素敵な上司のお祝いに 4ー④



 盆の中央には、透明な液体を満たしたクリスタルのグラスがあり、その中で、エメラルドグリーンの眼球が一つ、泳ぐように揺らいでいる。


「こ、これは……!」


 ルッジェリはその見覚えのある瞳の色に、息をのんだ。


「ふふっ。そうです。これは私のの複製です。

 今宵こよい貴方が食べた肉は全て私の肉だったのです。私の身体の各所から取り出した細胞を培養したものですよ」


 ルッジェリは、驚きを隠せない表情で、ジュリアを見た。


「つまり、私は君を食べたということになるのか……」

「お気に召しませんでしたか? 古来、中国では親愛の印に、自分達の子供を交換して食する風習があったとか、最大級の持て成しの際、客に自分の子供の鍋を振る舞ったなどといわれています。

 聖書においても、アブラハムは神に命じられ、自分の一人息子を生贄いけにえにしようとしました。その行いが神に認められ、神の忠実なしもべと称されたのです。

 私もそれらに倣いたいと思ったのですが、子供より私自身を食べていただく方が、貴方への忠誠心を示すことが出来るかと思いましてね」


 それを聞くと、ルッジェリは大きくテーブルを叩き、豪快に笑った。


「アッハハハハ、そういう事か! これは大いに気に入ったよ。まさか君を食べることになるとはな。実にいい余興だった!」

「有り難うございます」


 ジュリアは深々と礼をした。

 すっかり上機嫌になったルッジェリは席を立ち、ジュリアの手を取って立たせた。


「素晴らしき従兄弟どの。是非、私と一曲踊って欲しい」

「ええ、喜んで」


 二人は管弦楽に合わせてワルツを踊り始めた。


「それにしても驚いた。ガルドウネの技術がここまで進歩していたとはな」


 ルッジェリは興奮気味に言った。


「流石に苦労しましたよ。あらゆる手法を駆使した、とだけは言っておきましょう。貴方に不味い肉を食べさせる訳にはいきませんからね。身体のあらゆる組織から細胞を取り出し、様々な方法で培養し、味を慎重に吟味したのです。

 その結果、パーツ別に見れば、人間は眼の周りが一番美味しいと思われました。特に視神経は珍味でした。血のソーセージの中に入っていたコリコリした食感のものは、視神経なのです。

 肝臓や胃壁、脳といった内臓部分も、臭みが少なく、濃厚な味だと分かりました。弾力のある胃はアワビ風に仕上がりましたし、肝臓細胞の培養液には無花果エキスを用い、きちんとフォアグラ風に仕立てたのですよ。

 また、骨からは旨味と滋養たっぷりの出汁だしが取れました。

 赤身肉はといいますと、上腕二頭筋と肩部分の肉をモデルに作り上げた筋肉組織に、定期的な電気刺激を与えることで、適度な運動をした肉の状態に近づけていったのです。脂肪分が少なすぎると噛み切れず、多すぎると臭いが鼻につくので、難しい調整が必要でした。ちなみに肉やソーセージに使用した血液は全て、私自身から採血したものです」


 ジュリアが淡々と説明するのを、ルッジェリは楽し気に聞いていた。


「いや、実に興味深い。それにしても、よくもこんなアイデアを思いついたものだ」

「人工肉は面白いですよ。およそ九百億ドルにのぼる世界の食用肉市場の八割を上位七社の食糧メジャーが占めている現在において、その一角を切り崩す武器としましてもね。

 実際、ヨーロッパでは三十年ほど前から『クォーン』という人工肉が売られているのですが、これはキノコのタンパク質を発酵させたもので、とても美味とはいえません。

 アメリカでも昨今、人工肉を流行はやらせようという動きがあるようですが、ルッジェリ、貴方の実感として、定着すると思いますか?」


「うむ……。ヨーロッパに続いて、アメリカでもベジタリアンやヴィーガンは着実に増加している。動物の肉を食べるのは動物愛護精神に反するという、我々の流したプロパガンダはかなり成功している様子だ。

 さらには温室効果ガスの発生原因の約十八パーセントは、食用の家畜の飼育が原因だという試算もある。つまりは環境負荷の面からも、『家畜を殺さない肉』であるクリーンミートの潜在的需要が衰える兆しはない。

 これまで大量農薬を投与して作物を育て、家畜工場で肉を生産してきた食糧メジャーへの信頼度は一気に薄らぎ、有機野菜や人工肉に食生活をシフトしていく者や、それが新時代のスタイルだと考える者も、若者を中心に急増している。

 ましてや人口爆発問題を抱える新興国にとって、安価なタンパク質の供給は絶対的に必要だ。二〇五〇年には人類全体が必要とするタンパク質総量は現在の二倍になり、その全てを動物性タンパク質でまかなうのは、現実的に不可能だともいわれている。

 それらに加え……動物性タンパク質を摂取しない人間は、反抗心や闘争心、心理的抵抗力が弱まり、従順になってコントロールしやすくなるというだろう? 民衆支配にはもってこいという観点からも、実に興味深い技術といえる。


 しかしながら、現状はまだまだ浸透には至らない、というところだな。

 なにせ熱心なベジタリアンやヴィーガンは、アメリカの中流から上流の富裕層に多いが、その人口比率は、僅か五パーセントに過ぎないのだ。

 要するに残りの庶民や貧民層にとって、人工肉は高すぎるのだよ。

 ビル・ゲイツも出資したビヨンド・ミートなどの植物性原料だけで作った人工肉は、ハンバーガー用パテ二枚が約六ドル、ハンバーガーの価格は現在十九ドルだ。それに比べて、大量生産による本物の肉のハンバーガーは一、二ドル。本物の肉がこれだけ手軽に買えるのに、わざわざ人工肉に手は伸ばさんよ。

 まあ、富裕層のみをターゲットにするのも、投資としては間違いないが、庶民レベルでの普及となると、安価で大量生産できる仕組みが必須だろう」


「ええ、そうですよね。

 ですがルッジェリ、私はこの度の余興の準備を通じて思ったのです。

 近い将来起こる爆発的な人口増加と、それによる世界的タンパク質供給の不足、環境負荷問題、それから動物愛護問題。いずれの問題も、自分で自分の肉を培養して食べれば、解決すると思いませんか? それこそ究極のエコロジーですよ。

 今回の実験で、人肉培養のノウハウも確立したことですし、近いうちにビジネスの軌道に乗せられるかと思うのです」


「ふうむ……。しかし人々がそれを受け付けるだろうか? アメリカは案外、保守的な国だぞ。世界でも、人肉食をタブーとしている国々がほとんどだろう」


 ルッジェリは僅かに顔を顰めた。


「いえいえ、時代によってものの価値が変わるといったのは、貴方ではありませんか、ルッジェリ。ブームが起こるかどうかは、火付け役の私達次第でしょう」


 ジュリアは曇りのない眼差まなざしでルッジェリを見詰めた。


「分かった。一考しておこう」

「恐れ入ります。ところで、食後のデザートは如何いかがいたしましょうか?」


 ジュリアの問いに、ルッジェリは頭を振った。


「いや、もう充分だ。実に刺激的なフルコースだったよ。君の演出には降参だ」

「そうですか、それを聞いて安心しました。それでは今夜のご予定は?」

「無論、気分がいいので泊まっていくさ。ジュリア、明日は狩りがしたい。出来るか?」

「ええ。そういうこともあろうかと、準備は整えていますよ」

「なら、女達を帰して、明日は朝から一緒に狩りに出よう。さて、私はマッサージでも受けてくるとしようか」

「どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」


 ルッジェリはにやりと笑い、弾む足取りでゲルを去っていった。

 彼が開け放ったままの扉からは、闇に音もなく降る雪が見える。白銀が室内の照明を反射して、キラリキラリとまぶしく光っていた。


 ジュリアは小さく微笑むと、中断していた食事を再開すべく席に戻った。

 すぐにマクシムが、チーズとワインをテーブルに運んで来る。


「ジュリア様。ルッジェリ様は、今宵の余興をお楽しみでございましたか?」

「ええ、子供のように楽しんでいましたよ」

「それは何よりでございます」

「こちらの予想通り、明日は狩りをしたいのだそうです」

かしこまりました。猟師達の手配は出来ております」

「それにしても、他愛ないものですね。私の肉くらいで満足するとは。人間の本当に美味な部分は、肉体の方ではありませんのに……。

 ルッジェリは、本物のグルメにはなれそうにもありませんね。そうでしょう、マクシム?」


 するとマクシムは、深々と頭を下げた。


「はい。左様でございます。世に、ジュリア様ほどのグルメは、おいでになりません」


 マクシムの答えに、ジュリアは悪魔的な微笑みを浮かべながら、赤ワインを飲み干し、再び臙脂えんじ色の小瓶を取り出して、その瓶の底の闇を見詰めた。


「さあて……。次はどんな実験をしましょうか」




                               終わり




 ◆本作を収録したシリーズ短編集は、角川ホラー文庫より11月25日刊行予定です。

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