素敵な上司のお祝いに 4ー②



「ワインも料理も説明無しで、本当に構わないんですか?」


 ジュリアがねっとりとたずねる。


「ああ、構わんとも。メインを待つ間、軽くゲームといこうじゃないか。ジュリア、さっきのアミューズは半分正解だと言ったな? あれは量が少ないし、味も濃かったから、一寸ちょっと分からなかっただけだ。今度は当てる」


 ルッジェリはムキになって答えた。彼は勝負と名の付くものには、勝たなければ気が済まない気質なのだ。


可愛かわいいものですね……)


 ジュリアは真剣な顔のルッジェリを冷ややかに見た。


「そうですね。まだコースは始まったばかりですからね」


 ルッジェリが頷く。

 二人の前に、サラダ仕立てのオードブルが静かに置かれた。

 ルッジェリはそれを頬張り、じっくりと味わった。


「ふむ。これは最高級オマールブルーのタルタルだ。ぷりっとした食感とねっとりした味わいに、エシャロットの辛みと歯ごたえ、ライムの酸味と岩塩が効いている。塩味を含んだスパイスに、肉の燻製チップの香り……。実に複雑な味わいだ。

 上にかかったオイルは……そうか、この香りは、アルガンオイルではないかな?」


 ルッジェリはどうだ、という顔でジュリアを見た。

 ジュリアはパチパチと手をたたいた。


「お見事です。

 アルガンオイルは古くからモロッコのベルベル人達の間で、食用、薬用、化粧用のオイルとして利用されてきました。近年、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、増産の傾向にありますが、あえて昔ながらの方法で、アルガンノキの硬い種子を割り、ペースト状にすり潰して搾油するという、大変手間のかかる工程でご用意しました。

 という訳でルッジェリ、ほぼ正解です」

「またそれか。まあいい。次こそ完全に当ててみせる」


 ルッジェリはしかめ面で、ワインを一口飲んだ。

 給仕が二人の前に、深い黄金色の澄んだスープを運んで来る。

 ルッジェリは一口味わい、「美味い」とうなった。


「口に入れた途端、畳み掛けるような旨味うまみが立ち上る。複雑なテイストと上品な余韻、鼻腔びくうにからまる芳醇な香り……。ふむ。どこかで味わったことがあるような……」


 ルッジェリはしばらく考え、手を打った。


「分かった、エゾ鹿だ。そうだろう?」


流石さすがにグルメでいらっしゃいますね。

 濁りのないスープに素材の旨みが凝縮されたコンソメは、フランス料理の技法が最も詰まったスープと申せましょう。特に清澄化の難しいエゾ鹿のコンソメポワブラードは、私のシェフが得意とする逸品です。

 鹿骨とスジ肉を予めオーブンで焼き、赤ワイン、赤ワインビネガー、エストラゴン、タイムと水と共に鍋に入れ、丁寧に灰汁あくを取りながら、八時間ばかり煮込みます。そうして出来たスープを、鹿ひき肉と薄切りにした野菜、卵白を練ったものに少しずつ加えていき、繊細な火加減でさらに八時間ばかり煮出した後、黒胡椒の粗挽あらびきを入れたし布を用い、香りを移しながら漉していくことで、ポワブラードが完成するのです」


「つまり今度は正解なんだな?」


 身を乗り出したルッジェリを、ジュリアはあでやかな微笑みでいなした。


「その答えはほんの少し、お待ち下さい。じきに次の皿がやって来ますよ」


 ジュリアの言葉に、ルッジェリは不機嫌そうな溜息ためいきいた。


らされるのは趣味ではないのだ。時は金なりだからな。

 だが、どうせ待たされるなら、君の指揮下にあるAI開発事業の進捗でも聞いておこうじゃないか。ともかく大統領選では、情報操作が鍵を握る。我々も、先のロバート・マーサーのやり口に出し抜かれている場合ではないぞ」


「ロバート・マーサーですか。初期の人工知能の開発者にして、世界トップレベルのAI研究者を集めて作られた、運用残高一兆円を超えるクオンツ・ファンド『ルネッサンス・テクノロジーズ』の共同CEO。コーク一族に次ぐ共和党への巨額献金者で、ティーパーティ運動のもう一人の立役者。地球温暖化説否定主義者としても知られる人物ですね。

 今や投資の世界も、AI抜きには語れない……というより、AIの独擅場どくせんじょうといってもいいでしょう。世界経済指標を二十四時間監視し、圧倒的なリサーチ力と自動学習機能によって値動きの兆候を読み取り、迅速かつ冷静な売買を行えるのですから」


「ああ、そうして得た多額の金を選挙で駆使し、ロバートは現大統領の唯一にして最大の支援者となった訳だが、重要なのはその方法だ。

 やつが資金提供する選挙コンサルティング会社ケンブリッジ・アナリティカが行った、対立候補への大ネガティブ・キャンペーンは、フェイスブックを利用して不正な手段で大量の個人情報を収集し、そのデータ分析を行い、大量のチャットボットによるツイッター投稿を駆使するというものだった。そうして見事に大衆心理をコントロールし、ゼロコンマ数パーセントの僅差の戦いを制したのだ」


「ええ、承知しております。我々の情報収集網は、アメリカの政界の隅々まで張り巡らせておりますし、さらにガルドウネの下部組織が運用する高性能ボットには、顔も架空の住所も、人生も与えてあります。受け答えもスムースで、生身の人間と区別がつきません。その数は既に六万体を超し、それらと直接または間接的につながる一般市民の数は三千万人に到達している計算です」


「六万では足りん。二十万は用意するんだ」


「分かりました。半年以内に二十万まで増強しましょう。とりわけ影響力の強いインフルエンサーAIにつきましても、実装段階です」


「うむ。人間になりすまして情報を発信するAIボットが、戦略的に必要不可欠になるとは、おかしな時代になったものだ。だが、データによって富も民衆の心や行動すらも操れる世界。それこそが今、我々が生きている世界の正体だ。

 ロバートよりも巧みに、こちらの正体を見せず、敵を出し抜くんだ。君には手慣れた仕事だろう?」


 ルッジェリはそう言いながら、運ばれてきたポワソンの皿に目を落とした。



                                  続く





                      ◆次の公開は10月10日の予定です。


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