死後の世界
自分が死んだあと、どうなるのか、自分という存在はどこへ行って、そこでは自分という存在は、どうなってしまうのか、考えたことはあるだろうか。
もしあなたにその経験があるとすれば、それはいつから考え出したことだろうか。漠然と生きているうちにずっと考えているということもあれば、普段は考えたこともなく、この文章を読んで初めて考え出した、なんてこともあるのだろうか。
私にとってそれはまだ4か5歳の頃、祖父母が相次いで亡くなってからだと思う。祖母は胃癌、晩年アロエの食べ過ぎで薬が効かなかったとかなんとか。私は植物に詳しくなければ薬剤師でも医者でもないので、父から聞いたことによれば、だが。
祖父の方はよくわからないが、私がその日幼稚園からはバスで家に帰ると言った際に、母はずっと家にいる祖父に私を頼むように言伝るつもりで声をかけた。しかし一向に返事がない。まだ寝ているのかと祖父の(もとは祖父母両方の)寝室に向かえば、口を開けているのに、おそらく泡か唾液かが白く固まってふさがった状態でダブルベッドにひとり寝ている祖父の姿があった。変な寝方だと思った。母が慌てて救急車を呼び、その後祖父は病院で息を引き取った。
長いこと勘違いをしていたのだが、祖父は私と母が発見したときに既に死んでいたのではなく、その時はまだ意識不明であって死んではいなかったのだとか。もしも死んだ状態で見つかっていたら、警察の司法解剖などもあって、葬式や色々な準備がかなり長引いていたのではないか、と聞いた。前日の夜に日本酒と刺身を食って往生したのだから贅沢なものだと父は随分経ってから語っていた。
一緒に暮らしていた以上は死んでしまえば泣かなければならない。そんな使命感を子供心に抱いていた私は、祖父母の葬式で泣けなかった自分を、誰かが責めているような、なんとなく、祖父母に悪いような、そんな気がしていた。
初めて骨を拾ったのも、骨壺に収めたのも、家の仏壇に知っている人間の位牌が並んだのも、仏壇のとなりに沢山缶詰が詰まった飾りが並べられて、親戚一同と、祖父母が熱心に帰依していた寺の住職と、家に人が沢山来たのも、おそらく記憶にあるうちではそれが初めてだったわけだ。親戚の家にはこちらから出向いてばかりだったから。
骨壺が墓の中に納まったとき、私は言い知れぬ恐怖を感じていた。どうしようもなくあの中が怖いと感じた。幽霊だとか、そういうものが怖いのではなく、ただただ、あの中には灯りなんてなく、真っ暗な闇が広がっている事実が、どうしようもなく私には怖かった。
私は暗闇が怖かった。闇だけが私にとって強く死と結びつく存在だった。
私という存在の意識は、死して目を閉じた後もずっとそこにあり続け、その後は暗い闇の中で自分の体は焼かれ、壺に収められ、墓の中へと行く。闇が怖い私にとって、それは何よりも怖くて、絶対に避けたい事態であった。
今でも私にとっての死はそういうものであるように感じる。できることなら、もし転生と呼べるものがあって、私に私の記憶が残ったままで生まれ変わることができたなら、きっとそれはある種、永遠の命とも言えるのではないだろうか。
私は闇から逃れるためにいろんな妄想を繰り返した。輪廻転生、不老不死、あるいは自分が幽霊になることか、いっそ自分の意識をデータ化して、電脳空間で永遠に過ごすとか。宗教というものの理解が薄い私にとって、それらのSFこそが宗教であった。
それなりに大人になってから思うこととして、人が何故仏だ神だと自分よりも上位の存在を作り上げてそこに救いを見出すのかといえば、生きているのが苦しいからだ。死んでしまうのが怖いからだ。生きていても苦しいのに、死んでからさらに恐ろしい闇が襲ってきたならば、そこに待ち構えるアイデンティティの喪失に耐えられる自信がないからだ、と、個人的な意見だが思ってしまう。
実際生まれ変わりだとかいうものがあるのならば、どうして多くの人間は以前の自分を覚えていないのか。
それは死んだ後生まれ変わるまでに生ずるわずかな闇の中で、人々は自己を喪失するほどの恐怖に遭遇したからではないのか。
夢野久作が「ドグラ・マグラ」にて描いた胎児の夢。あの思考を個人的に恐ろしく納得のいく言であるように感じるくらいには、私は死を恐れ、そして次の生に執着している。おそらく自我が残り続けるのであれば、私は地獄であっても喜んでそれをうけいれるのであろう。
闇は怖い。自分がどこにいるのか、自分がここにいていいのかわからなくなる。誰かに見られているような、誰かが自分を責めてくるような、気が付いた瞬間、自分が死んでしまっているような、そんな恐ろしさが闇にはある。
私は闇が怖い。
かといって、宗教に頼っているかと言われればそうでもないのかもしれない。
いや、神も仏もいてくれた方が嬉しい。精神体がそこにあるのならば、私のアイデンティティだって守られるはずだ。だから私は仏壇に手をあわせ、赤い鳥居を見ると敬意を向ける。そこにいてくれないと、私が困るのだ。
現実逃避なのかもしれない。ある種自分でも、これは少し宗教じみている気がしている。無宗教はや無神論もまた宗教であることは語るべくもないが、私の場合、どれに属するかと言われてもどこと言いようはなく、神話や説話などという過去の人間の創作物に、そうであったらいいのに、という願望を混ぜ合わせたある種の創作教のようなものの気がしている。
そうでもしないと生きて行けない。恐ろしくて死ぬ気にもなれないが、かといって生きていて辛く苦しいこともある世の中で、私が死なずに生きているのは、死の後に終わりも救いも感じられず、ただただ恐怖だけがあるからだ。かといってその恐怖に怯え続けていることはできないのもわかっている。だからこそ、誰かの創作の中に私が生きていればいいなと思う。
忘れられたくない。
消えたくない。
死にたくない。
怖い。しかし、それを考えることもやめられない。つくづくこの世は私にとって、なによりもむごい地獄であるのだろう。
発露雑記 夏島臙脂 @machibari
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