8月23日 ハラキリと三島由紀夫


 俺は、キチガイに刃物は失敗だったかと、思わず、合気道はともかく、居合はまずかったか、と今の状況を分析していた。


 びいはメッセージでチャット中に配偶者に「ハラキリ」の覚悟があるくらいに自分は本気で死ぬ気で生きている、と宣言していた。


 おいおいおいおいおい



 冗談じゃないと思ったのは、いやほんと、マジで冗談じゃないから。


 びいがほとんど死んだ人のようになっていることについては間近に見て知ってたが、それとこれとは別だ。


 三島のようにハラキリで自分の覚悟を見せてやるなんて言わなかったが、びいの言葉にはそういう重みがあった。俺はゾッとした。


 ちょ……変なこと言うな!


 俺は思わず、びいに言った。びいの目は座っていて、あの先生なら、介添えしてくれるかもしれない、と言った。



 お前……



 嘘だろ、と言うか、そんなこと本当になったらとんでもないから、絶対言うなよ、と俺は、キツく何度も、変なこと考えんなよ、介添えって、殺人になるだろ、先生が、と打ち消した。自殺幇助どころか、首切っちゃったら、まずい。


 また先生は結構、男気のある人だから、まさかと思うが、いや、そんなことより、破門だよ、破門!


 そんなこと考える物騒なやつを、門弟に置くわけないだろうが、お前、馬鹿は死んでからにしろよ、冗談でもそんなこと、考えるんじゃねえ!


 俺は、男なら殴るところだが、殴ってなんとかなるものでもないから、どうするべきか、目を覚まさせないとまずい、と感じていた。


 煮えたぎった怒りだろ、これ……



 俺は真面目に怖く感じていた。普通に河や電車に飛び込んで死ぬとかが可愛らしく思えてきた。とんでもないぞ。


 お前、そんなふざけた冗談、二度と口にするな!


 俺はびいにきつく言った。



 びいの配偶者もびいを知ってるが故に、そこからプツリと連絡が途絶えた。びいなら本当にハラキリしかねない。怖い。



 俺も初めて怖いと感じたかもしれない。覚悟の自殺もあまりに本格的すぎる。

居合の真剣をまだ間近に見たことないが、居合の先生は正真正銘の達人だから、自分が死んだと知るまでにきっと死ぬ。


 切腹はかなり苦しいから、スパッと。



 こんな文章が見つかったら、絶対に破門になる。これは小説です。これは小説だから。


 なんで俺が言い訳しないといけないんだよ。


 びいがここまで人生の最後に来て、ここまで恨みの中に生きることになるとは、と言っていたけれど、おかしくなるくらいに深い怒りとか恨みの中にいたら、そりゃあ訳わからない。



 居合の先生との出会いは奇跡でも、これまた、出会ってはいけない人に出会ってしまったんじゃないだろうか、と俺は、ぶるっと身震いした。



 居合の先生は稽古の時は眼鏡姿だが、眼鏡を取るとめちゃくちゃな美形だ。びいは実は、眼鏡の男が大好きで、よく「眼鏡かけてください」とか言ってたな。戦記の人に。


 戦記の人にそんな口のきき方、驚くんだが、無礼講ってやつ?


 2005年くらいのびいの作品に、Nostalgy Innocenteという作品があり、そのインスタレーション作品の中で、びいは刃物で髪の毛を切るというパフォーマンスをしている。パリのギャラリーだった。


 誰も知らなかったために、騒然となり、顔面蒼白の人たちが続出した。どういう意味があったのかは不明だが、想像するに、憑代なのか?そういや、2019年のパリの日仏文化会館のインスタでも、俺とびいのコラボだが、似たような系統だ。何か降りてきたらかなりまずいということで、たまたまそばにいた真言宗の僧侶の画家さんに、設置後、御経を唱えてもらったところ、それが問題となり、俺とびいは自作品の前に立ってはいけないと、オープニング以後、出入り禁止になった。


 俺もびいも別に、何か宗教に入信してるとかそんなのは全くない無宗教なんだが、作品の前でお経を唱えると誰でも同じ目に遭う。多分ね。


 とても馬鹿馬鹿しいが、布教活動をされると困るということなんだろう。正直ね、宗教がこんな扱い受けるようになったのはイスラムのテロのせいだよ。ある種、すごい事態だね。


 パフォーマンスというか、びいの作品は、作品の中に自分が存在して初めて成立するというインスタレーションで、既存のアートジャンルにはないから、びいは勝手にConcept+Actと名付けていた。


 何かわざわざ見せるためのパフォーマンス、ダンスや踊りをするのではない。自分のインスタレーションの作品は、自分がそこに存在して初めて、作品として意味を成すために、びいの作品は本人がいないといけないような形態になっていた。


 お盆の時期に、この世とあの世を繋ぐトンネルを作り、そこの場所で、自分自身を捧げ物の供物のように扱い、霊媒師や巫女のように、自分が作り出したそのインスタ空間、結界を守る番人として見届け、その一部始終をアートとして鑑賞者の前に提示するというコンセプトだった。びいのアートは基本、そういう構造のものばかりだ。


 あの作品、大変だったんだよなあ。入ってきた男に急に配偶者が殴られたり、近所の人に作品壊されるかもしれないような恐ろしい目にあったり、窓に張り付いて、びいをずっと眺めている人は不気味だがまだいいとして、メールでおそらく乱行パーティの秘密クラブ入会の招待状が届いたり……。


 着物を着た人形みたいなびいに思わず触ろうとする人が続出しそうで、危ないから、途中から、鑑賞は「窓越し」のみにせざるを得なかった。


 俺はため息をついた。身の危険を感じ、あまりに危ないから、ギャラリーを途中から完全に閉めて、外から窓越しに見せるだけの形式になったんだ。霊障のようなものもひどかったし。


 夜、通りがかりにふと見ると、気まぐれなびいが真っ暗なギャラリーの中、蝋燭を手に動いていたりして、怖いと感じる外国人もいたようで、まあ何というか、リアルなアートの最先端の現場って、通りすがりの人達が近づけば勝手に巻き込まれていくような大きな渦を覗き込むようで、その中心にいたびいは、とてもエネルギッシュだった。


 結果から、この世とあの世をつなぐトンネルというのはかなりまずいコンセプトだったということになり、びいはこの作品はもう封印する、と言った。まずい空間は作らないことにする、と。いろんなものが通る空間で、天国のように到達できる存在が限られるものではなく、未浄化の霊が行き来できる空間だったからね。


  そうだ……恨みを買い、生き霊を飛ばされ、事故に遭う寸前で、真夜中の車の中、なんとか見つけて宿泊したホテル……


 朝起きたら、原発の真ん前のホテルだったな……まじやべえ。あの作品は本当にマズかった。




 あの時……


 びいは結構、今よりもしっかりしてて、見よう見まねで生霊を祓っていた……あの時に初めてびいは、実はとてもしっかりしている神職みたいな、まつりごとに携わっていた前世があったことを知って……。いつも子どもで戦争時代で死んでたりしてた俺やびいだったが、そんなふうに老人になるまで生きて、まともだったこともあった、と知った……生涯、独身だったが。


 占いで政治してた時代って、すごい古くね?



 そんなびいが本気でハラキリするなんて言ったら、配偶者じゃなくても、やべえ、と感じるわ。さすがの俺も、今のびいなら本気でやりかねないと怖くなった。死んでもいい、この世に未練もない、恨みだけあるなんて、恐ろしい精神状態だ。もし万が一、こんな文章の存在が知れたら破門になる、と慌てた。


 清らかなびいが、ここまでになるなんて、俺も本当に、どうしたらいいのかわからない思いでいた。清らかだった分、思いつめ具合が酷い。止まっていた頭のネジが、いくつか弾け飛んだんだろう。何事も、限界を超えた我慢しすぎは良くないとしか言えない。


 ここにきて俺は、うさぎちゃんに相談したらどうかと、たまに頭をかすめた。うさぎちゃんはかなり早い段階で、離婚を勧めていたからな。その当時はまさか離婚するほど深刻ではない、と感じていたが、違った。頭がおかしくなるくらい我慢したらダメだ。



 三島……



 三島みたいに、日本国の先行きを憂えて、自分の弱さを何とかしたいと思い、世を変えるためにハラキリ?



 ちょ……いくら何でもそれは狂気!


 三島由紀夫のことをびいが初めて知ったのは、1998年だったと思う。ギリシャで、だった。


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