生霊殺人事件

生霊殺人事件 1-①

                           

     1


 爽やかに晴れ渡った秋空の下。


カラビニエリ(国家治安警察隊)のアメデオ・アッカルディ大佐とその家族は、イスキア島でのバカンスを楽しんでいた。


 夏には大混雑するビーチも、今はほど良い賑やかさで、大人達はサンオイルを塗って砂浜で日焼けを楽しみ、子ども達は海辺ではしゃいでいる。


 アメデオ達は貸切りクルーザーで眩い海を満喫した後、ホテルのテルメ(天然温泉)で心身共にリフレッシュした。


 夕食は海に沈む黄金色の夕陽を眺めながら、近海の新鮮な魚介のフリットや、ポルチーニ茸のパスタ、名物のウサギ肉や栗のデザートに舌鼓を打つ。


 普段は怒りっぽい妻も、最近めっきり口を利いてくれなくなった娘も、珍しく笑顔を見せていた。


「ねえ、貴方。貴方の定年後は、こんな島でのんびり暮らすのもいいかもね」


 妻のアンナがワインを傾けながら、うっとりと呟いた。


 内心、定年離婚に怯えていたアメデオの頬が緩む。


「ああ、そうだな」


 アメデオは鷹揚に頷き、言葉を継いだ。


「俺はこれまで余り家族サービスをしてこなかった。だが、これからはもっとこんな時間を持ちたいと思ったよ」


「ま、たまにはいいんじゃない」


 軽い調子で言った娘のアイーダに、息子のアデルモが反発する。


「おい、そんな言い方、父さんに失礼だぞ。父さんはずっと仕事を頑張ってきたんだ。家族なら分かってあげないと。

 ねえ、父さん。僕は父さんみたいに立派なカラビニエリの軍人になりたいんだ。なれるかな?」


 アデルモは真っ直ぐな瞳でアメデオを見た。


「無理じゃね?」


 小声で言ったアイーダの台詞を、アメデオは咳払いで遮った。


 アデルモは何をやらせても平均以下の不出来な息子で、いつも妻を嘆かせているが、素直で愛らしい性格をしている。


 アメデオはそんな愛息を温かく見詰め返した。


「アデルモ。お前のように実直で正義感のある男は、きっと立派なカラビニエリになれる。だから今は学校で、スポーツや勉強をしっかり頑張るんだぞ」


「はいっ、父さん」


 アデルモは頬を染め、嬉しそうに答えた。


 こうしてアメデオの幸せなバカンスは過ぎていった。



 のんびり気分も抜けきらない月曜日。


 アメデオは黒地に赤い側章のついたカラビニエリの制服を身につけ、出勤した。


 いつものオフィスに入り、クルーザー上で撮った家族写真を、新たにデスクの上に飾る。


 そうしてほのぼのとした気持ちで、海の潮騒しおさいや、美しい夕陽に思いを馳せていた時だ。


 けたたましい足音と、激しいノック音が、扉の向こうから聞こえてきた。


「た、た、大佐、大変です!」


 悲壮な部下の声に、嫌な予感が全身を駆け巡る。


 アメデオは心の動揺を押し隠し、決め顔を作った。


「どうした、入れ」


「はっ、失礼します」


 部下は硬い顔で敬礼し、報告を始めた。


「非常に不可解な事件が起こりました。至急、大佐に現場へ出向いて頂きたいと、参謀本部長どのからの御伝言です」


(くそっ、又か……)


 アメデオは心の中で舌打ちをしつつ、腕組みをした。


「それで一体、どういう事件なんだ?」


「はっ、オリンド・ダッラ・キエーザ大臣が、何者かによって殺害されたそうです」


「何だって?」


 アメデオは思わず問い返した。


 キエーザ大臣といえば、今、汚職事件で世間を騒がせている、現役の保健大臣だ。


 ニュースは連日、製薬会社と大臣の裏取引について騒ぎ立て、それに怒った市民が抗議デモを起こすことも度々だ。


 ただ、政権与党の大物政治家なだけに、汚職事件はうやむやにされて終わるだろうというのが大方の見方である。


 実際、キエーザ大臣は数週間前から自宅に引き籠もり、「体調不良の為、検察の尋問には応じられない」と主張していた。


 そんな彼が殺害されたということは、国政に不満を持つテロリストによる犯行の可能性がある。


 すなわち国家治安警察隊カラビニエリの出番ということだ。


「現場は自宅か?」


「いえ、郊外の空き家です」


「ほう……?」


 自宅で大人しくしていると見せかけて、郊外でバカンスを楽しんでいたのだろうか。それにしては、空き家というのが不可解だ。


「詳しい話は、現場にいるガリエ中尉とパッサリーニ少尉からお聞き下さい」


「ふむ。あの二人なら切れ者だ。私まで必要かね?」


「勿論であります。そのお二人が、自分達ではどうにも出来ない事件だと上に報告したので、大佐の出番なのです。

 大佐、期待しております。大佐なら、どのような難事件でも解決なさるでしょう」


 部下のキラキラした視線を受け、アメデオは重い腰をデスクチェアから上げた。


「分かった、出発だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る