応援コメント

8月23日 ハラキリと三島由紀夫」への応援コメント

  • 私もお盆の時期に父にブチ切れて自殺しようとしました。誰かを殺したいほど怒っている自分になるくらいなら自分を消したくて。
    父親に初めて怒った時でした。
    謝りながら、謝っていない父に、
    もうなんか怒りよりも冷めてしまって。
    心からじゃなくて、口で謝ってるのが分かって

    自分を殺して生きてる人は、人を殺すのか。
    私は人殺しなのか?と悩みました。

    母は泣き、自分も死ぬと言い、父はオロオロするだけで自分の手から自分の血が流れながらもその光景を冷静に見て、まるでドラマだと笑うようなそんな自分もいて、私は自分のことがよく分からなくなりました。
    至極冷静に笑う自分もそこにいる。

    人生の痛みの中にいた頃の再現のようなドラマ

    狂気とは、なんなんでしょうね。

    抑え込んでいたものが溢れる瞬間かもしれないし、流れる血を見て「生きている安心」を得る瞬間かもしれないし、なにかのきっかけで自分じゃないものに明け渡したことかもしれない。

    どうにもならない、どうにも出来ない無力感と疲れと苦しみと悲しみと気づかないほどに麻痺した自分の心の痛みと叫び。届かない声。

    狂気の沙汰は、見えない所で常に起こっては揉み消されていくものかもしれないですね……。
    誰かの限界の声でもあるように思うし、助けを求める声にも取れる。

  • びいさん、とんでもないことを考えていたのですね。怒りで自殺・・・という思考が私にはピンとこないのですが、そこまで怒ったことがないからですかね。自殺ってむしろ表現的ですよね。自分が死んで何かを伝えようとする・・・というのは。アーティストや作家でも自殺する人は少なくないイメージです。でもあの世で重罪と聞きますし、現世でも周囲の人を傷つけることですし、別の表現を選んで欲しいところです。