生霊殺人事件 1-②
※
ローマから車で南へ走ること約百二十キロ。
アメデオはラティーナ県スペルロンガを目指した。
スペルロンガは人口三千人余りの小さな町だが、クリスタルブルーの美しい海と、全長十キロに及ぶビーチ。さらに「イタリアで最も美しい七つの村」に選ばれた旧市街や、古代ローマ帝国皇帝ティベリウスの別荘跡の洞窟遺跡で人気の観光地である。
やはりキエーザ大臣は、密かにバカンスを楽しんでいたのだろうか。
そんなことを考えている間にも、ラジオからは大臣急死のニュースが流れてくる。スタジオのざわめきや、パニックめいた雰囲気も伝わってきた。
コメンテーター達が、テロ行為の可能性や陰謀論などを口々に話し出す。
するとまるで不穏なニュースに呼応するかのように、空にはにわかに暗雲が垂れ込め、大粒の雨が降り出した。
到着したスペルロンガも陰鬱な雨雲に覆われ、折角の海もグレーに霞んで見える。
アメデオは車を降り、傘をさした。
石灰岩の上に
悪天候のせいか、人とすれ違うことは滅多になかった。
さらに長い階段を上ると、白い漆喰の壁の家々が建ち並ぶ通りが現れる。
アメデオは地図を確認しながら、その先の路地へと足を進めた。
路地は狭く長く、坂や階段が複雑に組み合わさっていた。
不意にトンネルがあったり、そのトンネルの途中に誰かの家の扉があったりもする。
ここだと思って上った階段の先が別の家の玄関だったり、角を曲がると小さな教会に突き当たったりもした。
シロアリの塚に迷い込んだ気分になりながら、アメデオはどうにか目指す場所に出た。
玄関口に雨合羽姿の警察官が二人、立っている。ここが現場の空き家だろう。
「カラビニエリのアメデオ大佐だ」
アメデオは身分証を
薄暗い室内では、州警察と思われる鑑識がフラッシュを焚きながら、現場写真を撮っている。
そのフラッシュのせいで、目がチカチカと眩む。
錆臭い、血の独特の匂いが漂っていた。
顔を
「おう、ガリエ中尉」
アメデオが名を呼ぶと、ガリエ中尉とパッサリーニ少尉はアメデオを振り返り、姿勢を正して敬礼をした。
「大佐、ご足労であります!」
「事情も分からず来たもので、詳しく説明してもらいたい。どんな様子だ?」
「はっ、大佐。まずはこちらをご覧下さい」
ガリエ中尉は懐中電灯で、部屋の奥を照らした。
ガランとした部屋の突き当たり。椅子に座った人の姿が浮かび上がる。
その人物は、オリンド・ダッラ・キエーザ大臣その人であった。
だが何故か、運転手のような格好をしている。黒のジャケットに黒いネクタイ、白いワイシャツ、スラックス。制帽を被り、白手袋をつけている。
胸と腹の部分には、鋭利なナイフで切られた痕があった。
服が裂け、長い傷口から大量の失血が認められる。
周囲の床にも血が飛び散っている。
相当の苦痛を被害者は味わっただろう。
何より異常なことに、被害者の両手は椅子の肘掛けに、両足は床に、太く大きな釘で打ち付けられていたのである。
制帽の
それだけではない。
心臓の辺りに刺さった釘には、一枚の紙が留め付けられている。
アメデオは部下の懐中電灯を取り、遺体に近付いてその紙を見た。
そこには『民衆の敵・腐った豚』と書かれていた。
「これは……釘男(Uomo chiodo)の仕業か……?」
アメデオは
釘男とは、約五年前からイタリアで出没しだした残虐犯である。
彼の標的は社会的な背信行為を起こした人物に限られ、皆、釘を打つ大工道具で殺されていた。
その件数は、七件にものぼる。
釘男は賢く、事件現場に指紋や毛髪、体組織などの痕跡を一切残さなかった。姿を目撃されたこともない。
その為、長い間、警察やカラビニエリの追跡を逃れていた、謎の殺人鬼であった。
ところが、彼は昨年、ひょんなことから逮捕された。
犯行直後に偶然、車の衝突事故に巻き込まれ、その時に駆けつけた警察官が、助手席に釘打ち機だけを乗せていたことに不審を抱き、男を尋問、捜査したのだ。
結果、男の部屋にあった戦利品ともいえる犯行時の写真が証拠となって、犯行が証明され、彼は刑務所に送られた。
その名を、イレネオ・ロンキという。
三十歳の介護士で、動機は歪んだ正義感が暴走したものだと見られた。
そう。釘男は今、塀の中なのだ。
「ってことは、釘男の模倣犯……コピーキャットの仕業か……」
アメデオの呟きを聞いたガリエ中尉は、複雑な表情をした。
「はい。我々もそう考えました。ですが、そんな簡単な事件ではなさそうなのです」
「どういう意味だ?」
アメデオが顔を顰める。
「実は獄中のイレネオ・ロンキが今朝、オリンド・ダッラ・キエーザを殺害したと、看守に自供したというのです。しかも犯行現場を写した写真まで見せて……」
「何だと?! 一体、どういうことなんだ!」
するとガリエ中尉は、力なく首を横に振った。
「分かりません。到底、理解できない話です。ですが、捜査関係者しか知り得ないこの犯行のやり口を、イレネオ・ロンキは正確に話し、しかも証拠写真まで持っていたのです。そして、この事件の犯人は自分に間違いないと」
「じゃあ、奴が隙を見て脱獄したとか、獄中と外を出入りしていた可能性は?」
アメデオが鋭く訊ねる。
「いいえ」
ガリエ中尉が硬い表情で答えた時、パッサリーニ少尉が横から会話に加わった。
「実はその……イレネオ・ロンキの告白によれば、彼は自分の魂が身体から離れ、霊体となって犯行を成し遂げたそうなんです」
「は?」
アメデオが目を瞬く。
「ですからその、彼は生霊となって脱獄し、殺人を犯したと主張しているんです」
「そんな戯れ言を信じる馬鹿がいるか!」
アメデオは拳を震わせた。
「ですが大佐、看守によれば、脱獄の可能性は考えられないし、調べた限りその形跡もないとのことです」
パッサリーニ少尉は申し訳なさそうに、首を縮めた。
「ううむ……」
アメデオは血が上った頭を掻きむしった。
生霊が殺人事件を起こすなど、常識では無論、考えられない。
しかし、何故、獄中のロンキがわざわざ自分の罪が重くなるような自供をしたのか。
そして何故、現場写真を手に入れることが出来たのか。
ロンキの同志か協力者でもいたのだろうか。
アメデオが考え込んでいると、目つきの鋭いスーツ姿の男が近付いてきた。
「お話し中、失礼致します。アメデオ大佐、お初にお目にかかります。私は州警察のベルトランド・バルバート刑事です。大佐のご高名はよく存じ上げております」
バルバートはアメデオに握手を求めた。
「あ、ああ、宜しくな」
アメデオがその手を握り返す。
「実はこの数年間、今回と類似した不可解な事態に、州警察は頭を抱えております。
異常犯罪者が逮捕され投獄された後、塀の外で同様の事件が起こり、監獄にいる受刑者が自分の仕業だと自供するというケースが、もう何件も起こっているのです。
そして実に不気味なことに、我々警察が調査した鑑識結果や事件の経緯、犯行の一部始終を、受刑者達は我々に先んじて、克明に語っているのです」
バルバートは青ざめた顔でアメデオを見た。
「何だって……」
アメデオの頭は爆発しそうであった。
「本当なのです。全ての事件に関連があるのかどうか……。是非、我々警察の持つ資料もご覧になって下さい。直ぐに整理して、カラビニエリに届けさせて頂きますので。
今回のような不可能犯罪を解決できるのは、これまで数々の難事件を解決してこられたアメデオ大佐を措いて、他にはいらっしゃいません」
真摯に言ったバルバートに、ガリエ中尉とパッサリーニ少尉が深く頷く。
「ええ。我々もそう思います」
「バルバート刑事、ご協力に感謝します」
そして期待に満ちた六つの眼がアメデオに向けられた。
アメデオは長い溜息を吐いた。
最早逃げ場はない。この訳の分からない、忌々しい事件を解決するしかない。
ただ一つの問題は、これまで数々の難事件を解決してきたのが自分自身ではなく、事件の真相をメール等で自分に送りつけてくるローレン・ディルーカというハッカーだということだ。そのお陰でアメデオはスピード出世を果たし、今の地位にいる。
ローレンは皮肉屋で悪魔のように冷たいが、アメデオの救世主であった。
(早速、奴に連絡を……)
そう思った瞬間、アメデオの脳裏に息子の顔が過ぎった。
僕は父さんみたいに立派なカラビニエリの軍人になりたいんだ
アメデオはぐっと拳を握りしめた。
(くそう……いつもいつも奴に泣きついていたら、又、馬鹿にされてしまう。俺にだってちゃんと出来るってことを、今こそ証明してやる! 可愛い子ども達の為にも、少しは出来る親父になりたいんだ)
アメデオはいつになく強い決意を固めた。
「よし、分かった。警察の資料を頂こう。キエーザ大臣の周辺から取れた聴取資料も揃えて欲しい。それから早急に、イレネオ・ロンキを尋問する用意をしてくれ!」
(続く)
◆次の公開は3月20日の予定です。
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