スパイダーマンの謎 7-①
7
二人は後ほどクラーラの家で落ち合うことに決め、ロべルトは一路、アンニョロの許へと向かった。
彼の家に着き、白い玄関扉をノックすると、ややあってアンニョロが顔を覗かせる。
「ようこそ、ロベルト神父。今日は何の御用です?」
アンニョロは好奇心溢れる目でロベルトを見、微笑んだ。
「実は、貴方に大事なお話があるのです」
ロベルトも微笑み返す。
「私に?」
「ええ」と、ロベルトが頷く。
「ひとまず中へどうぞ」
少し首を傾げたアンニョロに、室内へと誘われる。
以前と同じリビングのソファに座ったロベルトは、自分の目の前に座って紅茶を注いでいるアンニョロに、どう話を切り出そうかと考えた。そして結局の所、正攻法がいいだろうと決めたのであった。
アンニョロが紅茶を淹れ終わり、ロベルトの前に差し出したタイミングで、ロベルトはズバリと話を切り出した。
「アンニョロさん、貴方がアップした蜘蛛男の映像は、フェイク動画ですね」
するとアンニョロはビクリと腕を縮め、気まずそうに目を背けた。
「僕達がしっかり検証したので、間違いありません。そうですね?
少しばかり立ち入ったことを伺いますが、そもそも貴方は普段、何の仕事をしているのです? どこかにお勤めの様子もありませんが、生活に困っている風でもない。フェイク動画の作成を生業にしているのでしょうか? それで荒稼ぎしているとか?」
ロベルトが鋭く畳み掛けると、アンニョロは動揺して目を泳がせた。
「ま、まさか……。フェイク動画を作ったのは、あれ一度きりですよ。友人に作り方を教えて貰って作ったんです」
「それはそれは。大したご友人をお持ちなのですね」
ロベルトが疑惑の目でアンニョロを見ると、アンニョロは観念した様子で溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「あれこれ説明するより、見て貰った方がいいでしょう。仕事部屋まで着いて来て下さい」
アンニョロはそう言うと、リビングから続く階段へと向かった。ロベルトがその後に続く。
二人は階段を上り、アンニョロの仕事部屋に入った。
正面にシンプルな机と椅子があり、机の上にはパソコンと大きめのモニタが置かれている。
左右の壁は一面、作り付けの本棚になっており、霊や未確認生物、未確認飛行物体等に関する本がびっしりと並んでいた。
さながらオカルト専門ライブラリーだ。
アンニョロは骨の髄までオカルト好きな様子だと、ロベルトは舌を巻いた。
「ここにある本は、私の資料だったり、私の著作だったりするものです」
アンニョロは誇らしげに言った。
「著作と言いますと?」
「私はね、三つのペンネームを持つオカルト作家なんです。でもそのことは、村の人間には知らせていません」
アンニョロは一冊の本をロベルトに示した。
カバーの袖部分に、小さく著者の写真が入っている。それは逆光で撮影された画像の粗いモノクロ写真だったが、確かにアンニョロの特徴と一致する。
「成る程……。それで貴方は、自らオカルトネタを作り出したくて、この村に蜘蛛男の話を広めたという訳ですか? 他の村人達も巻き込んで、話を盛り上げた?」
「まさか、違います! 私がしたのは、ただの後押しです」
「後押し?」
「ええ。村の人間が蜘蛛男を目撃したことは事実です。私はこれっぽっちも彼らに偽証させたりはしていません。
大体私はね、子どもの頃から、この村の雑木林や森で不思議なものを見て過ごしてきたんです」
「不思議なもの、とは?」
ロベルトは眉を顰めた。
「妖精だったり、フライング・ロッドだったり、不思議な光だったりですよ。その影響で、私はオカルト作家になったんです。
この地は本当に、何と言うか……一種のパワースポットなんですよ。そんな所にごみ処理場なんて、造るべきじゃないんです。
そう思っていた矢先、村人が次々と蜘蛛男を目撃し始めたんです。なのになかなか建設反対運動が盛り上がらない。
その時、私は自らの使命を自覚しました。人々がハッキリと蜘蛛男をその目で見たならば、彼のメッセージも皆にしっかり伝わるに違いないと。そう思って、あの動画を作ったんです」
「では、貴方が僕達に紹介した方々は、本当に蜘蛛男を目撃したと?」
「勿論です。そこに私の関与は一切ありません」
アンニョロの顔は真剣そのものだ。嘘を吐いている様子はないし、わざわざ自分がオカルト作家だなどという不利になる真実まで、正直に晒している。
「つまり貴方の目的は、ごみ処理場建設の反対運動という訳ですか?」
「それは蜘蛛男のメッセージでもあります」
「随分、蜘蛛男にシンパシーを抱いているようですね。しかし、その蜘蛛男とは一体、何者なんでしょう?」
するとアンニョロは小さく咳払いをし、ひっそりと声を落とした。
「蜘蛛男の正体……。それは、森の精霊です」
「えっ?」
「つまりですね、ごみ処理場建設に怒った森の精霊が、人々に分かりやすい蜘蛛男の姿を借りて、抗議しに現れたんですよ」
アンニョロは大真面目に答えた。
彼のオカルトに対する心酔は本物らしい。
「えっと……ですが確か、最初に目撃された蜘蛛男は、自らをスパイダーマンと称してサインを書いたんですよね。つまり森の精霊が、人間界のヒーローのことを知っていたと?」
思わず問い返したロベルトに、アンニョロは悠然と頷いた。
「ええ、何しろ精霊ですからね。何を知っていても、おかしくありません。
何しろ、かの森には古くから、ラーニョが住んでいると言われていました」
そう言うと、アンニョロは、本棚から古びた冊子を取り出した。表紙に「ベニッツェ村の歴史」と書かれたものだ。彼はそのぺージを繰って、ロベルトに示した。
そこには、昔、この村でラーニョに捧げる織物大会が、年に一度行われていた、と書かれ、村人達の賑わいの様子が描写されている。
「そもそもラーニョとは」と、アンニョロは得意げに語り始めた。
「別名をアラクネーといい、機織りが大層得意な乙女でした。
彼女の機織りの仕草は優雅で美しく、技術も素晴らしかったので、森や泉の妖精達は、いつも彼女を見に集っていたといいます。
するといつしか彼女は、工芸や機織りを司る女神アテーナと自分が同等か、それより優れていると考えるようになったんです。
『女神アテーナと勝負してみたいものだわ、負けたらどんな報いでも受けましょう』
そんな風に驕ったアラクネーに怒りを覚えたアテーナは、彼女を諭す為、老婆の姿を借りて神々の怒りを買うことのないよう、警告を与えました。
ところがアラクネーがそれを聞き入れず、尚も女神アテーナとの勝負を望んだ為、アテーナは正体を現して、彼女と織物勝負をすることになったんです。
アテーナの作った織物は、オリンポスの十二神を描いた見事なものでした。
一方、アラクネーの織物も、アテーナを感心させる程に見事なものでしたが、神々の失敗や過ちを描き出していました。そこには神々に対する不遜な心や不敬の念が表現されていたんです。
これに激怒したアテーナは、横糸を通すための機織り道具・
この辱めに逆上したアラクネーは、その場を逃げ出し、首を吊って死んだのです。
アテーナはアラクネーを哀れに思い、彼女の首にかかった紐に手を触れました。
『生き返りなさい、罪深い女よ。このことを忘れないように、子々孫々ぶら下がり続けなさい。自慢の機織りの腕を振るいながら、生きるのです』
アテーナがアラクネーにトリカブトの汁を掛けると、彼女の髪は抜け、鼻もなくなり、身体は縮んで頭は小さくなり、脚は胴から細長く伸びました。
そう、彼女は蜘蛛に生まれ変わったのです。それ以来、蜘蛛は糸を出して宙にぶら下がり、糸を紡いで巣を作り続けるようになったのです。
と・こ・ろ・が、話はここからなのです!」
アンニョロは頬を紅潮させ、一段高く声を張り上げた。
「いつの間にかアラクネーの姿は、女性の上半身と蜘蛛の下半身を持つ怪物の姿へと変貌していきました。一体それは、何故だと思いますか?」
ずいっと身を寄せてきたアンニョロに、ロベルトは一歩後ずさって応じた。
「その……諸説ありますが、例えば十四世紀に書かれたダンテの『神曲』には、煉獄山の環道に、傲慢の罪を犯した象徴として、十三の彫刻があったと記され、中には半ば蜘蛛と化したアラクネーの彫刻もありました。
もともとギリシャ神話におけるアラクネーの変身シーンも強烈ですし、ダンテの描いたアラクネーのイメージも、多くの画家にインスピレーションを与えたと言われます。
中でも有名な絵は十九世紀の画家、ギュスターヴ・ドレの筆によるものでしょう。ドレはアラクネーの変身を、苦悶する女性の上半身とそこから生える醜い蜘蛛の脚という、キメラの姿として描きました。官能的でドラマティックなその絵面が多くの人々を魅了したことが、一つのきっかけであったとは、考えられるかも知れません」
ロベルトの言葉に、アンニョロは目を輝かせた。
「おおっ、凄くお詳しいんですね! さては神父様、貴方も私と同様、この手のお話が大好きなのですね」
「いや……僕はそんな……」
「まあまあそう仰らず、ここは同好の士として仲良くやりましょう」
アンニョロは満面の笑みでロベルトの手を強引に取り、固く握手をした。
「しかしながら、その話と蜘蛛男の話の関係性は?」
ロベルトの問いかけに、アンニョロはエッヘンと咳払いして胸を張った。
「つまりですね、ただの蜘蛛にされた筈のアラクネーは、ある時から半人半虫の姿へと変化しました。その時代の人々がそう望んだからです。
ならば現代のアラクネーが蜘蛛男の姿を取ったとしても、不思議はないと思いませんか? 蜘蛛男の姿が、今の私達の心が待ち望んだヒーロー像だったからですよ。
もともとアラクネーことラーニョは、女神アテーナによって命を授けられた奇跡の存在です。それがベニッツェ村の人々の心に感応し、新たな姿となって甦ったんですよ」
「ああ……成る程……」
「ええ、そうですとも」
アンニョロは嬉しそうに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます