スパイダーマンの謎 1-②
2
バチカン市国。
全世界から寄せられる奇跡の調査と認定を行う『聖徒の座』の一員であり、暗号解読と民俗学のエキスパート、ロベルト・ニコラスは、『禁忌文書』の解読に勤しんでいた。
今、ロベルトが手にしているのは、『人間複製の術書』というもので、ロマンス語と古いギリシャ語の複合語で書かれた魔術書のようなものである。
内容は、天体の力や薬学によって、誰かと瓜二つな人工生命を創造し、使役する方法といったところだ。
ここ二週間というもの、文章の規則性を見出すのに全力を傾け、ようやく細かな解読を始めたところである。
朝から解読に集中していたロベルトは、終業のベルの音を聞いて、ハッと顔をあげた。
今日は丸一日かかって、半ぺージ程しか解読が進まなかった。
出てくる薬草などの固有名詞を特定するのに時間がかかったせいだ。
彼は自分に委ねられた書物を所定の場所に戻し、帰宅の準備を行った。
厳重な扉を潜り、廊下から前庭に出た所で、ぽつんと立っている平賀・ヨゼフ・庚の姿が目に飛び込んでくる。
若き天才科学者である平賀は、ロベルトの奇跡調査のパートナーだ。
平賀は、ロベルトと目が合うなり、子犬のように駆けてきた。
「ロベルト神父にお聞きしたいことがあるのです。貴方の今年の連休のご予定は?」
その瞳は、やたらにキラキラと輝いている。
「何だい、やぶから棒に」
ロベルトは訝しげに呟いた。
確かに、復活祭からイタリア解放記念日、メーデーと、イタリアの祝日が集まる期間が迫っている。
春の訪れを喜び、友達や家族と旅行や遊びに出かけるイタリア人で、景勝地や公園などが賑わう季節だ。
だがしかし、ワーカホリックの平賀がロベルトを遊びに誘うことなど、極めて珍しい。もしかすると、初めてのことかも知れなかった。
「実はロベルト。二人で行ってみたい所があるのです。その為に私は今年、有休を一日使う所存です。貴方の有休はどうですか? 取れそうですか?」
平賀はワクワクが抑えられないという顔をしている。
「……まあ、僕の有休は凄く余ってるよ。君と同じでね。
それより行きたい場所というと?」
「はい。ここですよ」
そう言うと、平賀は手に持っていた地方新聞を、ロベルトの目の前に広げ、小さな記事を指さした。
そこには『ベニッツェ村で、蜘蛛男が環境闘争』というタイトルがある。
そして、森の中を跳んでいる、赤と青の全身スーツ姿の人物の写真が掲載されていた。
「何だい、これは?」
ロベルトは目を瞬いた。
「今、ウンブリア州の小さな村に蜘蛛男が出没しているんです。
私がネットでそれを知ったのは約五日前で、慌ててウンブリア州の地方新聞を取り寄せたのが、この記事です。
ちなみに最初の目撃証言は二月だそうで、その時、蜘蛛男は『スパイダーマン』と自称し、『この一帯を、汚す勿れ!』とメッセージを書いています。
今ではその姿を捉えた動画や写真も、ネットに出回っているんですよ」
「まさかだろう……映画じゃあるまいし」
「ロベルト、これは映画の撮影でもないようです。実在する蜘蛛男の目撃証言が数多くあるんです。
なんと高さ二十メートルもある巨大看板に這い上ったり、手首から出る糸を使って、林の中を跳び回ったりしているんですよ。
どうですか? 興味はありませんか?」
平賀が余りに真剣な表情で見つめてくるので、ロベルトは勢いに押されるように頷いた。
「まぁ……そうだね……。不思議な話ではあるよね」
「そうでしょう? 私は是非、この蜘蛛男と遭遇したい。こんな機会は、一生のうち何度もあるとは思えません」
平賀は嬉々としている。
(蜘蛛男が実在するというよりは、何かのトリックか、村ぐるみの狂言である可能性の方が、ずっと高いんじゃないのか?)
ロベルトは首を捻った。
しかし、パートナーの平賀が、これほどまでに興味を持っているのを無下にする訳にもいかない。
「まぁ、ともかくそうだね。僕らが休暇を取るのは、事務局も賛成してくれるだろうし、僕も久しぶりの連休を楽しみたい気分になってきたよ」
「それは良かったです」
「じゃあ、今から僕の所へ寄って、旅行の計画を立てようじゃないか」
「ええ、お邪魔させて頂きます」
二人は、ロベルトの暮らすアパートへと向かった。
平賀をダイニングの椅子に座らせたロベルトは、キッチンに立った。
「今から夕食を作るから、食べながら話そう」
「はい。では、私は、貴方に見せたい動画や写真の資料を整理しておきますね」
平賀は、鞄からパソコンを取り出した。
続く
◆次の公開は4月30日の予定です。
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