素敵な上司のお祝いに 4ー①


   4



 ソムリエが二人のシェリー・グラスに、濃いマホガニー色の食前酒を注いだ。


「特別なルートで取り寄せた、一九〇二年もののペドロ・ヒメネスでございます」

「シェリー酒か。私は甘い食前酒は余り好みではないのだが」


 ルッジェリは眉をひそめ、ジュリアを見た。


「こちらは大量生産のものとは違って、天然の干し葡萄ぶどうだけを使っていますので、嫌な甘味はしませんよ」


 ジュリアがなだめるように言うと、ルッジェリはグラスに口をつけた。


「確かにな。これは飲みやすい。芳醇ほうじゅんで深い香りがする」

「そうでしょう。やはり素材にはこだわりませんとね」


 ジュリアは薄く微笑ほほえんだ。


「ところでルッジェリ、これから始まるコース料理は、きっかり二人分しかご用意できなかったのです。お連れのご婦人方の分はありませんが、構いませんか?」

「なに、彼女らのことなど、気を遣う必要はない。勝手についてきたのだから」


 ルッジェリはぞんざいに言った。


「これはこれは、つれない御仁ですね」

従兄弟いとこどのとの楽しみの間に割って入る価値のある女なぞ、いないさ」

「世間は貴方あなたのことを、女好きだと見ているようですがね」

「勝手に女達が群がって来るだけのことだ。私から声をかけた女性など、存在せんよ。

 何なら二人でも三人でも、ここへ置いていってやる。君が男だと知れば、皆、喜んで君に全てをささげるだろう」


 ルッジェリの言葉に、ジュリアは苦笑いをした。


「謹んでご辞退申し上げます。ルッジェリ、いつも貴方が連れてくる女性達は、スタイルや顔はそれなりですが、頭が空っぽで人格も稚拙です。

 失礼ながら貴方、女性の趣味が悪いんじゃありませんか?」

「外見の美しさ以外、女に何を求めるんだ?」


 ルッジェリは不思議そうに問い返した。


「やはり知性でしょうか」

「ベッドの上で知性が必要か?」

「はあ……貴方のそういうところ、げんなりします。場所がどこであれ、知性は必要ですよ。それに、なかなか思うようにならない手強てごわさもいいですね」

「ハッ。そんな面倒くさい女のどこがいいんだ。第一、私や君に逆らうような女性がそうそういるとも思えんが」


 ルッジェリはフンと鼻を鳴らした。


「いえいえ、世の中には面白おかしい女性だっていますよ」

「例えば誰だ?」

「貴方がご存知の人物で言うなら、マギー・ウォーカー博士ですとか?」

「頑固なばあさんじゃないか」


 ルッジェリは驚いた様子で目をむいた。


「若くて美しいだけの女性より、手応えがありますよ、きっと」

「まあ、冗談はそれぐらいにしておけ」


 ルッジェリは、ジュリアの言葉を軽く笑って受け流した。


 続いて給仕が、長方形の皿に盛り合わされた軽い前菜を運んで来た。

 見たところ、キューブ状に重ねられたフォアグラが、一口アミューズ用のスプーンに飾り置かれたものと、小さなシュー生地に惣菜そうざいを詰めた三種のシューサレである。


「こちらはアミューズ・ブーシュでございます。特選素材のフォアグラと……」

「能書きは結構だ。早速、試してみよう」


 ルッジェリは、スプーンに盛られたフォアグラをぱくりと食べた。

 あらかじめ程よく温められたフォアグラが、口に入れた途端に融解し、妖艶な香りの脂に変化する。ほのかな臭みの余韻と、ブランデー漬けのオレンジピールの味がマッチしている。


「ふむ。美味うまい」


 ルッジェリは続いてシューサレに手を伸ばした。

 一つ目のシューサレは、胡椒こしょうの効いたローストビーフと、ロシア風サラダが入っていた。

 二つ目には、無花果いちじくとオリーブと燻製くんせい肉の風味。

 三つ目はコリコリしたあわび胡桃くるみ、パルミジャーノ・レッジャーノの味がした。

 いずれもアクセントの強い、絶品の味付けだ。あっという間に食べ終わる。


「おやおや、そんなに急いで召し上がって。お口に合いましたか?」


 ジュリアの問いに、ルッジェリは軽くうなずいた。


「ああ。まずはフォアグラだが、かも家鴨あひるじゃなく鵞鳥がちょうだろう。察するに、昔ながらの方法で、無花果を与えて飼育したものではないかな?」


「ええ、そうですね……。

 フォアグラの起源は、紀元前二五〇〇年頃、古代エジプト人が鵞鳥を肥育していたことによると伝えられます。紀元前一世紀頃の古代ローマでは、ガリアからもたらされた鵞鳥に干し無花果を与え、その肝臓を食していたことが記されており、まさにとり料理の芸術であると、詩人のホラティウスによって絶賛されました。

 それからヨーロッパにおいてフォアグラ作りが発展したのは、動物の血を不浄とみなすユダヤ系の農民達が、フォアグラの内部に血を残さず取り出す技術を磨き育てたからだといわれています。

 ところが昨今、フォアグラ生産時に行われる強制給餌が残酷であるという観点から、生産廃止を求める声が高まっていますから、今後は貴重な食材となるでしょうね。

 という訳でルッジェリ、半分正解です」


「半分だと?」


 ルッジェリが問い返した時、空になった二人の皿を給仕が下げていき、新しいグラスに赤ワインが注がれた。


「こちらに本日ご用意したワインですが……」


 ソムリエが説明しようとするのを、ルッジェリは手を振って遮った。


「何でもいい。いちいち蘊蓄うんちくを聞くのは面倒だ。ワインの味ぐらいは分かる。上手うまくグラスに注ぐだけでいい」


 ソムリエは小さく会釈して、無言でワインをグラスに注ぎ入れた。


「随分せっかちなんですね」

「長説明は時間の無駄だ。不味まずければ変えさせるし、美味ければ飲む。それでいいだろう。シンプルなことだ」


 ルッジェリは面倒そうに言ってのけた。

 相変わらず野暮な男だ、とジュリアは思った。

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