スパイダーマンの謎 8-②
「成る程ね……。話を聞けば納得だ。
ということは、巨大看板を上ったり、村役場の壁を上ってフェデリーゴに手紙を渡したりした蜘蛛男は、別にいるんだね?」
「そうなります。話を続けて構いませんか?」
「勿論、どうぞ」
「まず、私は蜘蛛男がどうやって高い壁を上ったのか、見当がつきました」
「それって、村役場にあった丸いワセリンの跡と関係あるのかい?」
「ええ、勿論。あれはですね、吸盤の跡なんですよ」
「吸盤? そんなもので壁が上れるものなのかい?」
ロベルトは小さく首を傾げた。
吸盤といえば、キッチンやバスルームで使ってもすぐに剥がれ落ちてしまう、使いづらい道具という印象があったからだ。
「ロベルトは、サクションリフターやバキュームリフターと呼ばれる、吸盤状の器具をご存知ですか?
取っ手のない大きなガラスや金属板などを輸送する際に用いるもので、形状的には大きくフラットな吸盤にハンドルが付いたタイプが一般的です。
対象物に吸盤面を押しつけ、レバー操作によって円盤状の部分から空気を吸い上げて、真空状態とすることで、吸盤面を対象物に吸着させることが出来るんです」
「ああ……言われてみれば、そんな名前の器具を使って、アメリカのトランプタワーを二十一階まで上った男のニュースを聞いたことがある」
ロベルトはポンと手を打った。
「はい。吸引力の強いサクションリフターは、百キロ以上の重さに耐えることが出来ます。比較的小型のものでも、一つで三十から四十キロの重さに耐えられます。
それを複数個用いれば、人ひとりが壁を上ることに支障はないでしょう」
「じゃあ、ワセリンの跡というのは?」
「その前に、最初に目撃された蜘蛛男のケースからご説明します。
あの時、彼が上っていたごみ処理場の看板は、表面がツルツルした素材でしたから、さして苦労はなかったと思います。
時刻は深夜で、滅多に人が通らない場所です。まさか自分が目撃されるとは、蜘蛛男も考えていなかったでしょうね。それでも念の為、夜の雑木林で目立たない黒いボディスーツを着、顔を隠す為のマスクを被っていたのです。
しかし、村役場のケースは全く違います。あそこの建物の壁には小さな凹凸があり、少しザラザラしていました。この条件は、サクションリフターにとって大敵です。
そこで蜘蛛男はワセリンを吸盤面に塗り込みながら、壁をよじ上ったんです。この方法はとても効果的で、ワセリンが凹凸を埋め、吸盤面が上手く吸着します」
「ワセリンの跡が真横に四つ並んでいた訳は?」
「蜘蛛男が四つ用いたサクションリフターを、左からA、B、C、Dと呼ぶとします。Aは左手用、Bは左足用、Cは右足用、Dは右手用に使います。
BとCのハンドル部分には予め、一メートル程度のロープを結びつけ、ロープの先には
そうしておいて、四つのサクションリフターを水平に並べて壁に取り付けます。
そして左手でAのレバーを操作して吸着を外し、少し上の壁面にAを置いて再び吸着させる。次に右手でDを操作して、少し上の壁面にへばりつく。
それから左手でBを操作して持ち上げれば、ロープの先にある左足が引き上がります。最後に右手でCを操作して、右足を引き上げます。
あとは同じことを何度も繰り返すだけです。
その合間には勿論、吸着面にワセリンを塗り込まなければなりません。
だからフェデリーゴさんが蜘蛛男から受け取った手紙は、ベタベタしていたんです」
「ああ……そういうことか……」
ロベルトは感心したように唸った。
「あの日、蜘蛛男は人前に姿を現すことを選びました。手紙を直接、誰かに手渡ししなければ、ただの悪戯として片付けられてしまうと危惧したからかも知れません。
手紙を渡す相手は本来、村長さんであるべきでした。しかし、蜘蛛男はフェデリーゴさんを選んだ。その理由は、彼の部屋が建物の角にあったからだと思います」
「確かに庶務課は角部屋だったけど、それが大切なことだったのかい?」
「はい。手紙を渡されたフェデリーゴさんは、恐る恐る窓から下を探したけれど、蜘蛛男の姿はなかったと仰いました。
それは蜘蛛男が上った壁は西向きの壁で、下った壁は南向きの壁だったからです。彼は手紙を渡した後、すぐ横に動き、死角になる壁に移動したんです」
「そうか。だからあのワセリンの跡が西の壁に四つ、南の壁に四つあったんだね」
「はい」
平賀はスッキリした顔で微笑んだ。
「やはりフェデリーゴさんの目撃証言は事実だったんだね。最初の目撃者、ボニート・ボッシ氏の証言もそうだ。エレナとエンマも……。誰も嘘なんて吐いていないと言ったアンニョロは、正しかった訳だ」
ロベルトが腕組みをする。
「いいえ、ロベルト。それは違います。一つだけ、不審な証言があるじゃないですか」
平賀の言葉に、ロベルトはハッと顔を上げた。
「雑木林で蜘蛛男を見たという、チェーリオさんの証言か!」
「ええ、そうです。彼だけが、蜘蛛男が手首から糸を出して、木から木へと渡っていったと証言しました。私の推理が正しければ、蜘蛛男にそのような能力はありません」
「それに彼は、亡父と同じ運送会社で働いている。つまりサクションリフターの知識もあって、入手もしやすい」
「はい。ですから私は、蜘蛛男の正体をチェーリオ・シモネッティさんだと思います。でも、何故彼があのような行動に出たのか、動機が分かりません」
「確かにそうだね。彼はごみ処理場建設の反対派ではなく、中立派だった筈だ。
ところで、チェーリオさんが蜘蛛男を装ったことと、彼が疑われている殺人事件とは、何か関係があるんだろうか?」
「全く分かりません。ロベルト、貴方の目から見て、チェーリオさんは殺人を犯すタイプに見えましたか?」
平賀は真っ直ぐな目でロベルトを見た。
「あくまで僕の勘だけど、彼は殺人に関与する人間のようには見えなかった。クラーラさんに対する優しさや思いやりは、心からのものだった。
仮に事件に関与していたとしても、何らかの事情で巻き込まれたんじゃないだろうか」
「早く事情を明らかにしませんとね」
「ああ、そうだね。何とかしてやらないと、クラーラさんが可哀想だ」
二人があれこれ話し込んでいる間に、電車はテルミニ駅に到着した。
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