刑事が来てからすぐ、退院許可が下りた。直ぐに身支度して帰宅したものの、さすがにその日は登校する気にならなかった。

 簡単な夕飯を食べて身支度をすると、すぐに寝た。泥のような眠りだったのもあってか、不審な事は起きず、珍しく夢も見ず、目覚めも妙に早く訪れた。

 登校時間まで余裕があるため、朝食をとりながら居間においてある年代物のテレビでニュースを見ていたが、町内のパニックは最高潮のようだ。

 押しかけるテレビカメラ。片手程しかない市内の高校全ての校門前から中継が行われている。

 遂に最後の一校、畏怖夜いふや高校からの失踪者が出たためだ。見慣れた校門前にたくさんのカメラ、脚踏み台や脚立が並び、自分と同じ制服を来た生徒に声をかけている。あからさまに迷惑そうに逃げ惑う生徒、どこか浮き足立った態度でインタビューに答える生徒、様々だ。

 どうやらかなり面倒くさい事になってしまったようだ。こうなってしまっては事件が終息するまで厄介なものが学校に取り憑いている。マスコミだ。ただでさえあんなことがあった後だというのに本当に気が重い。

 仕方ない。その日はいつもより更に一時間早く登校することにした。

 玄関の鍵を閉めて一度、深い息を吐く。元々父と二人暮らしで、殆ど家事はやっていたが、この見知らぬ家でもそうすることになるとは思っていなかった。玄関前の石畳を踏み、一度振り返る。

 左右に広がる庭、目前の玄関の引き戸も以前のマンションの倍以上の大きさだ。古い木造の屋敷…この辺りでは五本の指に入る 大きさらしい。そこに、今、一人で住んでいる。

 見る限りとても古い家ではあったが、綺麗に掃除されていたのに、何処か空き家然とした雰囲気がある。それがどうにも不気味だった。

 通学路を進みながらつらつらと考える。正門も校門も恐らく招かざる客が固めているだろう。まだ裏門のほうがマシかもしれない。だがあの竹林も鬼門だ。そういえば、あそこであったあの女も、何か人ならぬものだったのだろうか。

 刑事の言葉が頭をよぎる。

 呪い―――。

 一体何の話だろう。もともと人付き合い多い方ではない。噂の類ならば、流れていても知らない可能性がある。まじないの類のものが流行っているのだろうか。全く興味はないが、この状況にその噂は親和性が高そうだとは思った。

 そう詳しく聞いたわけではないが、ニュースで見た範囲の情報だと、今回の失踪事件はとにかく不気味なのだ。犯人の目的も見えない。実像も掴めない。痕跡はなく、前触れもなく、唐突に生徒が消えていく。

 神隠し。その言葉がしっくりと来る。

 煌は立ち止まる。例の山道へと続く辻に来ていた。もう正門を通ることを心に決めていた彼が立ち止まったのは、道を選ぶためではない。泣きはらした目の女子生徒がそこに立っていたからだった。

 見慣れた制服。そのポニーテールはいつもの様に軽やかに揺れたりしない。生き物のように柔らかく動いていたそれはただ、鼻をすする音に合わせて噎び泣くように震えるばかりだった。

「お…はよう。珍しいな…山木」

 無視するのも感じが悪いだろう。そう判断して一声だけ掛けて過ぎ去ろうとする。親友が居なくなってしまった。その痛みに掛けるべき言葉を、いくら胸元で探っても出てこなかった。無責任に大丈夫だと言うのも酷く軽薄な行動のように思えた。

 珍しい、というのは素直な感想だった。山木の家がどの辺りだかは知らない。ただ、通学中に彼女を見かけたことは一度もない。それが朝練などのせいなのか、偶然なのか、はたまた何らかの理由でここにいるだけで家は全く別の場所なのかは判らない。

 反応を待たず、すれ違った直後だった。

「待って!」

 背後から声がかかる。無論山木だ。立ち止まり振り返ると、彼女は少し困ったように眉根を顰めながらも、無理に口角を上げ、首を傾げた。

「事代くん、私の名前覚えててくれたんだね…」

「席近いだろ」

 そう返すと、彼女はほっとしたような顔をした。緊張していたのかもしれない。声を掛けたから無理をしているのか?要らぬ気を使わせたかと思ったが、彼女の一言でそれは見当違いだと気づく。

「私、事代くんのこと待ってたの。話が聞きたくて…ごめんね、ストーカーみたいなことして」

 煌は小さく頷く。でも、同時に申し訳ない気持ちになった。多分藁をも縋る、という気持ちなのだろうが、生憎、煌は篠井に関することは何もわからない。

「残念ながら何も知らないんだ。貧血で倒れただけで…」

 言いかけたが、山木は「しー」と唇に指を当てて沈黙を促し辺りを見回した。早朝だ。人気はない。一度頷いた彼女は小声で言う。

「誰に聞かれるか分からないし、学校行こう。…抜け道教えたげるよ」

 煌が頷くのを確認した山木は神妙な顔で一度頷き、数歩前を歩き始めた。方向は正門の方向だったが、暫く進んだ所で、立ち止まる。人一人やっと、といった雰囲気の路地がそこにはあった。両脇は民家の塀。薄暗いが突き当りにも生け垣が見える。一見して行き止まりのように思えた。

「ここ、部室の側に繋がってるの」

 先導する山木について路地に入る。日陰はなんとなく湿った印象がする。暑くなくて結構だが気持ち良いとは言いがたい。すぐに生け垣が迫ってくる。遠目には解らなかったが、確かに生け垣と左側の民家の間には隙間があるようだ。

 山木は生け垣に突き当たって右折する。左は件の生け垣、右は先ほどまで右手に見ていたの家の壁のようだ。勝手口は見えたが古い荷車とダンボールで塞がれていた。

 その道も長くはない。四、五軒先までは通れるようになっている様子だったが、その先は左右の家の塀がぴったりくっついていて行き止まりになっていた。

 山木は臆面もなく進んでゆき、行き止まりになる家の一つ手前の家の横に進む。煌はギョッとした。一見して民家の庭とわかったからだ。

「これは…」

「大丈夫、この家空き家なんだよ」

言われて、侵入した敷地の中心に立つ古い建屋を見上げる。木造で古い建物だが、そこまで荒れている気配もなく、人がいるかは判じかねる。今更優等生ぶって引き返すわけにも行かず、煌は黙って山木の後に続いた。もう、突き当りに学校を囲むフェンスが見えている。

「登るのか?」

 思わず問いかけると、彼女は振り向いて首を横にふった。それ以上何も言わなかったが理由はすぐにわかった。

 敷地を抜けて通りに出ると、目の前が学校をぐるりと取り囲むフェンスだった。しかも、突き当たって少し左側が破れている。少し身を屈めれば充分入れそうだった。

 しかし、これなら、山木が立っていた辻からまっすぐ進んだ所に繋がっていそうだと思ったのだが、目を向けるとそちらは行き止まりだった。川があるようだ。愛想のないガードレールが設置されていた。

 山木は予想通り、フェンスの破れたところに身を滑りこませる。煌も後に続いた。なるほど、便利だ。何気なく辺りを見回して、たった今敷地を通らせて貰った家を見る。玄関のドアに、不動産屋が設置したのだろう、空き物件と大書きされた赤い看板が下がっていた。

「教室行きましょう」

 山木の声に頷き返し連れ立って下足場に向かった。遠く正門の方にはテレビで見たような光景が広がっている。脚立に乗ってカメラを構える人、別の人物と話し込むアナウンサーらしきスーツの男性、或いは女性。その間をなんとか通り抜けようとする生徒。

 やはりもう詰めているようだ。何にせよ「助かった」と山木に礼を言うと、「大変なことになっちゃったね」なんて返事があった。彼女にとっては他人ごとではない筈だ。気を使ってるのだろう。

 教室に入ると、すでに五名ほど登校済の様子だった。実際に室内にいたのは二人だが、鞄があったり、机の上に何かしら置いてある。幸いなことに、山木と煌の席のある窓際の列の付近にひと気はなかった。

「おはよう、事代くん。大丈夫なの?」

 西山杏にしやまあん、だったか。あまり話したことはないが、中学の時も同じクラスだった。煌は頷く。

「ちょっとコブができた」

「その程度でよかったよ。救急車呼んで大騒ぎだったんだから!」

 まあそうか。そうなるよな、意識もなかったのだし。今更だが救急車まで呼ばれていたのかと驚きつつ、「ありがとう」と返す。西山は小さく頷いて寂しそうに俯いた。

 恐らく、口にするのを憚っているのだろう、今日、登校しないだろう彼女のことは。

 席に荷物を下ろすと、すぐに山木が近づいてきた。ちょっと迷ってから見慣れない隣の席の椅子を引く。背筋がゾクッと泡だった。あの教室にあった机なのは間違いなさそうだ。

「知ってると思うけど…」

 切り出した彼女にしっかり頷いてみせる。改めて口にするのはきっと辛い。それはなんとなく心あたりがある。山木は頷き返して俯いた。

「倒れた時、あの教室で何があったの?」

 刑事とおなじ質問だ。煌は悩む。役に立つことはない。でも刑事に言うよりは気安い気もする。だが、果たして口にすべきなんだろうか?あんな、悪夢のような、現実的ではないできごとについて…。

「運ばれてる時に私、あの」

 山木は口籠る。室内の視線はこちらには向いていないが皆が耳を澄ませているような気がする。人の少ない教室だ。どうしても、聞かれてしまうのだろう。

 言うまい。と、無難な選択をしようとした。けれど。

「足、すごい痣になってたよね。事代くんってそんな風には見えなかったけど、やったってことだよね?」

 煌は山木を見る。

 やった?何を―――だ?

 どう問いかけよう。素直に問いかけても答えてくれるだろうか。少し悩んだが、結局何も浮かばない。仕方なく、そのまま伝えることにする。

「話が見えない」

 山木の顔色が変わる。明らかに混乱しているようだったが、少し置いて何かに気づいたような顔をした。彼女は目を瞬かせた後、絞り出すように問いかけてくる。

「え…関係、ない…の…?」

「何とも言えない。どういう意味なのか教えてくれないか?」

 言うと山木は唇を一度引き結んでから首を横に振った。教えない、という意味かと思ったがそうではなく、自分に何かを言い聞かせていたのだろう。彼女はすぐに口を開いた。

「イヅホさま、っていうおまじないが流行ってたの、知らない?」

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