スパイダーマンの謎 6-②

 ホテルの受付でタクシーを呼んでもらい、家電量販店へと向かう。


 目的地に着いた二人は、まず地階の食品のスーパーに入った。


「これは……思ったより広いですね」


 平賀は入り口で立ち止まり、キョロキョロと辺りを見回している。普段滅多にスーパーへ行かない男だから、何処に何が売っているのか、見当が付かない様子だ。


「探し物は何だい?」


 ロベルトは横から訊ねた。


「小麦粉です」



  小麦粉? まさか平賀が料理などする筈は無いが……



 ロベルトは訝しく思いつつ、フロアをぐるりと見渡した。


「多分、こっちだと思うよ」


 ロベルトが足を進め、平賀がその後についてくる。


 調味料が並んでいる棚を越えると、パスタが並んでいる棚に出た。小麦粉は多分、その棚の端辺りにある筈だ。


 ロベルトの直感は当たり、大小の紙袋に入った小麦粉が山と積まれたコーナーに出た。幾つかの袋が破れて、辺りが粉だらけになっている。イタリアではよく見かける光景だ。


「どの種類がいいんだい?」


「一般的なもので大丈夫です」


「一般的といっても、ピザ用とかパスタ用とかお菓子用などがあるけど。パスタ用のデュラム小麦には、ザラザラした一度挽きのセモリナと、サラサラした二度挽きのリマチナータが……」


 詳しく説明しかけたロベルトの言葉の途中で、平賀は適当な手つきで二キロ入りの小ぶりな袋を選び、小脇に抱えた。


「これでいいです」


「あ、そう……」


 平賀はいそいそと会計を済ませ、ロベルトを振り返った。


「さて。次は家電店で、ヘアドライヤーを買います」


「ヘアドライヤーなら僕も愛用のものを持ってきているし、ホテルにも付いているじゃないか。見なかったのかい?」


「いえ。充電式のヘアドライヤーでないと駄目なのです」


「そっ、そうなんだ」


 平賀の真剣な目にたじろぎながら、ロベルトはエスカレーター脇にある案内ボードから、ドライヤー売り場を探した。三階である。


 二人はエスカレーターで三階へ向かった。


 スチーマーや美顔ローラー、エアーマッサージャーなどの美容家電がずらりと並ぶ中に、ヘアドライヤーのコーナーはあった。


 丁度其処で品出しをしていた店員に、ロベルトが声をかける。


「すみませんが、充電式のヘアドライヤーはありますか?」


「充電式のヘアドライヤーですね。こちらです」


 店員は愛想よく、先頭に立って歩き出した。


 そうして立ち止まった所に並んだドライヤーの中から、二つの商品を取り出した。


「充電式は、こちらの二点です。いずれも冷風、熱風モードがあり、色はそれぞれ、赤、白、黒、茶色とご用意できますよ」


「有り難う」


 ロベルトは頷き、平賀に訊ねた。


「平賀、どっちがいい? 色は?」


「安い方がいいです。色は何色でも構いません」


 平賀の即答に、店員は目を丸くした。


「分かった。じゃあ、安い方で。色はそうだな、黒でいいよ」


 ロベルトが答えると、定員は棚の下に並んだ在庫の中から、『黒』と表示された箱を取り出し、ロベルトに手渡した。


「さて、他には?」


 ロベルトが訊ねると、平賀はニコリと笑った。


「これで十分です」


「それで、小麦粉とヘアドライヤーで何をする気だい?」


「蜘蛛男の足跡を掴むのです」


 平賀は自信たっぷりに答えた。



翌朝、充電したヘアドライヤーと小麦粉を手に、二人は村役場へと向かった。


 三日月形の跡が残った、壁の前に立つ。


「ワセリンは、壁などに付着してしまった場合、この気温だと乾いてしまいます。そこで、このヘアドライヤーの出番です。ワセリンの融点は、概ね三十八度から六十度の間なので、その温度の熱風を浴びれば、粘度が復活するんです。

 ロベルト、私がドライヤーを壁に当てますから、貴方は、私が熱風を当てた所に向かって、小麦粉を吹きかけて下さい」


「吹きかけるとは? どうやって?」


「掌で小麦粉をすくって、それを息で壁に吹き付けるような感じです」


「成る程、やってみるよ」


「では」


 そう言うと、平賀はヘアドライヤーの熱風を、三日月形の汚れの周囲に吹き付け始めた。


 暫くして作業を終え、「ロベルト、お願いします」と言う。


 ロベルトは、両掌の上に載せた小麦粉を、壁に向かって吹きかけた。


 オレンジ色の村役場の壁に、白い小麦粉が付着していく。


 それはみるみるうちに直径二十センチほどの丸い形に落ち着いた。


「これが君の言う、蜘蛛男の足跡かい?」


 不審げに訊ねたロベルトに平賀は答えず、じっとその白い円を見ていたが、突然、何かを閃いた様子で、ドライヤーを構えた。


 そして白い円の右隣辺りの、何も無い壁に向かって、熱風を当て始めた。


「ロベルト、もう一度、私がドライヤーを当てた場所に、小麦粉を吹きかけて下さい」


「分かった」


 ロベルトが壁に小麦粉を吹きかけると、再びその場所に白い円が現れた。


 平賀はさらに右隣のスペースにドライヤーを当てている。


 ロベルトはその場所にも、小麦粉を吹きかけた。


 同じ作業をもう一度繰り返すと、二人の前には、十五センチほどの間隔を空けた白い円が四つ、横一列に並んだ。


 それを見て、平賀はふむふむと頷いている。


 最後に現れた白い円は、建物の端の部分に近かった。


 平賀は建物の角を曲がると、再び何も無い壁に向かって、ドライヤーを構えた。


「ロベルト、こちらにもお願いします」


 平賀がドライヤーの熱風を壁に吹き付けていく。


 ロベルトは意味も分からないまま、ひたすら壁に小麦粉を吹きかけた。

 すると、どうだろう。


 その壁にもまた、横一列に並んだ白い円が四つ、現れたではないか。


(一体、これは何だ……?)


 ふうっと額の汗を拭ったロベルトは、時計を見た。アンニョロとの約束の時間が迫っている。


 カメラを持ち、壁の写真を撮っている平賀の背に、ロベルトは声をかけた。


「平賀。僕はこれからアンニョロと会わなければならないから行くよ。この蜘蛛男の足跡のことは、後でゆっくり説明してくれたまえ」


「ええ、分かりました。私はこの後、雑木林を探索してきます」


 平賀はそう言うと、カメラとヘアドライヤーと小麦粉の袋を鞄にしまい、代わりに双眼鏡を取り出したのであった。




続く




                     ◆次の公開は9月20日の予定です。

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