2023年7月3日 星の魔術で命拾い?


 今から思うと、俺も馬鹿だったのかもしれない。でも、背に腹は変えられなかった。


 びいが時々、食後に苦しんでいた。たいていは油の強い食事の後だった。数日気をつければ、別に何ともなくて放置していた。


 ある日、夜中に苦しんで、救急車呼ばないといけないぐらいに調子が悪くなった。左上腹部の痛み。背中に大きなクッションを当て、上体を起こして夜を過ごした。温かい水を飲ませたり、いざ救急車を呼ぶとなると、近所迷惑になるんじゃないかと思案した。


 そんな状態であっても、医者には行かないとびいは言い張った。まあ、俺達は医者には悪いが、実はもうあまり西洋医学を信じていない。本当に死にそうな時に、「切る」とか「貼る」とかくらいだ。


 そこから食事に気をつけ、一切脂を抜き、塩を控え、砂糖のお菓子をやめた。そもそも、一切食べられないくらいに具合が悪い。コーヒーやチョコレートで具合が悪い。おかゆや卵、良くて茹でたささみや鯛の汁物。味のない茹でた野菜。腎臓食、膵臓食を調べた。食事を変え、一週間、二週間。三週間経とうと、それでも良くなる気配はなく、背面痛まで出てきた。マヨネーズのような基本的な調味料でさえ、舌に刺激を感じるくらいだった。俺達、海外で20年近く、マヨネーズって、ほぼ食ってないから当然かもしれない。フランスでは、マヨネーズは体に悪い調味料として、料理に使うと眉をひそめられたし、そもそも、酢と油だけで手作りする本当のマヨネーズというのは、ソース・ホーランディーズだったっけか、オランダ風の、白アスパラガスの付け合わせの時くらい。やべえ、俺の記憶も薄れ始めたな。もはや発音が思い出せねえ。オーランディーズだっけ?


 背面痛まで出てきたということは、いよいよ膵臓や腎臓、肝臓、その辺りの臓器の不調が連動して出てきたということじゃないか?


 びいは自分が今年死ぬということについて、冷たい顔をしていた。長い間知っていたし、悔いもないと言い張った。


 ただ、最近、びいの学生時代の先生が、膵臓がんで余命宣告されたことを、偶然知ったばかりだった。びいは先生に電話しようと試みたが、電話はどうしても繋がらなかった。先生はメールの返事は気丈にも返してくれた。


 あと一年程度の余命ということだった。びいは先生なら、遠隔ヒーリング施術者も多く知人がいるはずなのに、と訝った。先生はこのことを誰にも話していないと言っていた。びいは先生を励ましながら、偶然に、自分もひどい痛みに襲われていることについて、自分達はこの流れの中で、地球を離れることを選択した魂かもしれないと言った。


 いや、正確には、ゾッとしたような顔をして、先生がここを去ることを決めたというタイミングで、同時にわたしもいよいよ本当に、これまでなのかもしれない、と呟いた。


 そんな時、偶然に欧州の星魔術の話に出会った。ネットで検索しても詳細は出てこない。シリウスのツテと聞いた時、びいがシリウスは遠い過去の故郷だから、もしかして、ご縁があるのかもしれないと言った。


 星魔術師に連絡を取ったのは、痛みに耐えかねて、だ。それと、びいの高校時代の友人が、それヤバいんじゃないの?と言ったからだ。


 死ぬ前に死ぬほど痛いやつ。


 「死ぬの後悔ないの? やり残したこととかさ」とテキストメッセージが返ってきた時、びいは「ない」と即答していた。


 「記録してる?」とだけ、友人は言った。びいは自分が死んだら、あらゆる自分に関する資料と自分のアートの作品の管理をその友人に託していた。美術部の部長で、どこかおっとりした雰囲気があるのは、着物屋の息子だったからだ。着物屋って日本語はないのか。呉服屋だ。呉服の呉がどういう意味なのか、俺は知らないが。多分とっくの昔に廃業したのだろうが。


 なんでそんな流れになったのかは書いてないと思うが、びいは自分のアートがこのまま消えていくことだけを懸念していた。日本に帰ってきてからは、従姉妹に頼んだり、どうにかしたいと探していたが、たまたまアートに造詣が深いこの友人に話をした時、何かあったら、PCのパスワードを引き受けてもいい、と言った。まあ、IT企業に勤めるシステムエンジニアだから、ちょうどいい。この話は前回の話と連動しているから、また書くかもしれない。


 びいが生きてるうちに、証拠保全みたいにすぐに動こうとした友人に、びいは言った。それはできない、と。友人は大事な共同著作物が盗用され、権利侵害されるかもしれないのに? と。


 その先生が、その作品で一発当てる可能性で、それで黙ってるのか?と部長は言った。もしかして成功したら、自分のところに先生がまた戻ってくるとか期待して?


 まさかそいつのこと好きだったとか……。そう部長は言わなかったが、空気感はそうだった。


 気色ばんだ部長にびいは言った。


 先生とは縁を切ったの。たとえこの先、生まれ変わっても、未来永劫、会うこともないわ。


 

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