風船

 帰省してそろそろ一週間が経つ。その間に元号は平成から令和へと変わり、十一年続いたアメリカンコミック原作の一大シリーズがひと段落着いた。私はといえば、さして変わるわけでもなく、ひたすら本を読んだり時折思い出したように家事をこなしたり、もしくは犬の散歩に行ってみたりとそんなことばかりである。


 衣食住を保証され、金の心配のない生活というのは、楽ではあるがどうにも面白味はない。何かないものかと休みの期間中寝起きしている客間を見渡せば、ふと大きな桐の箪笥が目に留まった。普段着、反物、それから靴下。十三ある引き出しの内のいくつかを開けても入っていたのはそんなものばかりであった。ここに何もなかったらさっさと昼寝を決め込もうと思い、手を伸ばしたのは一番小さな引き出し。中を覗き込めば私の中で懐かしさがどっと押し寄せて、すっかり胸中を満たしてしまった。

 赤、緑、青、白、色とりどりの風船が詰まってそのままにしてあったのだ。そのほとんどには白い線でウサギが描かれ、ヤブタニ薬局、とたまに来る医療品の訪問販売元の名前が印字されていた。中身をひっくり返して数えてみればざっと三十はある。軽くすすげば問題ないだろう。いくつか掴んで私は跳ねるように洗い場へと向かった。


 わくわくと沸き立つ心臓を落ち着かせ、軽く一息をついて、再度手に納まりきらないほどの未使用の風船を見つめる。さて、膨らませながら子供の頃に記憶も巡らせてみよう。

 私が物心つく前から、ヤブタニの薬屋は我が家にやってきていたはずだ。少なくとも記憶にあるうちでは我が家は間違いなく常連のひとつだった。薬を大きな黒い鞄に入れてやってくるのは初老のにこにことした男性だったと記憶している。中肉中背に黒いスーツ、髪は短髪でいかにも人の良さそうなおじちゃんである。

 そのおじちゃんは月に一度、大体夕方から飯時くらいの間に来てはうちにある薬箱の中を確認し、物が減っていれば代金を記録して次の品物を入れていく、もし減っていなければ確認だけして「大丈夫そうですね」と笑って帰っていく。当時は祖父母も一緒に暮らしており、上は小学生下は幼稚園児という怪我病気の盛りのような子供たちばかりだった我が家にとって、この薬屋の訪問販売は、手軽に入用な道具を手に入れられる便利なシステムだったと思う。


 使えば払う、使わないときは払わない。そんな動くドラッグストアのような売り手が来ると、私たち子供は部屋の中からちょっと顔を出したり、時には間近に商品の交換を見たりしながら薬屋に自分たちの存在を主張してきた。理由はもちろん、彼が持つ風船である。宣伝も兼ねたものだろう。幼い子供がいる家庭に配っているらしいそれは、私たちにとって恰好の遊び道具であった。

 ある時は空気を入れるだけ入れてそのまま指を離してみたり、水を入れて振り回したり、あるいは普通に膨らませて落ちないようにトスをしあってみたり。なるほど家の中で遊ぶにあの風船は適役だったと言えよう。しかし遊んでは萎む前に割ってしまうため、ひと月の内に風船は使い切ってしまう。そうでなくとも、風船を割らずに空気を抜こうと実験してみたり、互いの座る椅子に仕掛けて脅かしたりと少々雑な使い方も多かったため、薬屋が置いて行った風船だけでは足りなかった気がしなくもない、が、とにかく末の子である私が風船に興味を示さなくなるまでは、私たちの遊びにはあの薬屋の風船がずっとともにあったはずだ。


 四つの頃は息を吹きかけても全く膨らまなかった風船が、五つの後半あたりで初めて小さいながらも風船らしくなったころを覚えている。小学校に上がるあたりでやっと風船を自力で結べるようになったのも覚えている。肺いっぱいに空気を吸い込んで、残さず漏らさず皺のよった入り口へと吹き込めば、スウッという音とともに風船は色を伸ばして膨らんだ。せっかく閉じ込めた息が零れないようにしっかり指で入り口を閉じてもう一度、それを二、三度繰り返せば、なるほど案外立派な風船が出来上がった。

 軽く持ち上げて指先でつついてやれば面白いほどに小気味良く浮いては落ちてを繰り返す。昔はヘリウムを入れたように浮き上がらないものかと思索していたが、人間の吐く二酸化炭素が空気よりも重いとわかって初めて自分のやっていた実験の無意味さに笑いがこみ上げたものだ。


 その頃からだろうか、風船で遊ぶことが無くなったのは。薬屋が来てもあまり顔を出さなくなった。兄弟たちは高校や中学に上がり、私は私で絵を描いてみたり水泳を習ってみたり楽器を触ってみたり、あちこちに興味が尽きなかったのもあるだろう。

 反抗期が始まったのは、そのすぐ後の頃だったはずだ。なりたい職業があってもどうにも母と馬が合わない。画家になりたいと言ったときの落胆ぶりは今でもはっきり覚えている。そうして苛立ちから語気が強くなれば、自分の経験や他人の状況を語って見せる母を、その頃は異星人のように思っていた。仕方なしに引き下がったものの、晴れない気持ちを引き摺って、結局言いたいことは風船の中に閉じ込めてしまおうと思いついたのだ。スウッと膨らむたびに、胸にため込んだわだかまりも抜けていくような気がして、楽になったのを覚えている。そのまま指を離して、部屋の隅や天井に音を立てて飛んでいく風船が、妙におかしくて笑っていたのだ。

 そんな折にも確か、薬屋の訪問はあったと思う。時たま私が玄関近くを通ると、あのおじちゃんはおやっと眉を上げて人の良さそうな笑みを浮かべるのである。「お子さん大きくなりましたねぇ」なんて言いながら、久しぶりに風船を置くと、母がまだ要るのかと言った風に私を見たのだった。


 風船と言えば、その頃一度だけ、大規模なサーカスを見に行ったことがある。露店にあったイルカのビニール風船は、星型の重りに括られてはいたが、ヘリウムの詰まった体をめいっぱい空中に浮かせていたのだった。

 そうだった、私はヘリウムの風船も手にした事はあった。

 あまりに熱心に私がイルカを見つめるから、見かねた父が上演前に買い与えてくれたのだ。テントの中で見たサーカスよりも、そのイルカに夢中で、イルカがピエロに取られてしまう気がして足元に必死で隠していた気がする。おかげでピエロ以外はさして記憶に残っていないが、ともかくその時は後生大事に抱えていたイルカに私が飽きるのは早かった気がする。なんだかんだ浮きっぱなしのイルカでは跳ねさせて遊ぶことなどできなかったからだろうか。


 まあ、とにかくその後、中学に上がって、高校に上がって、私は部活や勉強に追われてすっかり風船の事もヤブタニの薬屋の事も頭から抜け落ちてしまっていたらしい。強いて言うならあの薬箱の印字を見て、薬を売っておいて名にヤブとはこれ如何に、などと首を傾げながらふと存在を思い出す程度。

 ちらりと見かけたときにはもう、ヤブタニの販売員はあのおじちゃんではなくそろそろ三十いくかといった若い青年に代わっていた。

 それが今更こうして出てくるなど、いったい何の因果であろうか。

 気づけば五つも膨らましてしまった風船は、ここにあっても今となっては邪魔になるだけだ。どうしたものかと思案した末に、縁側に退けることにした。真昼の日差しが差し込む窓辺に出てみると、目の前の道を幾人か子供たちが歩いていた。次は何で遊ぼうか、もう鬼ごっこは飽きたと言いながら時間を持て余す彼らに、ちょっとと声をかけて風船があるから貰ってほしいと伝えると、嬉々として膨らんだ分と、まだ使っていないいくつかを持ってそのまま走っていく。

 その背がなんだか羨ましくて、またはとっくに風船を追いかけることもなくなった自分が虚しくて、或いは……或いはそう、春の日差しが暖かすぎて、老人のように軒下へと座りこんでしまった。

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