第2話 失踪の真実

ついに梅雨入りしてしまった、と香椎先輩がボヤいている。自慢の黒髪がじっとりして気持ち悪いらしい。この人、顔立ちは良いし長髪も清潔感があるからモテても良いはずなんだけど、郷土研究会で常に奇態な言動を繰り返すから距離を置いて鑑賞されている。ナルシストぽいしね。


「あぁ、そういえば。みっしー、水澤さんて同じクラスかい」

「水澤、水澤奈々ですか。彼女なら隣のクラスですよ。小学校が同じだから知らないことはないですけど」

「へぇ。水澤さん、失踪したらしいよ」


突然の言葉にぼくが黙っていると、香椎先輩は水澤奈々が一昨日に学校から自宅に帰ってない、という話しを始めた。


「ん〜、心配な話しですけど家出か、何かじゃないですか」


褒められた話しじゃないけど、遊びに出て帰ってないのかもしれない。高校生にもなればそういう子も出てくる。


「きみが知っている水澤奈々はそういう娘だったのかい」

「……中学は違いましたから、はっきりとは言えませんが先月、見た感じでは変わらず大人しそうでしたよ」


黒髪で丸顔の可愛らしい少女が、はにかんだ笑顔を浮かべていた。水澤奈々はあの頃から変わらず大きくなったように見えた。それはぼくが変わったからそう思うのかな。


「そう、ならいいんだけどね。最近、犬や猫に危害を加える輩が出没してるらしいから。無事だといいね」


そう言うと香椎先輩は興味を無くしたようで、ソファに転がり何やら手帳を手にぶつぶつと言い出した。さらにはうぐいすあんパンを買いに行かせたのに、遅いなどと言っている。ぼくはもう帰ります、と伝えて部室を出た。今日はスーパーの特売があるから帰りに寄らないといけない。しかし急いでいるときに限って呼び止められたりするものらしい。


「打海。ちょっと……お前、うちのクラスの水澤のことを何か聞いてないか?」


内藤先生、そう言えば隣のクラスの担任だったな。まだ制服のことを言われるのかと思った。うちは私服でも制服でも構わない校則だけどぼくの格好に、眉をひそめる先生もいるのだ。


「いえ、何も」


ぼくがそう答えると内藤先生はさきほど香椎先輩から聞いたのとほぼ同じ話しをしてから、


「お前たちは小学校が一緒だったろ?うちのヒロアキとよく遊んでくれてたよな。何か聞いていればと思ったんだ。あぁ、そうだヒロアキも最近は口を聞いてくれるようになってな」


内藤先生はそう言って少し笑った。そうだ。ぼくと水澤さん、ヒロアキくんの三人であの頃はよく遊んでいた。中学で二人とは別れたが、ヒロアキくんはそれからまもなく不登校になって自宅に引きこもっていたらしい。


「あとは学校に行けたらいいんだが。なかなか、部屋から出られなくてな」

「……そう、ですか。先生、そろそろ用事があるから帰ります。ナナちゃん、水澤さん早く見つかるといいですね」


ぼくは足早にその場を離れた。ちらり、と振り返るとまだこちらを見ていた。先生は気づいていないようだ。小学生くらいの少女が内藤先生の後ろに立ち、ぼくを見つめていた。


◇◆◇◆◇◆


特売のタイムセールはいつも闘争だ。安価で美味しいものを、どれだけ確保できるか。ぼくは主夫と主婦の隙間を縫って、なんとか獲物を得るとふぅ、と吐息をついた。


「よっ、打海。どうよ、お目当ては買えたのか?」


茶髪の男性店員が愛想良く声をかけてきたので、ぼくは戦利品を見せてやる。


「やぁ、村上くん。なんとか今日も勝利を得たよ。ここの特盛合挽きミンチは量も味も最高だから、うふふ。楽しみだよ」

「マメだなぁ、お前は」


少し呆れ顔をされてしまった。いやしく見られてしまっただろうか。村上くんはぼくと同い年だが、このスーパーで働いていて常連のぼくを見るとよく話しかけてくれる。小学校で一緒のクラスだったからだ。水澤さんとも一緒に遊んだことがある。彼の家は母子家庭で今は働きながら夜間学校に通っている。


「そういえば最近、水澤さん。ナナちゃんにあわなかったかな」

「水澤? 二、三日前に買い物に来てたぜ。水澤には世話になってたからサービスしといたぞ。……そういや内藤先生は元気か?」

「元気そうだったよ。最近はヒロアキくんが口を聞いてくれるから嬉しいらしいよ」


村上くんは商品を整理していた手をぴたりと止めて、興味なさそうにそうか、と頷いた。

店を出るとぼくは立て看板の陰から、こちらを見ている小学生くらいの少女に近づいて話しかけた。学校からずっとついて来ているのだった。実は去年の秋のある出来事以来、ぼくは厄介な現象に困らされている。


「ねぇ、ぼくについて来ても成仏なんか出来ないよ」


《 死んだ人が観えるんだ》


そうぼくには所謂、幽霊が観えるらしい。ここに来るまで、少女にだれも視線やっていなかった。内藤先生も全く気づいている様子はなかった。ぼくの言葉に少女は首を横に振った。


「きみは水澤さん? でもなんで小学生の」


そう幽霊は水澤さんの、小学生の頃の姿をしていた。どうやら声が出ないらしい。赤いスカーフを巻いた首の辺りを触って、また首を横に振った。それからすっ、と動き出したかと思うと、角で立ち止まってぼくを手招いた。水澤さんは死んでしまったのだろうか。いや、生き霊?とかいう場合もあるらしいけど。

ぼくは水澤さんについて歩き始めた。夕飯を作らなきゃならないんだけど、これが、彼女との最後の出逢いかもしれないからだ。歩いているうちに、また小雨が降り出した。ぼくは水澤さんに追いついて、二人で同じ傘の下に入った。そういえばあの頃はこんな風に歩いたよな。幽霊の彼女は何も言わない。話せないのだろうか。未だに幽霊についてはわわからないことばかりだ。ただ彼女は怖くはなかった。時折、彼女の輪郭がノイズが走るようにぶれる。波長があってないからだと、ある人は言っていた。急に見えたり見えなくなるのはそのためらしい。

坂道を登り、いくつかの角を曲がった先で水澤さんは足を止めた。平屋建ての古びた家の門前だけど、ここは……そのとき水澤さんに一層、ノイズが走り点滅して見えなくなってしまった。


「おや、打海じゃないか。こんな所で珍しいな。どうした」


振り返るとカドヤの牛丼の袋を手にした内藤先生がいた。


「もしかしてヒロアキに会いに来てくれたのか。そうか、そうか。茶ぐらいだすから上がっていきなさい」


そんなに嬉しそうに言われると断り辛い。

家の中はお世辞にも片付いてるとは言えなかった。生ゴミのような臭いと所々に置かれた消臭剤の香りが混じって、余計に臭いを感じる。


「さぁ、そこがヒロアキの部屋だよ。良かったら話しかけてやってくれないか」

「先生、あの……」


ぼくはある事を言おうとしたが、辞めた。とりあえず言われた通りにするべきだろう。廊下に膝をついて扉と向き合う。


「えぇ、と……」


言葉を探していると不意に後頭部にガンっと強い衝撃をうけ、ぼくの意識は途絶えた。


◇◆◇◆◇◆


……クサイ、あ、イタタ。鼻をつく異臭と後頭部の痛みで意識がクリアになり始める。ぼくは何してたんだっけ。誰かと背中合わせで寝ているようだった。寝がえりをうってそちらを見る。うちの学校の制服を着た女の子がいた。彼女は無言でこちら側を目を見開いて見つめている。喉が食い千切られたように破れて流れた血が黒ずんで固まっていた。


「うぁッ!……水澤、さん……?」


やっぱり彼女は死んでいたのだあの損傷した喉、だから水澤さんは話さなかったのか。あまり広くない室内にはベッドや本棚というありふれた家具があり、それらを死が飾っていた。水澤さんの死体のほかに犬や猫が腹や喉を裂かれ内容物を散らしている。いや、人間の死体も一体じゃない。う、吐きそうだ……それよりも異様なのは体液で汚れたベッドの上に座る男、


「内藤先生……」


彼はぼくの呼びかけに応えず、牛丼をくっちゃくっちゃ、と音を立てて食べている。やがて食事を済ませると、ようやくこちらに気づいたように、目を向けてきた。


「すまんなぁ、打海。ヒロアキが、ヒロアキがどうしてもお前に会いたいと言い出してな」

「先生、こ、これは……」


ぼくがそう言うと先生は顔を歪めて泣きそうな顔で笑った。


「ヒロアキが、ヒロアキが求めているんだよ。全てはオレが悪いんだ。オレがヒロアキを殴ったときに頭をぶつけてな、それからヒロアキは変わってしまった。ひどく暴力的になって、最初はカエルや犬、猫だった。笑うんだよ、噛みついたり引き裂いたりしながら、笑うんだ」

「み、水澤さんは……」

「言ったろ。最初はって。段々とエスカレートしてね。人を連れて来いって……みろよ。これを」


おもむろに先生は服の袖を捲り上げた。歯型のようなものや切り裂いたような傷痕が無数にあった。


「ヒロアキは……息子は、怪物になってしまったんだ。打海、今さらだが逃げ」


先生は突然、びくりと身体を震わせたかと思うと、首を扉の方に向けて、


「あぁ!しまった。もうヒロアキが帰ってきた。あぁぁぁ、すまん、ヒロアキ、逃がそうなんて考えてない、から、ひぃぃぃ」


そう喚いて身体を亀のように丸めて、殴らないでくれと哀願を始めた。え、先生は一体何をしているんだ。


「先生、先生! いませんよ、ヒロアキくんなんて何処にも……ヒロアキくんはここにはいないんです」


肩に手をかけて呼びかける。だが先生はまるで一人芝居をする役者のように怯えていた。


「聞こえるだろ。あんなに扉を叩いているじゃないか……駄目だ、入って来てしまった」


聞こえない、そんな音は一切聞こえないんだ。まずい、人が死んでいる以上にこの人の精神状態は危険だ。逃げようとした時、ふいに片手を掴まれた。先生が先ほどまでとは違うギラギラとした眼をぼくに向けていた。ものすごい勢いで身体を引き倒されたかと思うと喉にのびてきた手、首が締め付けられる。


「あぁ、ヒロアキ、やめてくれ。その子はおまえの友達なんだぞ」


先生が叫ぶ、やめろやめろ、と。それに相反して喉を絞める力が強まっていく。違うんだ、先生、あなたの息子は……駄目だ話せ、ない。このまま死ぬのかな……先生の手に突き立てた爪がその皮膚を破っても、首は締まり続け……あゝ、音がしている。ドンドンッと扉を叩くよ、う、な……ぼくに、も"ヒロアキ"が見えて、しまうのか……でもそれよりさき、に死、ぬ……


◇◆◇◆◇◆


ふわりとした風が頰を撫でている。赤い赤い光が瞼の上からも感じるぐらいに、ぼくを照らしていた。ぼくは死んだのかな……眼を開けると巨大な夕陽がまるで視界の全てを塗り潰すように、あかあかとそこにあった。ぼくはどこかの丘の斜面に横たわっていた。身体を起こしてから水澤さん、小学生の頃の水澤さんがぼくの隣にいたことに気づいた。彼女はにっこり、と笑って丘の上を指さした。


「あっちに行くの?水澤さんも行くんだろ」


その言葉に水澤さんは哀しそうに首を横に振って夕陽がある方角を指さして、小さく手を振った。さよなら? あぁ、そうか。彼女は夕陽とともに沈んで行くのか。水澤さんが丘を下り始め、ぼくは丘を登り始めた。肩ごしに彼女の背を振り返って、


「さよなら、ナナちゃん」


そう呟いた。


◇◆◇◆◇◆


その後、ぼくは病院で目を覚ました。それから警察の人たちに色々と聴取を受けた。ぼくを助けてくれたのはスーパーの店員の村上くんだった。なんでも小学生くらいの女の子が手招きをするので、ついて行ったら内藤先生の家から只ならない叫び声がしたので家に入ったそうだ。ぼくが意識を失う間際に聞いた扉を叩いている音は、彼が扉を壊して入ってきた音だったようだ。そのまま内藤先生を取り押さえ、村上くんは警察を呼んだらしい。少し前に内藤先生が猫の死体らしきものを川に投げ込むのを、村上くんは見たそうで気にかけていたらしい。内藤先生は捕まり、精神鑑定も行われるだろうけど、罪に問われても殺された人は帰らない。内藤先生の錯乱は離婚して妻や子どもと別れたことが原因で、心が病んでしまったのだろう、と教えられた。先生の家庭内暴力が原因だったらしい。

退院後の初登校、学校の友人たちは心配しながらも詳しく聞こうとする人はいなかった。ただ一人、香椎先輩を除いて。この人を連れて行けば良かっただろうか。死にかけることはなかったかもしれない。


「大変だったねぇ。まぁ、き、みは引き寄せるからね。注意するよう言っただろ。水澤さん、うちの檀家だから念入りにお弔いしたから。墓参りならいつでも来なよ」


香椎先輩にしては優しい声音だったのは気のせいだろう。ぼくは礼を言って部室を出た。あれからちょうど一週間だ。今日の特売は野菜、じゃが芋の詰め放題だ。スーパーの入り口で村上くんに出会った。


「よぉ、元気そうでなによりだよ」

「おかげさまでね。ナナちゃんにも助けてもらったみたいだね」

「あれ、やっぱり水澤だったのかな?」

「さぁ。結局、ひとことも話さなかったから、もしかすると違ったのかもね」


ぼくがそう言うと村上くんは少し泣きそうな顔で笑って、


「水澤だよ、きっと。あいつらしいよ。後先、考えない馬鹿だ。打海を巻き込んでから焦ったんだろ……お節介で優しいやつだったから」

「ナナちゃんはきっと、気にしてないよ。村上くんのせいじゃない」


彼は肩をすくめて黙って掃除を始めた。


「じゃあね、ヒロアキくん」


返事はなかった。さて特売、特売、今日は肉じゃがにでもしようかな。

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