スパイダーマンの謎 5-①


   5


 シモネッティ家を出た平賀とロベルトは、予約していた隣町のホテルまで、アンニョロの車で送ってもらった。ベニッツェ村には、旅行者向けの宿泊施設がなかったからだ。


「それじゃあ、明日の昼十一時頃、ホテルのロビーへ迎えに来ます」


 そう言って、アンニョロが帰っていく。


 二人はホテルの受付で、チェックインの手続きを始めた。


「平賀様は、神父様でいらしたのですね」


 フロント係は、何故か好奇と安堵が入り交じった表情で、平賀を見詰めた。


「はい」と、平賀が頷く。


「平賀様宛の大きなお荷物は、ご指示通り、お部屋にお運びしておきました」


「有り難うございます」


(いつの間にそんな手配を……)


 ロベルトが驚いている横で、平賀は微笑んで鍵を受け取り、二人は部屋へ向かった。


 室内には、大きな木箱が一つ鎮座している。


 早速、平賀がそれを開くと、中には成分分析機と電子顕微鏡、幾つかの化学薬品とトレー、スポイト、試験管などが入っていた。


 普段の奇跡調査よりは少ない荷物だと、ロベルトは安堵しながら、いつものように部屋の家具を移動させ、窓際に平賀のコーナーを作って機材を配置していった。


 部屋を整え終えると、平賀は机でノートパソコンを開き、今日、証言者達から入手した写真や動画を見始めた。


 ロベルトは部屋に備え付けのコーヒーを淹れながら、平賀に問い掛けた。


「今日の話、どう思う?」


「興味深いですね」


「僕は、エレナとエンマの話が、特に鬼気迫ってたように感じたよ」


「ええ、恐怖心が感じられました」


「それに比べると、アンニョロは少し怪しい。もともとオカルト好きっぽいしね」


「決めつけるのは、よくありませんよ、ロベルト」


「まあ、確かにね」


 ロベルトは平賀の前にコーヒーを置き、その隣に椅子を運んで座ると、自分のコーヒーをすすった。


「動画の方は、どんな具合だい?」


「しっかり分析してみないと分かりませんが、今のところ私ではフェイクか、そうでないか分からない次元です。でも動画や写真はどうであれ、あの二十メートルの高さの看板に落書きできる人間はいないでしょう」


「確かに謎だね」


 ロベルトは高くそびえ立った看板の情景を思い出し、頷いた。


 平賀は暫く動画を見て、それからアンニョロのサイトを立ち上げた。


 ごみ処理場反対票のカウントが伸びている。


「やはり、正義の味方の支持率は高いものだね。この村に何の関係もない人達も、このカウントに入っているんだろうね」


「ええ」


 平賀は上の空で答え、アンニョロのサイトを隅々まで、食い入るように見詰めている。


 ロベルトは小さく欠伸をした。


「さてと。僕は軽くシャワーを浴びて休むとしよう。君も余り根を詰めるんじゃないよ。何せ今は休暇中なんだから、休まないと」


 ロベルトは平賀の肩を軽く叩いて、立ち上がった。



 翌日の昼、アンニョロが約束通り迎えに来た。


「これから話を伺うのは、フェデリーゴ・ドメニコという人ですよね」


 ロベルトが話しかけると、アンニョロは「ええ」と頷いた。


「フェデリーゴは村役場の庶務に勤めているんです。今から行けば、昼休みに間に合いますから、そこで詳しい話を聞いて下さい」


 アンニョロは自信たっぷりに答えた。


 車は村へ入り、村で一番広い道路を走った。


 そして、オレンジ色のレンガ造りの四階建ての建物の前で停まった。


「ここが村役場です」


 アンニョロが車を降りる。平賀とロベルトも後に続いた。


 役場の建物に、エレベーターはなかった。受付カウンターの横から階段を上り、窓口の並ぶ二階、書庫らしき三階を通って四階に着く。


 すると、廊下沿いに幾つもの無機質な扉が並び、それぞれ人事課、保険課、経理課などのプレートがかかっている。


 アンニョロは一番奥にあった庶務課のドアを遠慮なく開いた。


 少し薄暗く、がらんとした部屋の中には、スチール製のキャビネットが置かれ、壁に「節電しましょう」のポスターが貼られている。


 四つ並んだ事務机には一人だけ、男が座って書き物をしていた。


「フェデリーゴ、話をしていたバチカンの神父さん達を連れてきたぞ」


 アンニョロが声をかけると、四角い顔立ちに縁の太いフレームの眼鏡をかけた男が顔を上げた。


「これはどうも。アンニョロから話は伺っています。庶務長のフェデリーゴと申します」


 フェデリーゴは、ハンカチで汗を拭きながら会釈した。


 随分と緊張した声だ。クラーラの言っていた通り、真面目そうな男である。


「お時間を取らせてすみません。僕はバチカンの神父で、ロベルト・ニコラスといいます。こちらは、平賀・ヨゼフ・庚神父です」


 ロベルトと平賀は、交互にフェデリーゴと握手を交わした。


「どうぞお座り下さい」


 フェデリーゴは職員用の椅子を、自分の机の傍に配置した。


 三人は言われるままに腰かけ、平賀は鞄からレコーダーを取り出して机に置いた。


「フェデリーゴさん、貴方が蜘蛛男を見たというのは本当ですか?」


 早速、平賀が切り出した。


「ええ、本当です」


「その時の状況を、詳しくお話し下さい」


「はい。あれはつい三日前のことです。私は事務処理がなかなか片付かず、部下を帰らせて残業していたんです。夜の九時までかかって、仕事を一通り終え、帰る準備をしていた時でした。ふと、異様な物音に気付いたんです」


「異様な物音? 具体的にはどのような?」


「ええ、何というか、ペタン、ペタンと、扁平足の人間が裸足で歩いているような音です。でも当然、役場の廊下を裸足で歩くような職員はいませんし、第一、夜の九時まで残業していたのは、恐らく私だけの筈です。

 しかも、その足音は、あの窓の方から聞こえてきたんです」


 そう言うと、フェデリーゴは彼から見て右手にあった窓を指さした。


「それで?」


「気味が悪くて、ゾッとしながら、急いで机を片付けていますと、生温かい風がふわっと吹いてきました。

 思わずそちらに目をやると、少し開いたガラス窓から、蜘蛛男が顔を覗かせていたんです。

 私は腰を抜かして、ひっくり返りました」


「そんなに驚いたんですか? 相手は一応、正義の味方でしょう?」


 ロベルトが不思議に思って訊ねると、フェデリーゴは目を大きく見開いた。


「そりゃあ、蜘蛛男は正義の味方って言われていますけど、実際、夜に突然、四階の窓から人間離れした顔がぬっと覗いてきたら、度肝を抜かれますよ」


「成る程、そういうものですか」


「そうですとも」


 平賀は携帯でアンニョロが撮った蜘蛛男の動画を、フェデリーゴに見せた。


「貴方が見たのは、この蜘蛛男ですか?」


「あっ、ええ、そうです」


「それで、蜘蛛男はどうしたんです?」


 再び、平賀が話を巻き戻す。


「今度は窓から腕を差し入れてきました。手には白い封筒を持っていて、それを床に落としたんです。それからすうっと窓を閉め、姿を消しました。

 私は恐る恐る、這うようにして窓の方へ行き、窓を開けて下を見てみました。

 でも、蜘蛛男の姿はもう何処にもありませんでした。

 それで、床に落とされた封筒を拾い上げてみました。その封筒は、何だかベタベタして気持ち悪かったです」


「封筒には、何が入っていたんですか?」


「村長に宛てた手紙です。内容は、廃棄物処理場の建設確定計画を無効にして、聖なる大地を守らんことをお勧めする……というものでした」


「その手紙、何処にあります?」


 平賀が瞳を輝かせた。


「村長宛のものですから、すぐに村長室に届けました」


「では、今は村長さんが持ってらっしゃるのですか?」


「さあ……。翌日、私は村長に会いに行き、蜘蛛男を見たと話したのですが、全く信じて貰えませんでした。それどころか、おかしな手紙を書いたのは私自身で、建設反対派なのだろうと疑われました。いずれにせよ、ただの悪戯には付き合っていられないから、手紙は捨てると、村長は仰いました。

 それ以降、職場で蜘蛛男の話には触れていません……」


 フェデリーゴは溜息を吐いた。


「ロベルト、行きましょう!」


 平賀は勢いよく立ち上がった。


「行くって何処に?」


「村長の所にですよ」


「村長室なら、経理課の隣です」


 アンニョロが説明する。


 平賀は頷き、部屋を駆け出していった。ロベルトは慌てて、それに続いた。


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