スパイダーマンの謎 9-①


  10


 二人はクラーラに慰めの電話をかけ、チェーリオとの出会いの経緯を再度確認したが、クラーラの答えは以前と同じものであった。


 それから遅くまで話し合いを続けたものの、新たな発見は無く、二人はそれぞれの家へと帰ったのである。


 翌日とその翌日は、平日だ。


 ロベルトは普段通り『聖徒の座』に出勤したが、事件やクラーラのことが頭から離れず、ふとした隙に考え込んでは、溜息を吐いてしまう。


 すると昼休み時間に、平賀からメールが届いた。



  私は明日、有休を取りました。気になることが出来ました。

  あと、今日は残業なしで、定時にあがります。        平賀



 平賀は余程、気になることがあって、気持ちがはやっているのだろう。早速今夜から、事件を追う気らしい。


 ロベルトも急いで明日の休暇を申請し、平賀に返信を書いた。



  僕もそうする。終業後、待ち合わせよう。         ロベルト



 そうして二人は再びテルミニ駅から電車に乗り、ベニッツェ村の隣町にあるホテルまでやって来た。


 大荷物が置かれたままの部屋で、平賀がパソコンに向かい、何事かを調べ始める。


 ロベルトは鞄からスケッチブックとペンケースを取り出して、書机に向かった。


 明朝から聞き込みに使う復顔写真について、思うところがあったからだ。


 復顔法とは、頭蓋骨から生前の顔貌を復元する手法で、三次元法と二次元法に分けられる。


 三次元法は別名、粘土法とも呼ばれ、まずはマルチン式計測法という世界共通の人骨計測法を用いて、頭蓋の表面に二十から三十カ所の計測点を定める。そしてそれぞれの部位の軟部組織(顔の筋肉・脂肪・皮膚)の厚さの年齢別平均値に従って、厚さ分の杭を取り付け、粘土性物質で頭蓋骨に肉付けを行い、眼球となる球体を埋め込み、表情筋を付け、表皮を付けて整えていく。


 そうして出来た粘土像を原型に、石膏像として顔貌を復元するのだ。


 カラビニエリから預かった復顔写真は、このタイプであった。


 一方、二次元法は、頭蓋の写真の上にトレースフィルムを載せ、眉、目、鼻、口の配置と輪郭線を設定したフレームを基礎に、骨の鑑定から得られた性別や年齢から想定される顔貌を加筆して描かれる。


 いずれも解剖学的かつ人類学的統計値に基づいて、科学的に復顔を行う手法だが、軟骨である鼻や耳、風貌の印象を左右する唇の厚さや瞼の形、眉の形などは、硬骨からは推し量れない。


 その為、復顔写真が生前の顔貌と満足に一致することは偶然にも等しく、精度は十パーセント程度と考える専門家もいるそうだ。


 そこで昨今、各国の警察機関で進められているのが、画像解析装置及び、画像の合成や描画機能を持つソフトを用いた、CG画像による復顔法の開発である。


 従来の復顔法では、原則として一つの頭蓋に対して一つの復顔像しか制作出来なかったが、コンピュータシステムを利用すれば、完成した復顔像の一つを基準とし、目や眉や唇の印象を変化させたバリエーションをいくらでも、簡単に作成出来るのが利点だと聞いたことがある。


 そこでロベルトは、預かった写真を基に、自分も何枚かのバリエーションを手描きしてみようと考えたのだった。


 自分は勿論、復顔のプロではないが、描画の正確さには結構な自信がある。

 それに、いかにも怖い事件を連想させる復顔写真よりも、柔らかいタッチのスケッチ画を見せた方が、ベニッツェ村の人々も話をしやすいのではないか、という思いもあった。


 復顔写真を携帯で撮り、パソコンで拡大してプリントする。


 その上にトレース用紙を重ね、骨格を抽出してベースの顔を描いた。


 そのトレース用紙と復顔写真を書机に並べて立てかけると、ロベルトは想像力を働かせながら、何枚ものスケッチ画を描いていった。



 その夜、ロベルトの夢にはおびただしい数の復顔図が浮かんでは消え、又、カラビニエリでの会話が何度も、生々しく甦った。


『……チェーリオ・シモネッティは曲者ですよ』


『彼は、住所を虚偽報告していたんです』


『虚偽の住所での登録変更を複数回行うのは、犯罪者によく見られる行動です』


 そう言ったフェルモとジャンの声や姿。


 マジックミラーの向こうで、身体を固くして項垂うなだれていたチェーリオの姿。


 ベニッツェ村で、クラーラに優しく微笑んでいたチェーリオの姿。


 瞼の裏に幾つもの光景がフラッシュバックし、交錯する。


 ハッとロベルトは目を覚ました。


(そうか……もしかすると……)


 ロベルトの脳裏には、一つの閃きが宿っていた。


「お早う、平賀」


 ベッドから身体を起こし、室内を見回したが、平賀の姿は無い。


 ベッドサイドの時計は午前九時四十分を示している。


 立ち上がり、閉じられたままのカーテンを開くと、外は快晴だ。


 そして窓際のソファテーブルの上には、平賀のメモが置かれていた。



  ロベルトへ

  少し出掛けてきますが、昼頃に戻ります。心配しないで下さい。 平賀



 どうやら少しばかり寝過ごしてしまったようだ。


 ロベルトは背中にじっとりと嫌な汗をかいているのに気付き、シャワーを浴びることにした。


 備え付けのコーヒーを一杯飲み、頭をスッキリさせると、改めて書机へ向かう。


 昨夜、パソコンに取り込んだ復顔写真を画像編集ソフトで開き、その上のレイヤーに五十カ所程度の計測点を打つ。


 更に上のレイヤーに元の復顔写真データをコピーして貼り、これを編集していく。


 ロベルトは、人の顔というものが極端に太った場合、どのように変化するかを考えた。


 目は厚ぼったく細く見え、鼻は横に広がり気味になる。ほうれい線はくっきりと出、輪郭や顎のラインは変化して、口角と顔の重心は下がり気味になる筈だ。


 そのことを踏まえ、復顔写真の男がもし痩せていたら、と想像を働かせる。


 ロベルトは慎重に、顔の輪郭やパーツに手を加え始めた。


 全ての作業が終了するまでに、二時間近くかかっただろうか。


 ようやく出来た顔に色味を加え、毛髪を描き加え、目の色を指定すると、ロベルトの閃きは確信へと変わった。


(やはりこれは……)


 出来映えに満足したロベルトが二杯目のコーヒーを飲んでいると、扉が開き、平賀が駆け込んで来た。


「やあ、お帰り。何か分かったかい?」


「ええ、ロベルト。私達の疑問が一つ解けましたよ」


 平賀が弾んだ声で答える。


「それは良かった。僕からも一つ、報告がある。これを見てくれないか」


 ロベルトが示したモニタ画面を覗き、平賀は首を傾げた。


「これは?」


「復顔写真の男、つまり事件の被害者が仮に痩せていたらと仮定して、導き出した顔がこれなんだ」


「ああ、そういうことでしたか……。ロベルト、私の成果も聞いて下さい。これで全ての謎が解けました」


 平賀はキラリと瞳を輝かせ、話し始めた。


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