第2話 TENDER GREEN(テンダー・グリーン):新緑
「おっ、来た来た!こんにちは、健人くん!」
健人は次の休みの日、約束通りに、(休日出勤を促す上司の電話を何とかやり過ごして)もっちゃんのいる山へ、来ていた。
「こんにちは、もっちゃん!
…ってか、テンション高くない?」
「そう?私はいっつも通りだけど…。ってかそんなこと、気にしない、気にしない!」
「…分かった。
それで、今日は何するの?」
「それは、健人くんと…美術館デート、かな!」
「デ、デート!?」
健人は、そのカタカナ3文字を聞き、少し動揺した。
「いや、別に私が健人くんと、恋人として付き合うわけじゃないよ!
でも、2人でどこかに出かけるって、デートみたいじゃん!」
「ま、まあね…。」
健人は、そう答えた。また、いややはり、もっちゃんはテンションが健人に比べて高い。
「でも、もっちゃんって、美術が好きなの?」
「うん、大好き!
でも、私って、一般の人には姿が見えないじゃん?だから、美術館には入りにくくて…。
もちろん、こっそり入ることはできるんだけど、それって何だか後ろめたいし…ね。
お金も払ってないのに絵だけ見るのも、気が引けるし…。」
「ふうん、そうなんだ。
…ってかもっちゃん、俺と美術館に行っても、もっちゃんの姿は見えないんだったら、結局お金は払わないんじゃない?」
「あ、そっか。
まあ、細かいことは気にしない、気にしない!」
「何だよそれ~!」
『もっちゃんは、ちょっと天然な所があるのかな?』
健人はもっちゃんと会話をしながら、そう思った。
「それにしても、『森の妖精』で23歳って、…そんなもんなの?」
健人ともっちゃんは、山から美術館へ行く道中、話をしながら歩いていた。
「えっ、どうして?」
「いや、俺の勝手なイメージだけど、森の妖精って、200万年とか生きてそう…。」
「それって、私がそれだけ、老けて見える、ってこと!?」
「いやいや、そういう意味じゃ…。」
「冗談だよ冗談!健人くん、一瞬困ったでしょ!?」
「はい…。」
こう言い合いながら2人は、笑った。
「確かに中には200万年生きてる妖精もいるらしいけど、私は23年しか生きていないから、その辺のこと、よく分かんないなあ…ごめんね。」
「いや、別に謝ることじゃないよ。俺もどうでもいいこと訊いて、ごめんね。」
「おっ、健人くん、優しいなあ~!」
そう言ってもっちゃんは、また笑った。
『もっちゃんは、よく笑う人だな。』
それを見た健人も、微笑ましい気持ちになった。
「では大人1人、1,200円となります。」
「ありがとうございます。」
健人は美術館に着いた後、観覧料を払った。そして、その時、美術館のスタッフは妖精のもっちゃんの存在に全く気づいておらず、
『やっぱりもっちゃんは、森の妖精なんだな。』
と、健人は思った。
「今日はこの美術館、『ユトリロ展』やってるらしいね!」
「…俺、美術には全然詳しくなくて、申し訳ないんだけど、その『ユトリロ』って、どんな人なの?」
「えっ、健人くん、知らないの!?
しょうがないなあ。ユトリロっていうのは、近代フランスの画家で、彼の作品はそのほとんどが風景画、それも、小路、教会、運河などの身近なパリの風景を描いたもので…、」
もっちゃんの説明は続いた。
「それでそのユトリロは、シュザンヌ・ヴァラドンという母親の私生児として生まれたんだけど、その母親が自由奔放な人で、例えばユトリロ本人よりも年下の、ユトリロの友人と付き合い始めちゃったりなんかするような、そんな人だったの。
まあ、そんな母親だから、ユトリロはまともに母親の愛を受けることができなかった。それで、若き日のユトリロはお酒に走るようになって、10代の頃から、アルコール依存症に悩まされるようになったの。
そんな中、飲酒治療の一環として、ユトリロは絵を描き始めるんだけど、その絵が評価されて、今日に至ってる、ってわけ。」
「へえ。なんかユトリロって、大変な人生、送ってるんだね…。
何か、今の俺、そのことが他人事に思えないな…。」
健人は、ユトリロの置かれていた境遇を、もっちゃんから初めて聞いた。そして、(原因は全く違うものの)その「不遇」を、自分自身に重ねてしまった。
「うん。私も、勝手にだけどそう思って、健人くんにも、こういう人がいたんだって知って欲しくて、今日はここに誘ったんだけど…。
そういった境遇の人が描く作品、見て欲しくって、ね。」
「分かった。ありがとう!」
健人は、もっちゃんに素直に感謝した。
また、もっちゃんがユトリロについて語っていると、
「すみませんが、どうかされました?」
と、健人は美術館のスタッフに呼び止められた。(もっちゃんの姿が見えないスタッフからは、健人の言動は不審に見えたらしい。)
「い、いえ、何でもありません。」
そう言って健人は、展示室へと向かった。(その時すぐに、もっちゃんが健人に、「ごめんね。」と言った。)
そして、2人は静かにしながら、ユトリロ作品を鑑賞した。
『俺、美術は本当に素人だけど、ユトリロの作品、すごいなあ…。
特に、色づかいが独特なように感じる。この絵もあの絵も、空の色が暗い気がする。やっぱり、これは10代の頃からアルコール依存症と、母親の愛情不足に悩まされた、ユトリロの心境を、表しているんだろうか?
だったら、もし俺がこの時代にいたら、ユトリロに声をかけてあげたい。
俺が、もっちゃんに声をかけてもらったように…。』
健人はそう思い、またもっちゃんに、改めて感謝した。
また、
『でも、空の色が明るい絵も、あるんだな。
この絵を見てると、パリに行きたくなるな…。』
サッカーの好きな健人は、元々ヨーロッパには興味があったが、こうやってユトリロの(彼にしては珍しく明るめの)絵を見て、ヨーロッパへの思いが、少し強くなったようであった。
また、健人は、美術に興味があるというもっちゃんを横目で見た。すると…、
そこには、さっきまでテンション高く話をしていたもっちゃんとは、別の顔の女の子がいた。
その眼差しは真剣で、絵に集中しており、少し、声をかけにくい雰囲気も、漂わせていた。そして、まるでユトリロ本人がもっちゃんの目の前にいて、そのユトリロに何かを諭すかのような表情を、もっちゃんはすることがあった。かと思えば、自分の気に入った作品の前では、(それが明るい作品なら)真剣な中にも喜びにあふれ、目をキラキラさせる、もっちゃんがいる。その様子は、まるで自分がこの作品群を描きあげたかのように、作品への愛にあふれ、また評論家のように、作品をチェックする目も、持ち合わせていた。
『もっちゃんって、本当に絵が、好きなんだな。』
健人はそう思いながら、しばらくもっちゃんの横顔を、眺めていた。そして、それに気づき、我に返ったもっちゃんと目が合うと、健人はにっこり笑った。
「今日は楽しかったよ。ありがとね、もっちゃん!
俺、絵がこんなに素晴らしいなんて、今まで知らなかった!」
「そっか。そう言ってくれて何よりです!
どうする?私は瞬間移動で帰れるから、ここでお別れする?」
「…いやでも、今日は山まで送っていくよ。何か、悪い気がするから…。」
「そっか。分かった。ありがとね!」
そう言って、2人は山まで歩き始めた。
「でも、健人くんの勤め先って、ブラックなんだよね?」
「そう、だよ…。」
そして健人は、定時になっても帰らせてくれないばかりか、パワハラも日常茶飯事である、今の職場の現状を、もっちゃんに事細かに話した。
「それは大変だね…。
健人くん、悪いことは言わないから、職場、変えた方がいいんじゃない?」
「俺も、転職は少しは考えてるよ。
でも、他に行くあてないし、簡単に雇ってくれるとこ、あるとも思えないし…、あと、転職活動をする時間さえも、ないんだ。
それに、これが大事な所だけど、俺、この仕事自体は、好きなんだ。確かに上司は最悪だけど、俺、昔っからおばあちゃん子で…、」
饒舌になった健人は、今の福祉事務所を志望した理由も、もっちゃんに語り始めた。
「すごいね健人くん!私、尊敬しちゃうなあ~!
でも、だったら余計に、他の福祉関係の仕事に、変わった方がいいんじゃない?」
「そうだね…。」
それは健人も前から思っていたことであったが、事態は、そう甘くはなかった。
「今日は送ってくれて、ありがとね、健人くん!
それで、なんだけど…。
今度の健人くんの休みの日に、私、近くのショッピングモールに、行きたいなあ。」
「あ、あそこね。
分かった。じゃあ今度の日曜日でどう?
俺、休日出勤の指示は無視して、ちゃんともっちゃんを、ここまで迎えに来るから!」
「ありがと、健人くん!」
そうして、2人はこの日別れ、健人は一人暮らしのアパートに戻った。
そして、次の日から健人を待っていたのは、いつも通りの日常、地獄だった。
「麻倉君、いつも仕事が遅い!回覧物は後でもいいの、見れば分かるでしょ?
物事には、優先順位ってものがあるの!あなた、そんなことも分からないの?」
「す、すみません、支部長…。」
健人はそう言われ、反論はせずに、そして回覧物を後回しにして他の業務を行った。
すると…、
「麻倉君、回覧物、たまりすぎ!」
「えっ、でも支部長、さっき回覧物は後回しって…、」
「私の言ってること、聞こえる?
とにかく、回覧物を回しなさい!」
「いやだから…、」
「聞こえない?か・い・ら・ん!」
そう言って支部長は、健人のデスクにたまった回覧物を指で叩きながら、大声で健人を叱った。その時、静かだった事務所内に、支部長が叩いた指の音が、こだまする。その音はまるで荒っぽいパソコンのキータッチのようであったが、まだ文字等を入力して生産的であるキータッチとは違い、その支部長の音は何ら生産的ではない、健人の目にはそう映った。
そしてもちろん、それは他の同僚が見ている前で行われ、健人はまたも、恥を同僚の前にさらすことになった。
『…ってか支部長、業務を回すためとかじゃなく、絶対に俺を叱ること、楽しんでるな…。』
健人はそう思ったが、
『大丈夫!俺にはもっちゃんがいる。もっちゃんに今日の話、聞いてもらおう…!』
と思い直し、何とか仕事にくらいつこうとした。
その心境はまるで、白黒だった映画から、カラーの映画に変化したようで、健人の職場での勤務に彩りが加わった。もちろん、相変わらずパワハラは続いているが、例えば黄緑色のコピー用紙をコピー機にセットした時、
『この色、今の新緑の季節の色と、おんなじ色だな。
今までコピーなんて機械的にやってただけだけど、よく見ると、色のついたコピー用紙はきれいなもんだ。
ああ、早く山に行きたいなあ。』
と、色にかけて健人はもっちゃんのいる山のことを思い、少し物思いに耽った。(しかし、いや案の定、その後健人は、
「ちょっと麻倉君、何ボーっとしてるの?」
と、支部長にこっぴどく叱られたが。)
そんな勤務のさなか、健人は本部に呼び出され、事務所内の地域福祉課の課長との、面談をすることになった。
この、地域福祉課の課長との面談というのは、健人の勤める福祉事務所が、定期的に行っているものである。そこで、課長は部下の意見を聞いて今後の業務に活かし、また部下の悩みを聞いて、その解決に努める…。建前は、この面談はそういった場である。
しかし、この福祉事務所の実態・中身を身を持って知ってしまった健人には、そんな淡すぎる期待は、持てなかった。
『どうせ地域福祉課の課長も、俺をひたすら、いじめるんだろうな…。』
勝手を知った健人には、この面談でも、飼い主に従順な犬のようになるしか、選択肢はなかった。
そして、面談当日である。地域福祉課の課長は、50代の女性で、仕事はよくできると評判の人であった。しかし、それは主に彼女の上司からの評判で、部下からは、
「あの人、自分の出世のことだけ考えて、部下のことは二の次らしいよ…。」
という、評判であった。
「麻倉健人です。今日は、よろしくお願いします!」
健人は先に本部の面談室で待機しており、その課長が入室してくると、立ち上がってそうあいさつした。
「いいから、座って!」
そして課長は、大きく、ギョロっとした目でにらみをきかせながら、健人にそう言った。
『この人の態度…これは、先が思いやられるな…。』
健人は瞬時にそう思い、何とかこの場をやり過ごすことに決めた。
「で、君、名前は?」
「え、麻倉、健人ですが…。」
健人は無理矢理、改めての自己紹介をさせられた。その間課長の目線は、獲物を射るように健人の方に向けられている。その様子はまるで、見たものを石に変える能力を持つギリシャ神話の怪物、「メドゥーサ」のようであった。(よく見れば、この課長は態度だけでなく風貌もメドゥーサに似ている、健人は瞬時にそう思った。しかし、この場で笑い出すわけにはいかないので、後でもっちゃんにその話をして、思いっきり笑おう、健人はそう
決めた。)
「で、麻倉君、今の職場で、悩みとかある?」
困った、と健人は思った。
『今の職場には、はっきり言って悩みしかないが、それを課長に伝えるわけにはいかない。そんなことをすれば、あとで支部長にどんなしっぺ返しをされるか分からない…。』
健人はそう思い、
「いえ、悩みは特にないです…。」
と、答えた。すると、
「悩みが、ない?」
課長はなおも健人を睨みながら、そう言った。
「はい…。」
「あなたね、4月から働いてきて、悩みがないわけないじゃない。それって、『鈍感』なんじゃない?」
「…。」
メドゥーサが、動き出した。
「あなたね、そもそも福祉に対する意識が、低いんじゃない?そんな、悩みも問題意識もないなんて、やっぱりおかしい。
本当にあなたは鈍感ね、ど・ん・か・ん!」
健人が二の句を継げないでいると、
「私、あなたの親に会ってみたいわ。
どういった育て方したら、あなたみたいな子ができるんでしょうね!」
課長はさらにたたみかける。
「本当に、近頃の若い子は、何もかもなってない。それもこれも、半分は親のせい。
どう?今から親の携帯のアドレス、そこに書いてみる?私が親を叱るから。」
「いや、それはできません。」
健人は何とか、課長にそう言った。
『…にしても、親は関係ねえだろ!』
健人の怒りのボルテージはその一言で高まったが、何とか健人は自分の心をコントロールした。
「なんだ。つまんないの。
ところで麻倉君は、何で福祉の道を志したの?」
次に課長はそう健人に質問し、健人は自分の祖母とのいきさつを、簡単に話した。
「そう。あなた、おばあちゃん子だったのね。
じゃああれかしら。そのおばあちゃんが孫を甘やかして、こんな子になったってこと?」
課長はこともなげにそう言い放ち、さらに何かを喋ろうとした時、
「ちょっと、待ってください!」
健人の怒りは、もう制御不能なくらい高まっていた。
「課長、お言葉ですが、僕が仕事ができないのは、全部僕のせいです。両親や祖母は、全く関係ありません!
それに、さっき祖母とのいきさつ、話しましたよね?祖母はもう、他界しているんです!そんな祖母を悪く言うなんて、常識外れだと思います!」
健人は、課長にそう吐き捨てた。その間の健人は、高潮して我を忘れ、一気にまくし立てるのみであった。
「あらそう。」
しかし、当のメドゥーサは、それに動じる気配もない。
むしろ、冷静さを失った健人を、まるで研究者が実験用のモルモットを見るかのように、一歩引いた視点で冷静に課長は見ていた。いや、モルモットを見る研究者は、研究という「善意」でモルモットを見ているので、「悪意」を持って見ていた課長は、本当にタチが悪いかもしれない。
「ところで、話を戻すけど、あなた、悩みはあるの?」
「そりゃあ、僕にだって悩みはありますよ!
例えば…、」
興奮していた健人は一気に、支部長のパワハラの件を、まくし立てた。それは、健人が初めて、事務所内部の人間に、職場での悩みを話した瞬間だった。そして、課長は支部長を庇うでもなく、ただ冷静に、健人の話を聞いていた。
「分かりました。君、もう出ていいわよ。」
一通り健人の話を聞いた課長は、面談室を出て元の支部に帰るように、健人に促した。
「では、失礼します!」
興奮がまだ冷めない健人は、とりあえず、その部屋を出た。
そして、この健人の言動が、後で重大事を招くのである。
※ ※ ※ ※
〈14年前〉
「ここで、みんなに発表があります。
3月いっぱいで、元木萌花さんが、別の小学校に転校することになりました。
みんな、最後まで萌花さんと仲良くしようね!」
担任の教師がクラスの児童にそう告げると、健人は、強いショックを受けた。
約1年前、萌花が父親に関するいじめを受けて健人がそれを庇い、それがきっかけで萌花が自分のランドセルに落書きをされた。健人はそんな萌花を庇い、励ますために、健人の黒いランドセルを萌花に渡し、健人は落書きされたランドセルで、家まで帰ったのであった。
そして家に着いた健人は、案の定母親から、
「健人、このランドセル、どうしたの!?」
と、訊かれる羽目になった。
「べつに、なんでもないよ!」
「何でもないわけないじゃない!」
そう言いながら、健人の母親は、その赤いランドセルの持ち主の名前と、フタの落書きを見た。
「健人、まさかこれって…。」
「だから、なんでもないっていってるだろ!」
「そう…。」
健人は気丈に振る舞っていたが、母親はそこで、学校で起こったこと、そして健人が「もときもえか」という女の子を助けたことなどを、悟った。
「すみません、うちの萌花が、お世話になったみたいで…。本当に、ありがとうございました!
これ、つまらないものですが…。」
「いえいえ、困った時はお互い様です。また何かあれば、よろしくお願いします。
お気遣いありがとうございます。頂きます。」
その日は(当然だが)萌花も健人のランドセルで帰り、萌花の母親も、それに対する健人の行動も含めて、学校で何があったかを知ることとなった。そして母は萌花に、
「萌花、学校で嫌なことがあっても、絶対に、負けちゃだめ!」
と伝え、
「うん、わかった、おかあさん!」
と、萌花は返事をしていた。またその後、
「でもこのランドセルのけんとくん、かっこいいわね。
また、けんとくんのお家に、お礼を言わないと…。」
と、母は健人の一家のことを気にしていた。
そして、萌花の母は健人の一家の住所等を他の人に訊き、健人の母にあいさつしたのである。
その後、健人たち麻倉家と、萌花たち元木家は、家族ぐるみでお付き合いをするようになった。
その結果、健人を含めた麻倉家は、元木家は両親ともに再婚で、お互いに連れ子がいること、(萌花の新しい父親の連れ子は、鈴(すず)と言い、萌花や健人より3歳年上であった。)また、父の仕事の都合で、健人たちの街に引っ越してきたことなどを、知ることとなった。
「けんとくん、みいつけた!」
「ちぇっ、うまくかくれたとおもったのに…。」
「わたし、けんとくんがかくれそうなとこ、だいたいわかるようになったよ!」
「えっ、ほんとかよ!」
「うん!」
健人と萌花は、姉の鈴も含めて、3人で遊ぶことが、多くなった。そして、まだあどけない健人と萌花の心の距離は、その遊びを通して、どんどん近くなっていった。
「けんとくんって、サッカーがすきなんだね!」
「ああ!」
「じゃあ、しょうらいはサッカーせんしゅになりたいの?」
「うーんしょうらいのことは、まだわかんないなあ…。
もえかはなにになりたいの?」
「えっ、それは…。
わたし、ケーキがすきだから、ケーキやさんかなあ…。
あと、わたしおえかきもすきだから、えもかきたいし…、
それに…。」
「それに、なんだよ?」
「いや、ひみつ!」
「なんだよそれ!」
この時、萌花は、
『しょうらい、けんとくんのおよめさんになりたい!』
という夢も持っていたが、恥ずかしいのか、拒否されるのが怖いのか、それを健人に伝えることができなかった。
『だめだ、わたし。
こんなんじゃ、けんとくんをほかのこにとられちゃう…。』
萌花は健人との遊びの最中、何度か健人に自分の思いを伝えようとしたが、それは結局、できなかった。
そして月日はめぐり、もうすぐ新しい、4月になろうとしていた。その間、季節は暑い夏、紅葉のきれいな秋、草木は枯れ、寒さの訪れた冬、そしてまた新しい春へと変化したが、萌花の思いは、全く変化することはなかった。
『よし、3ねんせいになったら、けんとくんにわたしのきもち、つたえよう!』
萌花は、今まで決められない政治家のように、その答えを保留していたが、このままではいけないと思い、そう決心した。
だから萌花の父親が突然、
「鈴、萌花、悪いけど、父さん転勤することになったんだ。
だから、引っ越しをしないといけない。
ごめん。2人には、分かって欲しい。」
と告げた時には、萌花はショックで気絶してしまいそうであった。
『どうして、けんとくんとはなればなれにならないといけないの…?』
父がそれを告げた瞬間、まだ食事の途中であったが、萌花は食欲も急になくなり、立ち上がって自分の部屋に閉じこもり、布団を頭からかぶって、泣いた。
「萌花、ちょっと、いい?」
心配した母親が、しばらくしてから萌花の部屋に入って声をかけたが、
「いや!はいってこないで!」
萌花はそれさえも、拒絶した。
「でも、お父さんも仕事なんだから、仕方ないじゃない。」
「そんなの、わかってる。わかってるよ…。」
「じゃあ、泣いてばかりでいいの?健人くん、そんな萌花を見て、どう思うかな?」
「…えっ!?」
どうやら、母には萌花の気持ちは、お見通しのようであった。
「萌花、健人くんに、気持ちを伝えなくていいの?
確かに健人くんとは離れ離れになるけど、もしかしたら、この先どこかで会えるかもしれないじゃない。
でも、萌花がそんなんだったら、健人くんも萌花のこと、忘れちゃうかもよ?」
「いや、そんなの、いや…。」
「だったら、健人くんに気持ちを伝えなさい。手紙でも何でもいいから、ね?」
「…わかった。そうする!」
そして萌花は涙を抑え、健人に手紙を書き始めた。
「ではこれで、萌花さんとの送別会を、終わります!
萌花さん、今までありがとう!さようなら!」
萌花は3月の終わり、クラスで送別会を開いてもらった。そして、その送別会も終わり、萌花は女の子の友達と、最後の話をしていた。
「ごめん。ちょっと、トイレにいくね!」
その後、そう言って萌花は、教室を抜け出し、健人の下駄箱へと、向かった。
「なんだ、これ…。」
健人はその日、放課後に地域のクラブのサッカーの練習があるため、1人で一旦家まで帰ろうとしていた。そんな中、1通の手紙を、下駄箱の中に見つけた。
そして、健人はその手紙の中身を、学校の物陰に隠れて読んだ。
―けんとくんへ
けんとくん、きょうで、わたしたちおわかれだね。
わたし、うまくいえないけど、けんとくんのことが、ずっとすきでした。
わたしのしょうらいのゆめは、けんとくんの、およめさんになることです。
むかしけんとくんにきかれて、いえなかったことだけど…。
だから、きっとどこかで、またあえるとしんじています。
そのときは、よろしくね!
あと、けんとくん、ランドセルありがとう。ほんとうに、うれしかったよ。
もとき もえか―
そしてその手紙には、萌花と健人、2人の絵が、クレパスによって描かれていた。
『おれも、もえかのことが、すきだった。
ずっとそうおもってたけど、いえなくて…。
なのに、どうして、はなればなれになるんだよ…。
もえか…。』
健人は、今からサッカーの練習が控えているにも関わらず、家に帰る気が、しなかった。そのまま家に帰ったら、萌花との思い出が詰まった学校を離れたら、二度と萌花に会えなくなる、その時の健人は、そんな思いに支配されていた。
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