『この世界の片隅に アニメ版』 エンドロールの片隅に 

 ドラマ化されると聞いて。


 戦時中、呉に嫁いだ少女の日常。


 戦争映画なのに、妙な明るさがある。

 アリよけのために、主人公は砂糖入れを水瓶の中に浮かせ、誤って沈めてしまう。

 広島の闇市に向かうことになった主人公は、法外な砂糖の値段に愕然とする。

「キャラメルが百円でも買えなくなって、靴下が三足千円になる時代が来るのかな」

 と想像するシーンが、今の世相を予言していてクスリとさせられる。

 戦争そのものより、戦争を介しての生活を描いた作品だ。

 戦争を美化もせず否定もせず、反戦感情も煽らない。

 主人公は絵が趣味で、キャンパス上から世界を見ているという描写が見られる。

「戦争はあるけど、たくましく生きている」という強調もなく、物語はまったりと進む。


 印象的だったのは、小説講座の講師が仰った感想だ。


「あんな風に原爆を扱った作品は見たことがない」

「ようやく、日本はああいう表現ができるようになったのかな」


 確かに、原爆の表現は一瞬だ。

「なんか光ったよね?」

 と、義理の姉が声を上げる程度である。

 それがより一層意味深い表現ではあるのだが。

 主人公にとっては、親戚の子を奪った不発弾の方が恐怖の対象だろう。

 また、原爆による悲劇は、ラストでも意味を持つ。


 まあ、戦争を知らないオレからすると、戦争描写の正確性など判別できない。それは先人にお任せしたい。


 個人的に、この映画は「エンドロールが本編だ」と言えよう。


 話の中盤で、主人公は闇市の帰りで道に迷ってしまう。

 変わった少女が、主人公に道案内をしてくれる。 

 彼女は遊郭で遊女をしていた。

 

 ED、キャスト紹介の片隅で、彼女が何者だったのかが描かれるのだ。


「ああ、あの子だったのか!」と、誰もが思うだろう。

 

 個人的に、この話が一番気に入っている。


 かの遊女も、作品世界の片隅でしっかりと生きていたのだ。

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