生霊殺人事件 2-②
※
取調室に連れられてきたイレネオ・ロンキは、三十歳。
体格が良く、容姿の整った男である。
茶色い髪に茶色い瞳。だが、その瞳は、ぬるぬるとして何処を見ているのか分からない。
瞬きも異様に少なく、人間らしい輝きがない。
アメデオは思った。
(こいつは、爬虫類の目だ……。サイコパスの目だ……)
静かにロンキが着席する。
アメデオはデスクに身を乗り出し、彼を睨み付けて威圧した。
「お前がイレネオ・ロンキか……。お前、オリンド・ダッラ・キエーザ大臣を殺したとか言っているそうだが?」
「いえ、言っているだけじゃありません。実際に殺しましたよ。看守に渡した写真を見たでしょう?」
そう言ったロンキの口元は笑っていた。
「どうやって殺したっていうんだ? お前はムショの中にいただろう」
「どうやって? それは、強い思いを持ったからとしか言いようがないですね。オリンド・ダッラ・キエーザ大臣を殺したいっていう強い思いが、僕に特殊な力を与えたんです。
僕はね、表では偉そうにしていて、裏で悪事を働いている人間が大嫌いなんですよ。
そういう奴らを一人でも多くこの世から消し去ることが、僕の使命です。
だから、神が僕に特別な力を与えたんでしょうね」
「神が与えた力ってのは、何なんだ?」
「魂だけ外に出て、生霊となって、人を裁く力ですよ」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんていません。実際、僕にはその力がある。僕は刑務所にいながら、ゴミのような輩を始末することができるようになったんです」
「なら言ってみろ。お前はどういう風にして、大臣を殺した?」
するとロンキは得意そうな表情で、デスクの上で指を組んだ。
「そうですね。僕はまず、大臣へ脅迫状を送りました。内容はこうです。
『親愛なるO・C殿へ
貴方の汚職の決定的な証拠となるものを私は所持している。
これを公開されたくなければ、下記の住所に明日、午前三時に単独で来い。
三万ユーロと証拠を交換しようではないか。
単独で来る約束を破ったり、警察に通報したりすれば、
私は直ちに汚職の証拠をマスコミ、インターネット等に拡散する。
逮捕の憂き目を見るのはそちらになるだろう』
差出人は、M・Dという頭文字にしましたかねえ……」
「なっ……」
アメデオの背中に、どっと冷や汗が流れた。
脅迫状のことなど、警察関係者とキエーザ夫人ぐらいしか知らない筈だ。メディアにも発表していない。ロンキが知り得る訳がない。
それなのに、何故、脅迫文を一言一句間違いなく言うことが出来るのだろうか。
アメデオは動揺を押し殺し、椅子にふんぞり返って足を組んだ。
「成る程。お前は脅迫状を出し、大臣をおびき寄せたという訳だな。だが何故、偽名を使ったんだ?」
「僕の名前じゃ呼び出しに応じてくれないでしょう? だから、マリーノ・ダニエリの名を使おうと閃いたんです。天啓です」
ロンキは淡々と答えた。
アメデオは苛々と腕組みをした。
「大臣を殺す動機は何だったんだ?」
「歴然としているでしょう。彼がやったことは何です? 保健大臣にも拘わらず、製薬会社と裏取引をして、認可してはいけない治療薬を世に出した。その為に、後遺症を抱えた方や亡くなった方は、五千二百人近くいるんですよ。それだけの人間を苦しめたんです。殺されて当然の大悪党だ」
ロンキは饒舌に語った。
「動機は分かった。では脅迫状を出してから、お前はどうしたんだ?」
「空き家に隠れて、大臣を待ちました。大臣は時間通りやって来ましたね。
暗闇で息を潜めていた僕は、玄関が開くのを見て、大臣にテーザー銃を食らわしてやりました。大臣は見事に気絶して、床に倒れましたよ。
あと、大臣は運転手のような格好をして、変装していましたっけ」
そう言うと、ロンキは可笑しくて仕方がないという風に笑い始めた。
「話を中断するな!」
「ああ、済みません。その時のことを考えたら愉快になってしまって……。ともかく僕は、倒れた大臣を椅子に座らせました。そこでネイルガンの登場です。
でもその前に大臣に猿轡をかませて、紐で椅子に縛り付けてやりました。そして、両足と両手に釘を打ち込んだんです。大臣はその衝撃に目を覚まして多少暴れましたが、私はそこで特別に、今回思いついた手段を選んだんです」
「思いついた手段とは?」
「今までは、釘をすぐに額に打ち込んで、即死させていましたが、極悪人にそんな楽な死に方をさせてはいけないということに気付いたんですよ。
ですからね、じっくり死の恐怖を味わいながら死んで頂きたくて、腹と胸を浅く傷つけて、じわじわ失血死させることにしたんですよ。それでナイフを使いました。その後は、大臣が死んだところで、額に一発です。
最後に『民衆の敵・腐った豚』と書いたメッセージを胸に打ち込みましたね」
ロンキは満足そうな顔をして目を閉じた。
(どういうことだ……。検視結果と同じ状況を喋っているじゃないか……。何故、知っている? まさか本当にこいつがやったのか? こいつの生霊が……)
アメデオは、ぶるぶると首を横に振った。
(いや、そんな訳、ある筈がないだろう!)
アメデオは勢いよくデスクを叩いた。
「おう、ロンキ。お前がそうまで言うなら、凶器を手に入れた場所と凶器を捨てた場所を言ってみろ」
アメデオが睨み付けると、ロンキは目を開いた。
「手に入れた場所は天国ですよ。捨てた場所は地獄です。貴方がたには、探し出すことなんてできません」
「ふざけるな!」
「いえ、本当のことです」
「殺害写真は、どうやって手に入れた?」
「自分で写して、持って帰ったんですよ」
アメデオは、興奮している自分を抑える為に大きく息を吐いた。
そして自分を落ち着かせる為に一旦、取調室を出た。
マジックミラー越しに取り調べの様子を見ていたガリエ中尉とパッサリーニ少尉が駆け寄ってくる。
「内部情報が、奴に漏れてるってことはないな?」
アメデオの問いに、ガリエ中尉とパッサリーニ少尉は首を横に振った。
「よし、では奴を嘘発見器にかけてやれ」
「はい」
ガリエ中尉とパッサリーニ少尉は、待機していた検査技師二名と共に取調室へ入っていった。
ロンキの頭部、胸部、上腕部、指先に測定用のパッドが取り付けられ、検査装置に接続されていく。
なお嘘発見器とは通称名で、本来はポリグラフ検査と呼ばれ、複数の生理反応を記憶することから「ポリ(多くの)グラフ(記録)装置」という。
被疑者に様々な質問をしながら、脳波や心拍、汗、皮膚電気活動といった生理反応を計測することで、無実の人では絶対に出ない反応を検出したり、犯人しか知り得ない記憶を持っていると判定したりすることができる。その精度は約九十パーセントとかなり高い。
準備が整ったところで、ガリエ中尉が質問を開始した。
「これから私の質問に、全て『いいえ』と答えるんだ。
では、質問だ。お前の名前はイレネオ・ロンキか?」
「いいえ」
「出身はローマか?」
「いいえ」
このように冒頭、嘘をつく必要のないありきたりな質問を行い、ベースラインとなる反応を得た後に、本題の質問事項に入る。
特定の質問に対し、ベースラインと顕著に異なる反応が検出されれば、その返答は疑わしいと判断できるのだ。
「キエーザ大臣を殺害する為に使った凶器は、鈍器か?」
「いいえ」
「使った凶器はナイフか?」
「いいえ」
「斧か?」
「いいえ」
「電気コードか?」
「いいえ」
「釘か?」
「いいえ」
ガリエ中尉は使用された凶器と、そうでないものを混ぜながら質問を繰り返した。
真犯人であれば凶器を知っている為、真の凶器に関する問いに生理反応が集中するが、そうでなければ実際の凶器を知らない為、どの質問に対しても反応はランダムに発生する。
こうした反応の違いによって、被疑者が犯罪事実について知っているかどうかが鑑別可能となるのだ。
生理反応の差異は、嘘を吐いたから生じるというより、それが実際の犯行に関連した内容であると本人が認識するから生じると考えられる為、ポリグラフ検査は嘘を発見するというより、本人の記憶の検査といえる。
先程のアメデオの取り調べによって、ロンキが犯行の状況をかなり詳しく知っていると分かった為、ガリエ中尉はさらに細部にわたって、犯人でなければ知り得ない情報を質問する必要があった。
ガリエ中尉とパッサリーニ少尉は交代しながら、三時間の長きにわたって様々な質問を行った。
マジックミラー越しにそれを見ていたアメデオは、部下の優秀さや緻密さに舌を巻きつつ、自分なら途中でボロを出すだろうから、部下にやらせて正解だったと安堵したのであった。
そうして全ての検査が終わった結果、そこから導き出されたのは、「ロンキは犯人だ」という結論であった。
(一体、どういうことなんだ!)
アメデオは叫び出したい程の混乱を覚えた。
「そんな……まさか……」
「何かの間違いじゃないですよね?」
ガリエ中尉とパッサリーニ少尉が青ざめた顔で、検査技師にあれこれと質問を浴びせ始める。
「すまんが、俺は先に帰る。一人で考えたいことがあるんでな」
アメデオは必死に冷静さを取り繕ってそう言うと、刑務所を去った。
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