第19話 全ての夜と朝に
眠れない夜は、誰にだってあるだろう。
理由だって、人それぞれ。
そして大抵の場合、それは時間が解決するのを待つしかないのが常だったりする。
そんなことを考えている私が、まさに眠れない夜を過ごしていた。
理由は、やっぱり分からない。
意識はしっかり覚醒しているのに、頭はなんだかぼーっとしている。不思議な感覚。
姿勢を変えればマシになるかと寝返りを打つ。
一応、音を立てない様にそろそろと。
そして、返り終わった先、何故かお隣さんと目が合った。
「………」
「………」
お互い、眠れていない事を把握できてしまうというのは、言いようのない気まずさのようなものを感じる、のは私だけだろうか。
先に口を開いたのは彼女の方だった。
「……えっと、おはよう?」
「……今何時だと」
寝室のカーテンは閉めてあるが、隙間から漏れるのは未だ闇だけだった。
「眠れないね、困った」
「私も」
「だめだよ、こんな時間だしちゃんと寝ないと」
「そのセリフ、そのまま返す」
うーん参ったね~、と彼女がごちる。
しかし、ややあって何か閃いたように
「ねね、ちょっとコーヒーでも飲みに行こうか」
と、眠ることとは正反対の提案をかましてきたのだった。
*
「バイパスをずーっと走って、最初のコンビニが目的地ね」
同居人である彼女は、そう言うなり、私を部屋着同然の状態で連れ出し、助手席に押し込んだのだった。
無茶が過ぎる、と思ったけれど、反対はしなかった。あのままベッドにいても、どうせ眠れそうにないのだ。
無理して寝ようとするのもかえってストレスになるらしいし。
電車通勤の私と違って車通勤の彼女は、そこそこ大きめの車に乗っている、
休日など、一緒に出掛けたりしているので乗り慣れてはいるが……。
「―っ、ちょっと怖いんですけど!?」
「だいじょーぶ。ひゃっほー!」
まるで、車が本性を現したかのように、見慣れたバイパスを尋常じゃない速度で駆け抜けていく。この場合持ち主の本性も加味されているのだろうか。
窓も全開になっていて、尋常じゃない風に、髪がもっていかれそうになる。
カーブの度に体が左右に揺さぶられるので、手すりにしがみついて必死に耐える。
私にできることは、赤いランプを掲げるパンダに出会わない様に祈るくらい。
正直、今すぐにでも家に帰りたかった。
でも、意のままに車を駆っている彼女の横顔は、心底楽しそうで。
そして、それは私が大好きな表情だったから。
お酒を飲んでいても、買い物をしていても、ゲームをしていても、〇〇〇をしていても、滅多に見ることのない。
―ちょっとこの車に嫉妬してしまいそう。
「おっと、発見ー!」
どれくらいの距離を走ったかはわからなかったが、見慣れた数字の看板を目ざとく見つけた彼女が車を減速させる。
店まで距離がなかったのか、ぐぐぐ、と体が前に飛んでいきそうなGを発生させながら車が急減速する。
「よし、買い物だ買い物」
「ちょっと、私部屋着なんだけど」
意に介することなど何も無いように私を車から降ろそうとする。
服装もアレな上にノーメイク。
「大丈夫、別に店員さんだっていちいち気にしてないよ~」
手を引かれるまま、観念してコンビニに入る。
彼女はアイスコーヒーとおにぎりを持っていた。
……謎な組み合わせだ。
私は夜食をする気はなかったので、適当に紅茶を選んだ。
と、そこで財布を持ってきてないことに気づいた。
気づいたのか、最初から分かっていたのか。彼女がさっとペットボトルを奪って
「これは奢り」
と、格好つけて言うと、颯爽とレジへ歩いて行った。
彼女の言う通り、夜勤の店員はこちらを気にする素振りを一切見せず淡々とレジを叩いていた。
*
車に戻って、ここで休憩かと思いきや、ペットボトルの蓋を開ける間すら無く、車は乱暴に発進すると、元来た道を戻り始めた。
「おにぎりは!?」
「次行くとこでー!」
エンジンが甲高い音を上げながら、ジェットコースターのようにぐんぐん加速していく。
さっきまでは怖かったけど、ちょっと楽しくなってきた、気もする。
好きな人の楽しそうな顔も、変わらず。
しばらくして、車はバイパス沿いのこぢんまりとした駐車場に止まった。
*
5月頃の季節は、夜風が心地よい。
開け放った車の窓から乱暴に入ってくるそれもそうだし、時折吹くそよ風もそうだ。
それは、もうこの深夜徘徊が半ば習慣と化してしまっているからわかったこと。
私はなかなか寝付けないとき、こうして夜のバイパスを大したあてもなく流す。
今日みたく、たまにコーヒーなぞ飲んでみたりする。
それでも、ベッドに帰る頃には何処かへ遊びに出ていた眠気がちゃんと戻ってくるので不思議なものである。
でも、深夜徘徊の参加者に同居人が加わるのは、初めてだった。
その同居人は、私の横でちまちまと紅茶を飲んでいる。
おにぎりとコーヒーの組み合わせは、自分でもなぜ始めたかわからなくて。
でも、今日はなぜかいつもより美味しく感じる。
時折通り過ぎる車の音を聴きながら、夜空を見上げていた。
*
微かに温かい車のボディに背中を預けて、彼女と隣に並ぶ。
彼女は時折、おにぎりとコーヒーを口に運ぶ以外は、ずっと夜空を眺めている。
今いる駐車場は少し高いところにあって、街並みの明かりや遠くの山のシルエットがぼんやりと見える。
先程までの興奮状態はすっかり冷めて、騒ぎ疲れのような心地よい疲れが体に残っている。
紅茶のペットボトルを開けて、ちびちびと口に含む。
そして、ちょっと気になったこと。
「ねえ」
「ん?」
「こういう夜はいつもコーヒーとおにぎりなの?」
彼女が小さくむせた。
明言はしていないが、何かが図星だったようだ。
「……どうしてわかった」
「気まぐれで誘ったにしては妙に行動がはっきりしてたから?」
「やっぱわかっちゃうものかねぇ」
「―別に怒ってるわけじゃないよ?」
だって、最初は怖かったけど、楽しかったから。
そして、私の好きな笑顔が、見れたから。
好きな人と、一緒だったから。
言葉には、しない。恥ずかしいから。
でも。
「ねぇ」
「なに?」
それは、込み上げてきたものを押さえる蓋が弱っていたせい。
不意をついたキスは、コーヒーの味がした。
でも、一瞬のつもりだったそれは、いつのまにか腰と頭に添えられた手のせいで、数分に及んだのだった。
空が白み始めた。
夜明けの空気はどこまでも透明で。
静かに私たちを包んでいる。
*
ベッドに戻ると、不思議なくらいすぐに容赦ない睡魔が襲ってきた。
でも、一言だけ言っておきたいことがあった。
「ねぇ」
「ん?」
「次は…また…、つれてって…、ね?」
「―わかったよ、約束」
彼女の優しい声と、指先の温もりを感じる。
今夜はよく眠れそうだ。
「やくそく……ね」
*
静かに寝息を立てはじめたのを見届けて、一つ、小さく欠伸。
今夜はよく眠れそうだ。
「―おやすみ」
絡めた指は、そのままに。
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