第20話 空の部屋で

大学の卒業式も終わった、3月末。

4年間の生活の雰囲気などまるで無かったかのように、からっぽになってしまった少し広めの1LDKのアパートに私達は居た。

私達を囲うように、引っ越し業者の白い段ボールが2つの山を作っていた。


お互い、何を言うでもなく、暖房の風に揺れるカーテンをぼんやりと眺めている。

オレンジ色に染まった太陽は既にビルの陰に消え、微かな残滓も、夜の深い藍の中にとって代わられていた。


この部屋に残る唯一の家具となってしまったソファベッドにもたれかかりながら、私達は、プチ打ち上げと称してほろよいをちまちまと飲んでいた。





「明日、業者来るの何時だっけ」


「11時」


「そうだった」


「そんで新幹線が」


「12時10分」


「よし、復習かんりょ」


「……これで何回目よ」


「だって忘れちゃうんだもん」


同居人の香澄は、結構抜けている人だ。

待ち合わせなどは、大体遅れるか忘れるかの常習犯。


「あと半月無いくらいで社会人なのに、そんなんじゃ心配」


「だよねー、どうしよ」


まるで他人事の様ににへっ、と笑って見せる香澄。

その人懐っこい笑顔も、もしかしたらこの先暫く見れないかもしれないと思うと、少し寂しくなる。

別に今生の別れというわけではないのに。

ただ、就職で、ちょっと遠方に引っ越すだけ。

でも、香澄は地元で就職するから、そう気安くは会えなくなる。

今までの事を考えると、凄く心配にはなる。

心配、とはいくらでも言えるのだが。


香澄がいないと寂しい。


とは、言えなかった。

それとは別の感情も、もちろん言えなかった。





始まりは4年前。

同じ大学に受かって、距離的に通学は無理だねどうしよう、と話していたところに、ルームシェアを持ちかけてきたのは奈々の方だった。


同じ学校に通うのと、同じ家に住むのは訳が違う。

当時は、あまり良くわかっていなかった。修学旅行の延長みたいな感じで考えていたから。

奈々も似たような感じだったのかもしれない。

話はものの数日でまとまり、二人で部屋探しや家具探しをして……。


もちろん、四六時中仲良しなわけではなかった。しょっちゅう喧嘩をしている時期もあったし、隠しごとがバレて、気まずい雰囲気になったりもした。


それでも、ルームシェアやめよ、とならなかったのは、単に奈々と私の相性が良かったのかもしれない。

でも、それ以上に、奈々と一緒に居たい、という気持ちが強かった、のかもしれない。

自分の気持ちなのに、断言できない、はっきり、言い表せない。


だから、明日で終わってしまう、明日が終わったら、奈々は仕事で遠くへ行ってしまう。

そんな事実を前に、心がぎゅっと縮こまるような、泣きたくなるような。

寂しい、とも違う感情に、頭が支配されていく。

でも、なんなのかよくわからないその感情は、何故か奈々を傷つけてしまう気がして。

結局、いつも通りの笑顔で隠すしかなかった。





「色々あったルームシェアも、明日で終わりか―、と思うと、なんか名残惜しいなぁ」


「私も」


「まあ、物事には始まりがあれば終わりもある、かぁ……」


「……」


ぽっかりと会話に間ができた。

すると、隣で微かに洟を啜る音が聞こえて、少し驚いた。


「ちょっと……」


このタイミングで泣かれるのは、少し驚きだった。

ティッシュを取ってあげようと、少し体を捻った時、香澄にぎゅっと抱きつかれた。


「もう、どうしたの」


「……ゃだ」


「ん?」


「……奈々と離れ離れは、嫌だ」


「え……」


「だって、分かっちゃったもん。もう明日でお別れかもしれないのに」


「分かったって―」



「―奈々の事、好きだって。友達としてじゃなくて」



そう言って、抱きつく手に力がこもった。

洟を啜りながら一言一言を絞り出すようにぶつけてくる香澄。

初めて見る姿だった。

そして、その告白に、私の心も、どくん、と脈打つ。


「……恋愛の意味で?」


胸元で香澄が首を縦に振る


「寂しいだけじゃなくて?」


香澄はまた首を縦に振った。

別に、意地悪をしているつもりはないんだ。


「証明できる?」


「証明……?」


「うん、証明。なんでもいいから」


ややあって、香澄は私の胸元から顔を離した。

熱に浮かされているような、焦点の定まりきらない瞳で私を見つめている。

それを受け止め、見つめ返す。


香澄は、私に吸い寄せられるように距離を詰める。

私の視界が、香澄の顔で支配された頃。


「ん……」


香澄の体温を、唇で受け止めた。


流石に恥ずかしくなったのか、ものの数秒で香澄の顔が離れる。

香澄の心は証明された、でも、私はまだだった。


も・う・い・っ・か・い


唇の動きだけで伝える。

拒否はされなかった。

唇を支配する香澄の体温を感じながら、彼女の首に手を回して、そっと引き寄せる。

ふ、ふっ、と漏れ聞こえる互いの吐息が、少しずつ理性を溶かしていく。

香澄の体温と、涙のしょっぱさと、微かなお酒の味までもが、私の心までも証明していく。

永遠にも感じられる程、私達は今までで一番、深く繋がっていた。





何も無くなった部屋を、ぐるっと見回す。

意外と広かったんだな、と率直な感想が漏れる。


「「お世話になりました」」


扉に向かって、二人で頭を下げた。


スーツケースを片手に、奈々が部屋の鍵を閉める。


「行こ」


「うん」


奈々が、私の手を引いて歩き始める。


繋いだ手は簡単に解けるけれど。

あの時交わした心の証明は、もう覆る事は無い。

そう、思えるから。

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