スパイダーマンの謎 3-①
4
四月二十日の土曜日。平賀とロベルトは、ローマ・テルミニ駅の改札で待ち合わせた。
月曜が祝日となる為、三日間の休暇の始まりだ。その後、二日の平日を挟んで、再び祝日と有休からの連休がある。
私服姿にボストンバッグを抱えたロベルトと似たような格好の旅行者達で、テルミニ駅は賑わっていた。
そこへやって来た平賀は、普段通りの神父服を着て、奇跡調査用の大きなトランクを引いている。
ロベルトは少し驚きながら、平賀に手を振った。
「やあ、平賀。どうしたの、その格好。まるで仕事みたいだ」
「えっと、初めてお会いする管理人さんに失礼のない服装をと思うと、これしか思いつかなかったのです。気にしないで下さい」
「そう……。今度、一緒に服を選びに行こうか」
そんなことを話しながら、切符を買い、電車でベニッツェ村へと向かう。
村に着いたのは夕方近くである。
駅前には売店やレストラン、バー、スーパー等が集まっていて、そこそこ開けた感じにはなっているが、通りを隔てた先にはすぐ、のどかな畑と雑木原が続いている。
緑の丘の上に広がるゼニスブルー色の空。淡い雲を背景に、
ロベルトは思わず伸びをして、清廉な空気を胸一杯に吸い込んだ。
「さてと、平賀。待ち合わせ場所は何処だい?」
「駅前のABCというカフェです。サイトの管理人さんは坊主頭で、黒のTシャツにジーンズ姿だそうです」
平賀はそう言いながら、きょろきょろと辺りを見回し、一つの方向を指示した。
「ロベルト、あそこですよ」
見ると、緑のテントにABCと白文字で書かれた店がある。
二人は木戸を開いて、その店に入っていった。
店は結構混み合っていて、ウエイトレスが忙しそうに往来している。
その中に、ロベルトは目印の男を目聡く見出した。
四人がけのテーブルでこちらに背を向けて座り、隣には麦わら帽子の人物が座っている。
「きっと彼だね」
平賀とロベルトは、そのテーブルへ歩いていった。
「すみません。蜘蛛男まとめサイト管理人のアンニョロ・シジズモンドさんですか?」
平賀の問いかけに振り向いたのは、妙に目のきらきらした男だった。
顔立ちはゆで卵の様につるりとした印象で、眉毛も殆どない。恐らく三十代半ばなのだろうが、見ようによっては、ずっと若くも年寄りにも見える。
「そうです。私がアンニョロ・シジズモンドです。アンニョロと呼んで下さい。貴方がバチカンの神父様ですね?」
「はい、私が平賀・ヨゼフ・庚。こちらは私の同僚で、ロベルト・ニコラス神父です」
平賀が答えると、アンニョロは二人に深く会釈した。
隣に座っていた男も椅子から立ち上がり、被っていた麦わら帽子を取って、頭を垂れた。蓄えられた髭の具合といい、武骨な感じといい、どこかゴッホの自画像に似た男だ。
「まずは、座って下さい」
アンニョロの言葉に、平賀とロベルトは二人の男に向かい合って座った。
注文を取りに来たウエイトレスに、一同がコーヒーを注文する。
「ところで、お隣の方は?」
ロベルトは疑問符を投げた。
「ボニート・ボッシ氏。この村で最初に蜘蛛男を見た人間です。まずは彼の話が重要だと思ったので、同席してもらったんです」
それを聞くと、平賀は目を輝かせながらトランクからレコーダーを取り出し、テーブルにセットした。
「詳しく聞かせて下さい。まず、ボッシさんが蜘蛛男を見た日は、いつでしたか?」
「ありゃあ、二月の十四日、満月の夜でした。時刻は一時頃だったと思います。
雑木林沿いの国道を歩いていると、大きな看板を上っていく蜘蛛男を見たんですよ」
「どのくらい大きな看板なんですか?」
「うーん、まぁ、横幅が五メートル、高さが二十メートルはある看板ですね。それを人影が這うようにして、上っていたんです」
ボニートは運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。
「這うように、とは?」
「そりゃあもう、蜘蛛が壁を這い上るようにべったりとした動きで、上っていたんです」
「蜘蛛男の姿形は、どのようでした?」
「シルエットは人間なのに、全身にぬめったような光沢があったんです。そして、奴が振り向いた時、鼻も口もない顔と、異様に大きな目が白く光るのを見ました。
俺はそこで恐ろしくなって、走って家に帰りました」
「恐ろしくなったんですか?」
平賀は不思議そうに問い直した。
「そ、そりゃあ夜中にあんな得体の知れないものを見ちゃ、
ボニートの言葉に、アンニョロが深く頷いた。
「ええ。あんな場所に字が書かれるなんて、普通じゃ考えられませんし、ボッシさんが見たのは本物の蜘蛛男だって話になったんですよ」
「成る程。その看板と書かれた字は見られますか?」
平賀の問いかけに、アンニョロは携帯を取り出した。
「字の方は、看板を設置したごみ処理場の人間が消していきましたけど、看板なら見られますよ。あと私がその時、撮った写真が残っています」
そう言うと、アンニョロは平賀とロベルトに携帯の画面を見せた。
画面には、下のアングルから撮った巨大看板が写っている。
周囲にいる人間との比較で、看板の大きさはよく分かった。確かにその看板の上部には、スプレーペンキで大きな文字が書かれている。
「これは確かに、不思議だね」
ロベルトが腕組みをする。
平賀は目を皿のようにして画面を見詰めていたが、不意に顔を上げ、アンニョロを見た。
「貴方のサイトに出ている蜘蛛男の動画は、貴方自身が撮ったのですか?」
「ええ、そうですよ」
「いつ、何処で撮ったのです?」
「あれは三月四日でした。既に色んな目撃者が出た後で、私もひと目見たいと思っていたところ、友人の家を訪ねる途中に偶然、人家の壁を上っていく蜘蛛男の姿を車の中から目撃したんです。そこで思わず、携帯で動画を撮りました」
アンニョロは平賀とロベルトの目の前で携帯を操作し、動画を流した。
それはネットで見たのと同じ動画で、三階建ての人家の壁を怪しげな動きで上っていく蜘蛛男の姿が映っている。
「よろしければ、この動画のデータを貰えませんか?」
そう言った平賀に、アンニョロは薄い笑みを浮かべた。
「ええ、いいですよ」
「有り難うございます」
平賀はトランクからノートパソコンとケーブルを取り出し、アンニョロの携帯とパソコンを接続すると、データをコピーした。
アンニョロはその作業を見ながら、エヘンと咳払いをした。
「この他にも、昨日今日と投稿された動画があるんです。私が撮影した訳ではないですが、今朝、まとめサイトにアップしておきましたから、ご覧になるといいでしょう」
「本当ですか?」
平賀は慌てたように、携帯で蜘蛛男まとめサイトを開いた。
ロベルトも横からその画面を覗き込む。
二つの動画が、確かにアップされている。
一つは、窓の外を蜘蛛男が横切っていく動画で、場所は定かではないが、高い建物からの撮影らしく、蜘蛛男が横切っていく下には、遠い町の灯が映りこんでいる。
もう一つの動画は、夕暮れ時の都会を映したものだ。
高層ビルの壁を這い上っていく蜘蛛男らしき影が映っているが、画像はぼやけている。
「二つとも、この村で撮影されたものではありませんね」
ロベルトの言葉に、アンニョロは頷いた。
「ええ。私が思うに、蜘蛛男という存在、もしくはその一族は、以前から人の世の何処かに生息していたのかも知れません。まるで吸血鬼の一族のように、ひっそりとね。
ただ、私達がそれに気付かなかった。もしくは彼らが私達を避けて暮らしていたと考えられます」
「では何故、今になって、この村に姿を現したのでしょう?」
「それはやはり、彼がこの村にごみ処理場が建設されることに反対しているからですよ。きっと、ここは特別な場所なんです。汚してはいけない聖地なのです。だから、彼はわざわざ姿を現したんでしょう」
「成る程……」
すると平賀が、アンニョロに問いかけた。
「お二人以外にも、この村に目撃者はいるんですか?」
「ええ。極めて貴重な体験をしたエレナとエンマという姉妹も、今日呼んであります」
平賀は辺りを見回した。
「お二人は何処に?」
「ここにはいません。少し特殊な事情があるので、私の家に来てもらっているんです。今から話を聞きに行きますか?」
「はい、勿論です」
平賀は、驚いた猫のようにピョンと立ち上がった。
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