スパイダーマンの謎 7-②
※ ※ ※
その頃、平賀は双眼鏡で慎重に木の上を確認しながら、雑木林の中を歩き回っていた。
そして木々の何カ所かに、蜘蛛男の足場かと思われる痕跡を見出した。
夢中になった平賀は、いつの間にか雑木林に深く分け入っていた。こんもりとした森がすぐ側に迫っている。
尚も躊躇わず足を進めていった平賀は、森の中にも又、蜘蛛男の足場らしきものを発見した。
双眼鏡の拡大率を一杯に上げ、頭上に目を凝らす。
すると今度は、草と枝が重なり合ったその場所の上に、黒々とした何かが横たわっている。
(あっ、あれは……!)
平賀は携帯を取り出し、消防と警察に電話を入れたのだった。
※ ※ ※
アンニョロから村の歴史やオカルト談義を聞かされ続けていたロベルトは、窓の外が翳り始めたのに気付き、やや大袈裟に腕時計を見詰めた。
「おっと、そろそろ次の約束の時間です。僕は失礼しなければ」
「ああ、クラーラ御婆さんのお誘いですね。車で送って行きますよ」
「いえ、大丈夫です。歩いて行けますから」
「そうですか? でも……」
アンニョロは名残惜しそうだ。
「今日は貴重なお話を有り難うございました」
ロベルトは爽やかに会釈して、アンニョロの家を後にした。
ゆっくりした歩みを進めていくうち、空に色とりどりの夕焼け雲が浮かび出す。森は暗緑色へと変化して、風の色さえ変わっていくようだ。
(もし、あの森の奥に精霊が暮らしていたなら、この村の美しい風景を守りたいと考えても、不思議じゃないかも知れないな)
ロベルトは少し感傷的な気分を味わいながら、クラーラの家の近くまでやって来た。
すると開け放たれた家の窓から、何とも美味しそうな匂いが漂ってくる。
ロベルトは足を弾ませ、クラーラの家の前に立った。
呼び鈴を鳴らして暫くすると、チェーリオが笑顔で現れる。
「ようこそ、神父様。御祖母ちゃんが今か今かと待っていました」
「遅くなってすみません。ところで、平賀神父は来ていますか?」
「いえ、来られていませんが、ご一緒じゃなかったんですね」
「ええ、お宅で待ち合わせの約束をしています」
「そうなんですか、ではどうぞ」
ロベルトが案内されたダイニングテーブルの中央では、煮込み鍋に入ったギオッタが優しい芳香を放っていた。
鶏肉を何時間も煮込み、ニンニクやアンチョビ、ワインヴィネガー、ローズマリー、セージ、すり下ろしたレモンの皮などを炒めて作るギオッタソースで味付けしたもので、レストランでは滅多に食べられない、ウンブリア州名物の家庭料理だ。
その隣に並ぶのは、これも家庭料理に欠かせない、ポルペットーネのトマトソース。
茹で卵を挽肉で包み、円柱状にしてオーブンで焼く、ミートローフのような料理である。
大皿に盛り付けられたデザートは、素朴なカスタニョーレ。
ボール状に丸めたふわふわのドーナツに粉砂糖を振りかけた、伝統的な揚げ菓子で、謝肉祭の期間によく食べられる。
いずれももてなしの真心が詰まった料理だと、ロベルトは感心した。
「まあまあ、神父様、ようこそ」
キッチンから、笑顔のクラーラが現れる。
「本日はお招き頂き光栄です。とても美味しそうなお料理ですね」
ロベルトは本心からそう言った。
「ふふっ、有り難うございます。あと一品、パスタは生地に白ワインを練り込んだ、特製ピッキャレッリの準備をしていますのよ。あとは茹でるだけなの」
クラーラはパスタを手で捻る仕草をしながら微笑んだ。
「それは楽しみですね。もうじき平賀も来る筈なのですが……」
「じゃあ、ワインでも飲みながら待ちましょうよ。私、喉がカラカラなの」
「キッチンは熱が籠もりますからね。水分補給は大切です」
「そうなのよねえ。もしかして、神父様もお料理をなさるの?」
「ええ、まあ。ですが、こんな素敵な家庭料理は作ったことがありません」
「あらあら、お上手ね」
クラーラはワインのコルクを器用に抜いて、グラスに注いだ。
チェーリオがクラーラの隣に座る。
三人は乾杯をして、一口ずつワインを飲んだ。
その時である。玄関の呼び鈴が鳴った。
「きっと平賀神父様ね」
クラーラはいそいそと席を立ち、玄関へ向かった。
ところが玄関の方から聞こえてきたのは、聞き覚えのない男性の声だ。
何事かとロベルトが訝しんでいると、クラーラが戸惑い顔で戻ってきた。
その後ろから、屈強な男が二人付いてくる。男達の服装は、イタリアの国際警察カラビニエリのものだ。
「チェーリオ・シモネッティだな」
一人の男がチェーリオの目の前に立ち、威圧的に言った。
するともう一人が、カードのようなものをチェーリオの目の前に翳した。
「この運転免許証は、お前のもので間違いないな?」
呆然と座っていたチェーリオは、免許証を確認し、小さく頷いた。
「は、はい、そうですが……」
「一寸、署まで来て貰おう」
「えっ……」
身体を固くしたチェーリオの腕を、男が掴んで立ち上がらせる。
「何なの? 一体、何なんです?」
クラーラは狼狽えている。
「どういうことでしょう? 説明して頂けませんか? 僕はバチカンの神父でロベルト・ニコラスと言います」
ロベルトが身分証をかざして穏やかに声をかけると、男達はロベルトの方を振り向いて敬礼した。
「これはどうも、神父様……。私はカラビニエリのフェルモ・バルトロ。隣はジャン・クラヴェロです。失礼ながら、こちらのお宅とはお知り合いですか?」
「ええ。ですから、チェーリオさんを連行する訳を聞かせて頂ければと」
するとフェルモとジャンは気まずそうに顔を見合わせ、二、三言葉を交わした後、仕方がないなとばかりに肩を竦めた。
「実はこちらの免許証が、死体のすぐ側で発見されたのです」
フェルモがロベルトに差し出した免許証は、確かにチェーリオのもののようだった。但し、今よりずっと若い頃のチェーリオだ。
イタリアでは免許証の更新時に、いちいち写真を撮り直す必要がないので、酷い時には八十の老人が十代の頃の写真を使っていたりもする。
「彼は殺人事件の重要参考人という訳です」
ジャンの言葉に、クラーラが動転して叫んだ。
「そんな! チェーリオはそんな子じゃありません!」
「しかし、証拠は証拠です」
フェルモが厳しい顔で言い、二人がかりでチェーリオを引っ立てる。
「お待ち下さい。手荒な扱いはしないで下さい」
ロベルトが声をかけたが、フェルモ達は答えず、チェーリオと共に玄関を出て行った。
「ああ、チェーリオ!」
クラーラは床に泣き崩れた。
その瞬間だ。ロベルトの携帯が鳴った。着信名は平賀だ。
『平賀です。今、シモネッティ家に向かっています』
「早く来てくれ。こっちは大変なことになった。チェーリオが殺人事件の重要参考人として、警察に連れて行かれたんだ!」
『走って向かいます!』
平賀からの通話は、プツリと切れたのだった。
(続く)
◆次の公開は10月20日の予定です。
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