第12話 幸せな×××

弾けて消えてしまう前に

私の中で膨れていく邪な気持ちに、決着をつけたい。

でも、それをぶつけたい相手は、私の事は見てくれる事は無いだろう。

でも、それをぶつけられず弾けてしまったら、きっと私はどうにかなってしまいそうだ。


悶々と悩んでも、現実は変わらない。

あの子の隣にいるのは、いつも彼。


でも、それが「普通」なんだ。

私は「異常」なんだ。


常識と言う名の鎖で、破裂しそうな心をなんとか縛り付けている。

鍵を掛けた南京錠が、ちぎれそうに震えている。


今のところ、まだ大丈夫。



私達にその先はあるのだろうか。

今は、なんというか、凄く、幸せ。

彼とこうして一緒に居られるのは、嬉しいし、楽しい。

今はまだ学生の身。

でも就活が終わり、卒業すれば、もう一歩踏み出せる。

そうすれば、私のこの気持ちは。

今は恋だけれど。

いつかは愛に変わるのかな。



授業が終わり、テキストやノートを鞄に仕舞う。

隣の彼女も、同じように机の上を片付けつつも、なんとなく浮かない顔をしている。

彼女は普段、同じ教科を履修していると彼氏と一緒に授業を受けることが多い。

だが、今は就活真っ只中。

今日は面接を受けに行っていて学校には来ていないという。

浮かない顔をしているのも、きっと彼氏の結果が心配なんだろう、と思う。

そんな彼女は就活強者で、早い時期に内定を幾つかもらって、今はどこに行こうか悩んでいるのだそう。

私は、可もなく不可もなく。今の所内定は一つ。ただ希望の業界ではないので、まだ続けている…、そんな感じ。


彼女は卒業したらどうするのだろうか。彼氏と同居でもするのだろうか。

大学生の恋愛は、中高生のそれとは事情が異なるものだと思っている。

今までには考えられなかった、卒業した後の「先」が容易に想像できるし、想像したそれを実現することも不可能ではない。


私は……、今まで特にそういったイベントは起きていない。就職して引っ越せば、何年かは独りで過ごすのだろう。

それを悪い事とは思っていないし、無理にでも変えようとも思っていない。

むしろ、そうしなければ、と思っているくらい。

私の理想とする形には、未来は存在しない。

「普通」ではないんだ。


私が「普通」になるまで。

一体何年の月日が必要なのだろうか。


――私の目の追う先には、常に彼女がいる。



その日は、外は少し暑かった。

行きつけの人気の少ないカフェで、彼と会った。

彼が、就活を終わりにすると言って、私に見せた会社の募集要項。

本社がある所は、絶望的なくらい遠い所で。

私は、あわよくば実家から通えるような所しか受けていないし、希望する会社もそういうところにしか無かった。

でも、彼は違ったということなのか。


「ずっと悩んでた」

彼は言った。

「でも、君の将来の邪魔はしたくない」


何、それ。

つまり、何が言いたいわけ。


「――×××よう」


頭の中が拒否の感情で溢れかえり、現実に伏字を作り出した。

音として聞こえてはいたが、意味を理解する事を脳が拒否した。


何も言えなかった。

言葉を発することが出来なかった。


ドアベルが、からん、と鳴った。

彼が去った後には、温くなったカフェラテと、私だけが残された。




その日、彼女は学校に現れなかった。

安否を尋ねても、LINEは未読のまま。

そして、彼氏は私の事を知っているはずだが、何があったのか尋ねてくるようなことも無い。

何かあったに違いない、と思った。

しかも、どちらか一人ではなく、二人に関して。

恐らく、彼に訊いてもまともに取り合ってはくれないだろう。


私の中で、は再び膨張を始めた。

鎖が、今にも切れそう。

今はダメ。絶対にダメなんだ。

ダメと言われると、やりたくなるのが人間の本能のように。


何度か行ったことがあるから、場所は覚えている。

私の足は、自然と彼女の家に向かっていた。



インターホンが鳴った。


両親は仕事で、他には誰もいない。

誰が来たのかは分からない。

携帯は電源を切ったままだし、両親から来客や宅配の話は聞いていない。


もう一度鳴った。


仕方ない、と布団から出て、インターホンまで歩く。

寝癖で髪が荒れ放題なのは鏡を見なくてもわかるくらい酷い。

インターホンの画面に映った相手は、見知った彼女だった。


「どうも、入っていい?」


遊びに来たかのような口調だ。

本当は誰も入れたくはないのだが、何だか後で彼女にこっぴどく怒られそうな気がした。


「――開けるね」



髪型を、人に会う最低限のレベルに整えている間に、玄関のチャイムが鳴った。

開けると、彼女は私を見て少し驚いたような表情をしたあと。


「心配だから、会いに来たよ」


と、少し寂しそうに微笑んだ。




彼女は、ぱっと見で分かるくらいに、酷くやつれていた。

いつもは派手過ぎない程度にきちっと整えてくる姿しか見たことが無いだけに、少し驚いた。


「何があったの……、と聞くまでもないかな」


彼女は何も言わず、こくん、と頷いた。





「……遠くに、引っ越すんだって」


「私の将来は邪魔できないから…て、なんなのよ」


その一言がきっかけになって、頬に雫が流れた。

彼の前では流れなかった涙が、彼女の前では不思議と流れた。


今になってみると、なにやってんだろうなぁ私、と笑えてくる。

振られて、学校さぼって、友人に心配されて家まで来られて、こんな彼女の胸元で泣いているなんて……???


いつのまにか、視界は薄暗くなっていた。

顔には柔らかく暖かい感触が広がっている。微かに柔軟剤の香りがする。

堰を切ったように、涙が止まらない。


すっかり弱くなった私は、そうやってしばらく泣き続けていた。



胸元が暖かく湿っていくのを感じた。

その温もりは、私の心の鎖を溶かしてしまったようだった。

「異常」という足枷も、何処かへ消えてしまった。



彼女の頭を抱き寄せていた腕を解き、手を添えて少し引き離す。

彼女の赤く充血した瞳が、幼い子供の様にこちらを見つめる。


少し離れた距離を、再び縮めるように引き寄せる。


「んっ……」


彼女の体温を、唇で感じた。

人の体温をこうして感じたのは、初めてで。

好きな人の体温は少し、湿っぽくて、熱かった。

すっかり弱った彼女は、抵抗する事なく、されるがままに接吻を受け入れていた。


ややあって、顔を離す。

気化熱に、彼女の体温が薄れていく。


「――どうして?」


泣くことも忘れたように、茫然と彼女は問うた。

私の中に明確な答えは、用意されていなかった。

ただ、言える事。

彼女が

でも、


「私じゃ……、ダメかな」


出てきた言葉は、たったそれだけ。


「そんなの……ッ」


唐突の告白に、彼女は言葉を詰まらせた。

その顔は、困惑しているように見えるが、それだけでは無いような。

複雑な色々が絡み合っているような。

その表情を見て

君をもっと好きになった

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