スパイダーマンの謎 3-③


 車庫に行くと、黒いバンと、赤い乗用車が停めてあった。


「赤いのが、私の車です」


 エレナが言った。


 平賀とロベルトが近づいてみると、後部座席に食料品を積み込んでいるその車の屋根の部分には、エレナが言った通り、へしゃげた跡がある。


 いかにも重たいものが、上から落ちてきたという跡だ。


 そして右手のサイドミラーは、どうやったらこんな風になるのかというぐらい、捻じ曲げられていた。


「エンマ、君は助手席にいたんだよね。その時、何が起きていたか、サイドミラーは見てなかったのかい?」


 ロベルトが訊ねると、エンマは首を振った。


「怖くてお姉ちゃんにしがみついていたから、何も見ていないの」


「成る程、そうか。有り難う」


 その間に、平賀は車の屋根や、ねじ曲がったサイドミラーを携帯で撮影している。


 そして興奮気味に言った。


「このサイドミラーの曲がり具合は尋常ではありませんね。エレナさんに急発進され、車から振り落とされないように、咄嗟にサイドミラーを掴んだのかも知れません。これが、エレナさんとエンマさんを追ってきた人物がやったことなら、とんでもない握力の持ち主ですよ。二百キロ以上はありそうです。通常の人間では考えられません。超人の仕業です」


「蜘蛛男なら、あり得ますね」


 アンニョロは妙に確信的に言った。


「エレナさん。私達を、その木の上に立つ人影を見たという場所に連れて行ってもらえませんか?」


 また、エレナがチラリとアンニョロを見る。


「大丈夫だよ。エンマなら私が家へ送っていくから」


 アンニョロが答えると、エレナは平賀に向かって頷いた。


 エレナの車に二人が乗り込み、アンニョロの家を出た時には、日はとっぷりと暮れていた。


 国道を走る車から、巨大な立て看板が見えて来る。


「あれが、蜘蛛男が上ってメッセージを書いた看板のようだね」


「ええ、随分と大きな看板です。あの上にメッセージとなると、確かによく目立ちますし、話題になるでしょう」


 そんなことを二人で話し合っていると、エレナの車は国道から雑木林に続く細い道へと入っていった。


 丁度、車一台分の幅しかない暗い道を走っていく。


 暫くすると、エレナは車を停めた。


「ここからは徒歩なんです」


 エレナの言葉に平賀とロベルトも車を降りる。


 そこから五分ほど歩くと、太いオレンジの木に周囲を囲まれた、小さな広場のような場所に出た。切り株が二つ並んであり、にれの木の近くには、低くて枝分かれした植物が生えている。


「ここが、私達姉妹の秘密基地です。いつも切り株に座ってお話しするんです」


 エレナが言った。


 平賀は持ってきた懐中電灯で辺りを照らし始めた。


「人影を見たのはどの辺りですか?」


 エレナは、一本のオレンジの木の上を指さした。


「あの辺りでしょうか。上から数えて五番目くらいの高い枝の上に立っていたんです」


 平賀は、真剣な表情で位置を確認している。


「目算で、地上二十メートル近い所にいたということになりますね」


 そう言うと、平賀はその木に近づいて、木や木の周囲の地面を、懐中電灯の明かりで照らしながら、熱心に観察を始めた。


「何を見ているんだい?」


「一応、現場はしっかりと調べておきませんと……」


 そう言いながら、今度は周囲に生える低木を、手にして観察し始めた。


「エンマさんの言っていた白い香りのいい花というのは、これのことですね。確かにこの辺りに群生している様ですね」


 そう言うと、平賀は一つ、納得したように頷いた。


「何の花だったんだい?」


「ヴェルノニアと呼ばれる、数輪がまとまってつくキク科の植物です。花は白。樹高は三メートル程度まで高くなります。原産地は熱帯アフリカなんですが、気候の温暖な所にも広まっています。この辺りだと、とても珍しいものでしょうね」


「何か蜘蛛男の手掛かりになりそうかい?」


「まだ、よくは分かりません」


「そうか。じゃあ、一旦、戻るとするか」


 二人はエレナに送られ、アンニョロの家へと引き返した。


 扉をノックすると、アンニョロが出迎える。


「エンマは家に送り届けたよ」


 アンニョロの言葉に、エレナが頷く。


「じゃあ、私も家に帰ります」


「ああ、気を付けてお帰り」


「ご協力、有り難うございました」


「今日聞いた話は秘密にしておくからね」


 アンニョロ、平賀、ロベルトの言葉に送られ、エレナは車を発進させた。


 家に戻り、コーヒーメーカーの前に立ったアンニョロの後ろ姿を見ながら、ロベルトは腕組みをした。


 今まで蜘蛛男の存在を含め、半信半疑で平賀について来たが、少し怪しげなアンニョロという男はともかくとして、訳ありのエレナとエンマ姉妹が、二人で会っていたことを隠しているにも拘わらず、嘘をつくということは考え辛かった。


 確かに、この村には得体の知れないものがいるに違いない。


ロベルトが考え込んでいると、コーヒーを持ったアンニョロが、次の目撃者の話を始めた。


「エレナとエンマが雑木林で蜘蛛男と遭遇した後、私があの動画を撮った訳です。それから更に三日後に、チェーリオ・シモネッティという若者が、同じく雑木林の樹上を飛び回っている蜘蛛男の姿を目撃し、その撮影に成功したんです」


「その人にも会えるのですか?」


 平賀が訊ねると、アンニョロは「ええ」と頷いた。


「事前に連絡は入れてありますから、今から行きましょう。チェーリオの祖母のクラーラは、とても信心深いご婦人でね。バチカンの神父様が訪ねてくると言ったら、大喜びで、夕食をご一緒したいと言っていました。チェーリオの家は、雑木林の中にあります。私の車で行きましょう」


「その雑木林というのは、ごみ処理場の建設予定地なのですよね。今、何世帯くらい住んでいる方はいらっしゃるのですか?」


「三十世帯くらいですね。でも雑木林だけが、ごみ処理場の予定地ではありませんよ。私のこの家の一帯も、その区画の中に入っています」


「立ち退き話に反対している人は大勢いるのですか?」


 ロベルトは探るように聞いてみた。


「それが嘆かわしいことに、政府からのお金に目が眩んで、殆どの者が立ち退きを良しとしています。でも、私は真っ平ごめんだ。絶対に立ち退く気はありません」


「成る程。それで、蜘蛛男のまとめサイトを作って、ごみ処理場の反対運動を起こしている訳ですか?」


 するとアンニョロは、ぴくりと薄い眉毛を動かし、気分を害した表情をした。


「私はデマを流している訳ではありませんよ。蜘蛛男は実在していて、ここの自然を守れと訴えているんです。

 ボニート・ボッシやエレナとエンマの姉妹が嘘を吐いていると思いますか? 彼らは建設賛成派の類なのです。ボニートは給料のいい職場が出来ると楽しみにしていましたし、エレナとエンマは処理場の建設にともなって、家族がバラバラになる時を狙って家出の計画を立てているのですから」


「そうですか……。それは失礼しました。それで、チェーリオ・シモネッティさんも賛成派なんですか?」


「チェーリオは、どちらでもない中立派ですけど、祖母のクラーラは、若い孫にもっと人生のチャンスを与えたいと考えていて、立ち退き料で都会で暮らすことを考えているようです。

 しかし、まあ、蜘蛛男が処理場の建設反対を訴えて以来、反対派が多くはなってきましたけどね……。

 まぁ、こんな野暮な話はやめて、早くチェーリオの所に行きましょう。クラーラが手料理を用意して待っているはずですから」


 アンニョロはそう言うと、車のキーを手に取った。




  続く 



                     ◆次の公開は6月20日の予定です。


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