第16話 ファインダーと瞳

Finder


被写体と向き合う時、ガラスの塊を通して向き合うそれ。

覗けば不思議とすっと心が落ち着く。

今どきは電子ファインダーが常識らしいが、私の使っているカメラの時代に、そんなものは存在しない。


あちこち擦り傷だらけで、ところどころ真鍮の色が顔を覗かせている、なんとも古めかしいカメラ。

起動して直ぐに撮影できるスマートフォンのカメラには到底太刀打ちできない、撮影への作法、手順。

電源を入れて、ダイヤルを回して、視界の端に振れる針の動きを見ながら、レリーズボタンを押す。

解き放ったばねと歯車の回転がけたたましい音を立てて、手の中で暴れだす。

漆黒に閉ざされていく視界の中で、刹那の激震を必死に抑える。

嵐の様な一瞬が過ぎ去った事を、眩しくなった片目が告げる。


その眩しさを感じながら、私はほっと一息つくのだった。



Seeker


「またカメラ……?」


撮影後のファインダーを覗いたまま余韻に浸っていた私は、隣にいた彼女の存在をすっかり忘れていた。

ファインダーの中の景色が、ぼやけた彼女のシルエットで上書きされる。


「ごめんごめん」


彼女を放置していたことを思い出して、取り敢えず謝っておく。

カメラを顔から離して、肩にかける。

今日は、久々に彼女と遊びに出かけているのだった。

大学生になってから、お互いに授業なりサークル活動なりで、なかなかスケジュールが合わなかったというのもあり、どっか遊びにいきたいなぁ、と彼女がぼやいたのがきっかけだった。


「写真撮るのが楽しいのはわかるけどさー?」


流行りの雑貨屋、タピオカ、クレープ……、色々数字は気にしないことにしよう。

いつもは乗らない電車に乗り、いつもは歩かない道を歩く。

私は時々鞄からカメラを取り出して、目で見る景色より少し広く見えるレンズを通して風景を切り取っていた。

たまにカメラを構えたままシャッターチャンスを待つ時があったので、そのたびに彼女は放置プレイだ、と拗ねるのだった。



段々と日が傾いてきた頃、最後の目的地に到着した。

最後の目的地は、海沿いの公園。

ごちゃごちゃとした都心にぽっかりと穴が開いたように現れるこの公園には、水族館もあるし、海水浴場もある。

でも、私達の目的地はそのどれでもない。

その目的地はずっと視界の端に映っていたが、目の前に現れるとその大きさに圧倒される。

最後の目的地は、大きな観覧車。

そこまで有名ではないけれど、高い所から見る景色はきっと素敵なんだろう、と写真映え狙いで提案したら、意外と彼女も乗り気になってくれたのだった。


学食の食券を買うような券売機で乗車券を買い、スタッフに誘導されるままゴンドラに乗り込む。

扉が閉まると、ガタン、とゴンドラが少し揺れて、ゆっくりと天頂を目指して上昇を始めた。


夕焼けに輝く海が、遠くに見える。

いつもは地平線が見えるだけなのに、今、視界一杯に広がるのは、はるか眼下に広がる金色に輝く水面。


「綺麗……」


向かいのベンチに座っている彼女は窓に手をつくようにして、それをじっと見つめていた。

まるで水面の反射を受けている様にオレンジ色染まる彼女。

私は衝動に突き動かされる様に、鞄からカメラを取り出して、ろくに設定もせずにシャッターを切った。


カシャン


感光材に、時間を閉じ込める様に。


シャッター音に気づいたのか、彼女がこちらを向いた。


「ねぇ」


彼女がずいっと顔を近づけてくる。


「な、なに?」


急な接近に、思わずどきり、とする。

彼女のじとり、とした視線から逃げる様に再びカメラを構えた。


「カメラばっか見てないでさ」


そういって、私が顔を隠すように構えたカメラを、彼女が除ける。

耳元で囁かれていると錯覚するくらい目前に迫った彼女の声は、何かを押し殺したようにこう言った。


「私の事も見てよ、ね」


私の眼は、彼女の視線に縛り付けられたように、彼女をフレーミングして動かない。

私と彼女との間にはレンズも、プリズムも存在しない。

そして彼女は、私の眼の焦点が合う限界より更に近づくと、そっと頬に手を添えて、唇で私に触れた。

大好きな彼女しか見えない視界の中で、私は彼女に応える様に彼女を求める。


私達は、ゴンドラの微かな振動を感じながら、二人きりの世界で、唇と唇で触れあっていた。



どれくらい時間が経っただろうか。

満たされた私達は、どちらとなくそっと唇を離した。


大好きな彼女の、いつもはカメラばかり覗いているその綺麗な瞳は、今は私だけを見つめている。

夕焼けのオレンジより、夜の紺をよく映すその瞳。

豊かなセミロングの黒髪が、さらり、と肩に流れる。


「――やっと見てくれた」





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