スパイダーマンの謎 8-③


   9


 メトロポリタン・シティに立つカラビニエリ支部は、シェルピンク色に塗装された三階建ての無骨な建物だ。


 敷地の四方は鉄柵で囲われ、「カラビニエリ」の看板と、「二十四時間受付しています」の掲示が出ている。


 二人が到着した時刻は午後八時を回っていたが、少しでも情報が欲しい二人は、祈るような気持ちで、門脇のインターホンを鳴らした。


『はい、カラビニエリです。ご用件とお名前をどうぞ』


 無機質な声が応対する。


「名前はロベルト・ニコラスといいます。用件というのは、今日貴方がたが連行したチェーリオ・シモネッティさんについての情報交換と……」


『しょ、少々お待ち下さい』


 インターホンの相手は、ロベルトの話を遮って会話を切った。


「どうしたんだろうね」


「さあ……」


 平賀とロベルトが首を捻っていると、物騒がしい音と共に建物の扉が開き、三人の屈強な男達が先を争うように駆け出してきた。


 男達は門扉を開くと、平賀とロベルトに向かって、いきなり敬礼のポーズを取った。


「本日は本署までご足労頂き、恐縮であります。私はカラビニエリ、トルサピエンツァ支部署長、ヤコポ・コルッシであります」


 大きな勲章を胸に着けた、年配の男が名乗った。


「同じくカラビニエリ、トルサピエンツァ支部のフェルモ・バルトロであります。神父様がまさか大佐殿のご友人とは露知らず、本日は大変失礼を致しました」


「同じくジャン・クラヴェロです。本日は大変失礼を致しました」


 続いて口を開いた二人は、チェーリオを連行した二人組である。


「大佐? ご友人? 何のことでしょう、ロベルト」


 平賀は不思議そうにロベルトを見た。


「フィオナさんが何らかの手配をしてくれたんだ。彼女はカラビニエリの上層部に、かなりのコネがあるらしいね。いいから、ここは僕に任せて」


「ええ、お願いします」


 小声で話し終えた二人は、男達に一礼した。


「敬礼などお止め下さい。僕達はただの神父です。僕はロベルト・ニコラス。隣は同じくバチカンの神父で、平賀・ヨゼフ・庚です。宜しくお願いします」


「重ね重ね、恐縮であります」


 三人は敬礼の手を下ろし、ロベルトが差し伸べた手を握り返した。


「僕達の希望は、チェーリオ・シモネッティさんについての情報交換です。ご協力頂ければと思います」


 ロベルトの言葉に、コルッシ署長は大きく頷いた。


「あの事件の担当者は、こちらの二名です。何でもお聞きになって下さい」


 コルッシ署長はロベルトに向かってニッコリ微笑むと、「お前達、分かっているな」と、部下の二人を険しい目で睨んだ。



 一行は『102号・取調室』と書かれた部屋の隣までやって来た。


 その扉の前でコルッシ署長と別れ、フェルモの案内で、四人が部屋に入る。


 室内には簡素なテーブルと、パイプ椅子が四脚置かれていた。


 部屋の左手の壁はマジックミラーになっており、そこから取調室の中が見える。身体を固くして取調室の椅子で項垂れているのは、チェーリオだ。


「神父様は、チェーリオの事件について、どれほどご存知です?」


 フェルモの問いに、ロベルトは静かに首を横に振った。


「それを伺いたくて参りました。詳しくご説明頂けますか?」


「分かりました」


 フェルモはテーブルに置かれていた書類を捲り、話し始めた。


「今から五日前、市民から通報がありました。大型の猟犬を連れて郊外の山を散策していると、犬が人骨らしきものを咥えてきたというのです。

 早速、我々が調査すると、犬が掘り返した地面の下、およそ二メートルの深さに埋められた遺体を発見しました。完全に白骨化しており、死後三年は経つと思われるものです。

 白骨化した胸部内に、弾丸が二つ残っていたことから、死因は射殺と断定。

 その遺体の側に残っていたのが、このチェーリオ・シモネッティの運転免許証です」


 フェルモがジャンに目配せすると、ジャンはビニール袋に入った免許証と、その拡大カラーコピーをテーブルに並べた。


「被害者の身元は判明したのですか?」


 平賀が横から訊ねる。


「いえ、身元の特定までには至っていません。ただ、白骨遺体が着用していた服のサイズから、身長は推定百八十センチ、体重は推定百十キロ。

 頭髪の残留物がなかったことから、坊主頭だったと判断されました。

 そうして、遺骨から復元した顔がこちらです」


 テーブルの上に、でっぷりとした二重顎の男の復顔写真が置かれる。


「チェーリオさんは、この男性に面識があると言っていましたか?」


 平賀は食い入るように写真を見詰めながら訊ねた。


「いえ、全く知らない、事件のことも知らないの一点張りで、他の質問にも黙秘しています」


 フェルモは参った、というように肩をすくめた。


「黙秘というより、本当に何も知らない為に、話すことが無いのでは?」


 平賀の言葉に、フェルモとジャンは顔を見合わせ、苦笑いした。


「神父様方は随分、彼のことを信用されているようですが、チェーリオ・シモネッティは曲者ですよ」


「どういう意味ですか?」


「我々はまず、現場に残されていた免許証の住所へ行きました。チェーリオを重要参考人として連行する為にです。

 すると、どうです。免許証の住所は長年空き家で、彼がそこに居住していた形跡は一切ありませんでした。つまり彼は、住所を虚偽報告していたんです。

 そこで免許証の登録について調べ直しますと、彼は二年間で七度も住所登録を変更していました。そして、その全ての住所が虚偽のものだったんです」


 フェルモの言葉に、ジャンが大きく頷いて話を継いだ。


「このように虚偽の住所での登録変更を複数回行うのは、犯罪者によく見られる行動です。

 そこで我々は次に、犯罪者が身を寄せそうな人物を探すことにしました。恋人や家族、友人といったところですね。

 身内について調査すると、彼の両親は他界しており、唯一、クラーラ・シモネッティという祖母がいることが分かりました。そこで我々があの家を訪ねると、まんまと奴がいたという訳です」


「成る程……」


 ロベルトは思わず呟いていた。彼らの話に矛盾点はない。


「いいえ、私は違うと思います」と、隣で平賀がテーブルに身を乗り出した。


「チェーリオさんは、身を潜める為にクラーラさんの家に行ったんじゃありません」


「ほう……。何故、そう言い切れるんです?」


 フェルモが問い返す。


「何故なら、クラーラさんとチェーリオさんが出会ったのは、奇跡的な巡り合わせによるものだったからです」


「と、仰いますと?」


「クラーラさんは二年半ほど前、バチカンに巡礼したそうです。そこで偶然、孫のチェーリオさんと出会い、家に連れ帰ったと語っていました」


「もし仮にそれが本当なら、凄い奇跡ですね。しかしその話、本当でしょうか?」


 フェルモは皮肉げに口元を歪めた。


「何故、疑われるのです? クラーラさんが私達に嘘を話す必要はないでしょう」


 ムキになったように言い返した平賀の肩を、ロベルトはそっと叩いた。


「熱くなり過ぎだ、平賀。僕達は協力関係なんだから」


 ロベルトはそう言うと、フェルモとジャンに向かって穏やかに微笑んだ。


「貴方がたのお話は、よく分かりました。僕達はクラーラさんの為にも、事件の真相をきちんと知りたいと思っています。

 そこでもう一度、クラーラさんから詳しく話を聞き、事件のヒントがないか、確かめようと思います。

 仮にチェーリオさんが罪を犯していたとしても、それを庇ったり隠したりするのでなく、きちんと罪を反省し、償うことが彼の将来の為だとお話しするつもりです」


「それはそれは。そうして頂けると助かりますね。私達には心を開かない人間もいるが、神父様になら心を開く者もいます。特に犯罪絡みのケースではね」


 フェルモは含みを持たせるように言った。


「ええ、僕達に出来ることがあれば、喜んでご協力します。あと、宜しければこの被害男性の写真のコピーを頂けませんか?」


「復顔写真は捜査機密ではありませんし、むしろ近日中に公開するものなので構いませんが、何故そのようなことを?」


「この人物に心当たりがないか、僕達がベニッツェ村の皆さんに訊ねてみようと思ったからです」


 ロベルトの言葉に、フェルモは少し驚いた顔をした。


「それは助かります。写真の元データは署にありますので、お持ち頂いて結構ですよ」


 フェルモはロベルトに写真を手渡した。



 二人がカラビニエリ支部の門を出た所で、それまで黙り込んでいた平賀が、ピタリと足を止めた。


「ロベルト、何故、私の話を止めたんです? 検死結果などの詳細データもまだ見せて貰っていないのに、こんなに早々に退散して良かったんでしょうか?」


 平賀は抗議するように言った。


「いいから、ここは一歩下がるんだ。今ある状況証拠は、チェーリオさんにとって不利過ぎる。これを覆すには、僕達が冷静でいなければね。

 それにね、僕もクラーラさんとチェーリオさんの出会いについては、少しばかり疑問を感じているんだ」


「どうしてですか?」


「アンニョロの話では、当時のクラーラさんは随分と弱っていて、斑惚まだらぼけという感じにまでなっていたという。そんな彼女がバチカンの人混みの中から、十五年も会っていなかった孫を瞬時に見つけ出せるものだろうか。

 勿論、本当に奇跡が起こったのかも知れないよ。けど、出来過ぎた話のようにも聞こえてしまうんだ」


「……」


 平賀はロベルトの言葉に納得いかないらしく、無言であった。


「それにね、もう一つ不味い事実がある」


「不味い事実とは?」


「クラーラさんから預かった、チェーリオさんの運転免許証。あれは偽造品だ」


 ロベルトは声を落として答えた。


「えっ、本当ですか?」


「ああ。僕はこの類いのものは見間違えない」


「ええ、貴方の目は確かです。そうしますと、チェーリオさんは……」


 平賀の顔はみるみる曇り、深い皺が眉間に刻まれた。


「だからって、彼が殺人犯と決まった訳じゃない。僕は違うと思っている。ただ、何かが引っかかっている感じがするんだ」


「そうですか。では、お互いに疑問点を出し合いながら、もう一度、事件のことを整理してみませんか?」


「いいね、そうしよう」


 平賀とロベルトは頷きあったのだった。




(続く)


                ◆次の公開は11月20日の予定です。

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