまして」


「ええ、構いませんわ。どうぞ」


 夫人は真っ直ぐにアメデオを見た。


「まずはこの家に届いた脅迫状ですが、M・Dという名で送られたのをご存知ですね?」


「ええ。私も拝見しましたから」


「貴女はそのイニシャルを見て、公設秘書のマリーノ・ダニエリだろうと仰った」


「ええ、まあ」


「ご主人とマリーノ・ダニエリの間に、何かトラブルがあったのでしょうか」


「私、詳しいことは知らないんです」


 夫人は楚々とした仕草で一口、紅茶を飲んだ。


「そうですか……。でも、なら何故マリーノ・ダニエリの名を?」


 アメデオはしつこく食い下がった。


「確か……いつか主人が愚痴を言っていたんだと思います」


「成る程。どのような愚痴です?」


「よく覚えていませんわ。つまらない愚痴だったと思います」


「そうですか。貴女はいつ脅迫状を見たんです?」


「翌朝になってから……。主人の机の上に開いてありました」


「では、最後にご主人と会ったのは?」


「夕食の時です」


「その後は会っていないんですね」


「ええ」


「では事件の夜、ご主人が出掛けたのも?」


「知りませんでした」


 夫人は不自然な瞬きをした。アメデオは何か隠し事があるのではと直感した。


「ご主人は運転手のような格好をしていました。そのことに心当たりは?」


「いいえ」


「本人の意志で変装したのでしょうか?」


「さあ……」


 夫人は再び不自然な瞬きをして、アメデオから目を逸らした。


 ここは粘り所かも知れないと、アメデオは思った。


「それにしてもです。大臣ほどの御方なら、普通は運転手に運転を任せるでしょうに、不思議だと思いませんか?」


「さあ……分かりません」


「ところで夫人、煙草を一服させて頂いても?」


「え、ええ」


 夫人は立ち上がり、コンソールから灰皿を取ってテーブルに置いた。


 アメデオはたっぷり時間をかけて煙草を吸った。


 夫人は無言で、嫌そうに眉をひそめている。


「第一、不思議なんですよね……」


 アメデオはねっとりと呟いた。


「何がです?」


 夫人は少し苛立ったように問い返した。


「大臣ほどの御方なら、脅迫状が届いた時点で、警察に知らせる方が自然だと思うのですが」


「それは警察に知らせるなと、警告されていたからでは?」


 夫人は語気を強めた。


「それでもせめて護衛の一人や二人、連れて行く方が自然じゃないですか? なのに、不用心にも大臣は、お一人で出掛けた。何かひっかかるんですが」


「……」


「マリーノ・ダニエリ……。奴は大臣の秘密を何か知っていたのかな? ああ、でも夫人は詳しいことはご存知ないんですよね。

 そして大臣は恐らく自らの意志で変装をした。でも夫人は夕食以降、ご主人と会っていないので何も分からないんですよねえ……。何とも困りました……。

 でも、もっとよく時間をかければ、夫人がうっかり忘れていることなども、少しは思い出して頂けるかも知れませんねえ」


 アメデオがねっちりと呟きながら、二本目の煙草に手を伸ばした時だ。


 ガシャン、と陶器の音がした。


 夫人が怒りの表情でテーブルを叩いたのだ。


「ああ、もう! しつこい男ね! 分かったわ。全て正直にお話しするわ!」


 アメデオは心の中でガッツポーズをした。


「今から話すことは、主人の名誉にも関わりますから、機密扱いして下さい。

 あの夜、主人は脅迫状を持って、私の部屋へ来たんです。それはもう真っ赤な憤怒の表情で、身体が怒りで震えていました。


『マリーノ・ダニエリめ、下っ端秘書のくせにふざけやがって! だが、三万ユーロなら安いもんだ。一人で片をつけて来る!』


 そう言った主人を止めようと思ったんですが、一度言い出したら聞かない人ですし、とても怖い顔で怒っていたので、私は逆らうことができませんでした。


『なに、あいつは根性なしだから、大層なことはできないだろう。せいぜい三万ユーロを強請ってくるのが関の山だ』


 主人はそう言って出て行きました」


「成る程……。軽く見ていた相手だから、油断した訳ですね」


「そうなりますわね」


「それで変装して、一人で車を運転した」


 すると夫人は長い溜息を吐いた。


「お恥ずかしい話ですが、運転手に変装して若い愛人に会いに行く、なんてことも主人はやっていましたわ。お忍びというやつです。私にはお見通しでしたけどね。

 さあ、これで私の知っていることは全て話したわ。満足したなら帰って頂戴!」



 アメデオは満足感と共に、再び車を走らせた。


 これで大臣が単身、現場に向かった理由は分かった。


 運転手の姿をしていた訳もだ。


(だが、待てよ……。犯人は何故、マリーノ・ダニエリの名を騙れば、大臣が油断すると分かったんだ?)


 余程親しい関係者なのか、それとも……。


 そこまで考えた時、アメデオの脳裏に再びロンキの不気味な笑顔が浮かんだ。



  『……マリーノ・ダニエリの名を使おうと閃いたんです。天啓です』



「天啓だと?! 生霊だと?! 何もかも、ふざけるな!!」


 アメデオはフロントガラスに向かって絶叫した。




(続く)


                     ◆次の公開は4月20日の予定です。

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