富士山と火縄銃
そもそも、ことの始まりは、火縄銃だった。2023年の8月のお盆。
びいはどうしても行かねばならないと言った。よくわからないんだが、どうやら、昔に大火事があった町らしかった。そんなことも、行くと決まってから、ぼろぼろ出てきた話だった。
最初、観光案内所にかけたら、定年退職後にのんびり働いているような江戸っ子みたいな、シニアのくせに粋なおじいさんが、いろいろ教えてくれた。どうやってその街にリーチしたら良いのか。新幹線を降りてから、ふじかわ号という特急に乗るらしかった。その後、市役所に電話をして、大火について調べた。市役所の人はとても親切で、図書館に行けば、写真入りの古い町の写真が収蔵された本があると教えてくれた。びいの様子が少し気になった。どうも、びいが持っている火事の記憶は、その町での記憶なのかもしれない。
火縄銃の人と関係あるのか?
そう聞いてみると、びいは首を振った。あの人は、知ってるけど、あの人は単にお客さんとして出入りしていた人、と。
ふうん。
その街には長屋門が残っていて、そこで火縄銃の展示があるらしかった。びいがその門の写真を見て、降りてきたように話した。見たものについて。火縄銃の人は、何とか屋さんの若旦那だと。火事の時、びいを連れて一緒に逃げた人ではなかったらしい。
調べてみると、子安神社という神社があり、そこの安という奉公人が正直で誠実だったはずなのに、妊娠してしまい。。。といういわれのある神社の話が出てきた。その娘は池か川に身投げして亡くなった後、そこに祀られていた。
お前とどう関係あるの?
びいはわからない、と言った。安はわたしじゃない、と。
わたしじゃないけど、すごく似てる、火事とか、親が死んでるとか……。
確かに身投げも同じだった。2019年、俺は大きな河に身投げしようとするびいを止めるため、いつも見張らねばならなかった。フランスのセーヌ川だった。セーヌかどうか、地図見てないが、でかい河は繋がってるに決まってる。ローヌ川までは行かない。その状態は数年続いて、俺は心の底からうんざりしながらも、まあ、目を離した隙に死んでしまったら、後味が悪すぎる、という理由で、びいを死なせてしまわないように見張った。今が2024年だから、まあ、どんなに大変な時も、時間が経てば何とかなることを学んだ。今は放置していても、とりあえず自殺はないだろう。
火事とその話は別の話だとは思ったが、とにかく絶対に行くとびいは出かけた。浴衣を持っていくと言ったが、重くて無理だとがっかりしていた。だが、不思議なことに、商店街を入ってすぐに、呉服屋さんがあり、浴衣の着付けもしていると言った。びいはとても喜んでそこで蒼い花火の模様の浴衣を着付けてもらった。本当にお姫様のように、侍従を扱い慣れたようなびいは生き生きして見えた。
しかしな、お前、あまり綺麗に着付けると、ふつーの人には見えないぞ……。
仕方ないとは思ったが、前世の因縁というのは、ここまで強く影響するんだということについて、振り返ると人類の歴史というのは、平和な時間はとても短く、ずっと地を這うような血塗られた時間が多いのだということについて、改めて時の流れを振り返った。
花緒に可愛らしい蝶の模様の入った黒い高下駄をぱたぱたと慌てて出かけるびいには、そんなこと、全くお構いなしのようで、浮き足立つような小さなうさぎのような後ろ姿を見ていると、まあ何でもいいか、と俺も苦笑いするしかなかった。
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