スパイダーマンの謎 4-①


  5


 三人を乗せた車が、雑木林の中の道を走っていく。


 暫くすると、アンニョロはシモネッティ家の事情について語りだした。


「クラーラ御婆さんはね、ずっとこの村で生まれ育った、しっかり者の女性なんです。

 早くに夫を亡くしてからは、役所の仕事をしながら、一人息子のチェルソを育てていたんですが、そのチェルソは若いうちに都会に出ましてね、嫁を連れて戻ってきたんです。そして孫のチェーリオが生まれました。

 一家は暫く仲良く平和に暮らしていたんですが、街の運送会社で働いていたチェルソが不意の交通事故で亡くなってしまったんです。確かチェーリオが十二歳の年でした」


「それはお気の毒に」


 平賀とロベルトは同時に声を発した。


「ええ、全くそうなんです。チェルソが亡くなると、女房はチェーリオを連れて出て行ってしまい、クラーラは一人取り残されました。

 それでも気丈なクラーラは仕事を頑張っていましたが、定年になり、たった一人でいる時間が増えたせいでしょうかね、どんどん弱っているように見えました。斑惚まだらぼけという感じにまでなって、知り合いは心配していましたよ。一時は、ボランティアの独居老人サービスを受けているっていう感じだったんです。でもね、孫のチェーリオが二年半ほど前に戻ってきてからは、めきめき元気になりましてね。本当に良かったんです」


 アンニョロが話をしている間に、雑木林が切り開かれた場所に出た。


 小さな家の明かりが見える。家の周囲は、小さな畑で囲まれていた。


 車は家の前で止まった。


「着きました」


 アンニョロが車から降り、平賀とロベルトもそれに続いた。


 白い壁に、オレンジ色のドアがある平屋の家が立っていた。


 アンニョロが呼び鈴を鳴らす。


 すると直ぐに、ドアが開いた。


 立っていたのは、小柄で、愛嬌のある丸顔の老女であった。


「アンニョロ、来たのね。待っていたわよ」


「約束通り、バチカンの神父様を連れて来たよ、クラーラ御婆ちゃん」


 アンニョロが、平賀とロベルトを指し示すと、クラーラは頬に手を当てて、感動した顔をした。


「まぁ、神父様方、いらっしゃいませ。今か今かと首を長くして待っていたんです。どうぞ、お入りになって」


 平賀とロベルトがクラーラの言葉に従って家の中に入っていくと、料理の良い香りが漂ってきた。


 こぢんまりとした清潔なリビングに通される。


 優しい木目のダイニングテーブルと椅子のセットがあり、テーブルの上には五人分のサラダやブルスケッタが並べられていた。


 キッチンの方では、煮物をかき混ぜている青年の後ろ姿が見えた。


「神父様方は、こちらに座って下さいな」


 クラーラが指示した三つ並んだ椅子に、平賀、ロベルト、アンニョロが座る。


「チェーリオ、煮物の具合はどうかしら?」


 クラーラがキッチンに立つ青年に呼び掛けると、青年はこちらを振り返った。


 年の頃は二十代後半。なかなかハンサムで、優しい顔立ちの青年である。真っすぐな眉と、大きな瞳が特徴的だ。


「もういけると思うよ、御祖母ちゃん」


「そう。ならテーブルにお出しして」


 そう言うと、クラーラは平賀の向かいに座った。


 暫くすると、チェーリオがトレーに深皿をセットして、運んできた。


 目の前に出されたのは、どこか懐かしい匂いのするミートボールのトマト煮込みである。


 チェーリオは皿を配り終えると、クラーラに優しく前掛けを付けて、隣に座った。


 微笑ましい祖母と孫の図だ。


「遠い所をよくお越しで、お疲れ様です」


 チェーリオは平賀とロベルトに丁寧な挨拶をした。


「こちらこそ、お話を聞かせて頂けるのは助かります」


 ロベルトが言うと、クラーラは、じれったい様子で口を開いた。


「そんなことは食事の後にしましょう。折角、バチカンの神父様がいらっしゃったのだから、祝福を頂かないと。ああ、そうだ、夕餉ゆうげの祈りは神父様方にお願いしたいわ」


 平賀とロベルトは、これに応え、二人で食事の祈りを唱えた。



  父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事を頂きます。

  ここに用意されたものを祝福し、

  私達の心と体を支える糧として下さい。

  私達の主イエス・キリストによって。アーメン。



「やっぱり、神父様方にお祈りをしてもらうと、有難味が違うわね」


 クラーラは嬉しそうに言うと、徐に食事を始めた。


 他もそれを合図にしたように、食事を開始する。


 焼いた茸とたっぷりの野菜が乗ったブルスケッタは、野趣味があって美味であったし、ミートボールのトマト煮込みは、素朴だが、肉の旨味とハーブが効いた逸品である。


 ロベルトは舌鼓を打った。


「非常においしいです。クラーラさん」


 ロベルトが言うと、クラーラは目を細めた。


「私ね、神様には本当に感謝しているのよ。この子と再会出来たのも、神様のお陰なの」


 クラーラがチェーリオに目配せをした。


 チェーリオが、うん、と頷く。


「と言いますと?」


 平賀が訊ねた。


「私ね、この子と再会するまでは、年々、体も弱ってきていて、孤独死するものだと思っていたわ。それでね、最後になるかもしれないと思って、バチカンに行くことにしたの。

 広場で法王様のお話を聞いて、少しお腹が空いたから、食事の出来る店を探していたのよ。そうしたら、ベンチにぽつんと座っているこの子を見つけたのよ。一目でチェーリオだって分かったわ。だって十二歳で出て行った時と、少しも顔つきが変わっていなかったから」


「それは凄い偶然ですね」


「そうでしょう? 十五年間もどこでどうしているか分からなかった孫が、目の前にいるなんて、本当に奇跡が起きたのだと思ったわ。それで慌てて声をかけたら、この子も驚いて、それから話をしたの。

 そうしたらこの子、勤めていた店が倒産して、途方に暮れているって言うのよ。だから、私『それなら、暫く御祖母ちゃんの所にいたらどう?』って、言ったの。再就職先が、決まったら出て行けばいいだけだからってね。

 それで、この家に一時戻ってくることになったのだけど、私が元気が無かったからね。心配してずっとそばにいてくれて、今は亡くなったこの子の父親が勤めていた運送会社で働きながら、私や畑の面倒を見てくれているのよ。とても優しい子で、私は本当に良かったけれど、この子を田舎に閉じ込めるのも可哀想に思っているわ」


 すると、チェーリオはクラーラの肩に手を置いた。


「大丈夫だよ、御祖母ちゃん。僕はここでの暮らしは気に入っているんだ。好きで、ここにいるんだって言ってるでしょう?」


「有難うねぇ……」


 クラーラとチェーリオが少ししんみりしている所に、平賀がケロリと本題の話を始めた。


「ところで、蜘蛛男のことなんですが、チェーリオさんは、雑木林の樹上を飛び回っている蜘蛛男を見たんですよね?」


(なんて無粋な間合いだろう……。しかし、平賀らしい……)


 ロベルトはクラーラとチェーリオの顔色を窺いつつ微笑んだ。


「あっ、ええ。見ました。携帯で写真も撮っています」


「それ、良ければ見せて貰えますか?」


「はい」


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