8月23日 慰霊祭の中止と配偶者と


 結局、今年の慰霊祭は雨で中止になった。清掃はあったが、8月15日が日曜ということで、前倒しにずらした上での決定だった。知事や市長が参加するようなきちんとした慰霊祭が、そんなふうに日付がずれ、ついでになくなってしまうということについて、危機感を覚えた。日本は……大丈夫なんだろうか、と。


 俺たちはまともに終戦記念日を日本で迎えることは長い間なかった。昨年、慰霊祭に参加して、とても感慨深かった。しかも、そこの場所は微妙に特別で、妙な縁を感じずにはいられなかった。


 戦記の人がびいに朗読してくれた本は映画となっていた。その記念碑が今になり、建立されていた。


 戦記の人も、なぜその本を選んだのか、びいがアトリエにお邪魔した時、唐突にその本を手に取り、朗々と朗読し始めたので、その意図は全くの不明だった。とにかくわけがわからないくらい、俺たちの縁はどこか妙に絡み合っていて、何も深く話していないのに、一体どんな前世の縁があるのかというようなことは、はっきりわかっている俺たちでさえも、思わずまだ思い出してないことがあるんじゃないかと感じるほどだった。


 俺の目から見たら、大きな一式陸高の模型を手に飛行機の詳細を話す戦記の人は、俺たち二人しかいないアトリエだったが、まるで多くの人が耳をすませて、講義をじっと聞き入る時間のように水を打つ静けさがあった。


 戦争は悲惨だったが、実は俺も、びいも、戦記の人でさえ、当事者だった。戦記の人は、知ってか知らずか、ただただ、俺たちの知らない具体的な飛行機の詳細を模型を手にし続けた。


 世界的に有名なその映画は、義理の母親でさえDVDを持っていて、ある夏、話題になった。義理の母は、とても悲しい映画なんだと言った。俺もびいも、あまりに悲惨すぎる戦争の話ということで、子どもの頃、見るのを禁じられていて、その話の中身は全く知らなかった。DVDも今日になってさえ見ていない。見てないが中身は体験しているというような意味で、知っていた。


 誰も信じないだろうが、俺たちは戦争の経験者で、幾度も孤児で生まれ、死んでいる。俺もびいも、無邪気に戦争を日常として生きて、むしろ、平和すぎる中では、あまりにこれまでと違って、ピンとこなかった。不便や虐げられた状態というのは、良い状態があり初めて、悪い状態がわかるのであり、最初からその中にいれば、それが普通になる。俺たちは今回生まれた時、あまりにこれまでと違うから、平和な世の中というのは退屈なんだな、と幼少時代に感じたことをはっきりと覚えていた。


 びいがフランスにいた間、自分がやらなければならない残されたことというのは、一冊の本で、いきなり想起されたようだった。特攻隊の生き残りの人の手記だった。まさかフランスで、そんな日本語書籍に出会うとは。自費出版で、遺族が配っているものらしかったが、普通の本の体裁をしていた。この話は何度か書いたのかもしれないが、美しい異国で、のんびりした夏のバカンスに、突然に切り裂くように、侵入してきた時空の裂け目。


 びいはそのお宅にお邪魔していた数時間に読んでしまい、今の自分を自問自答したのかもしれなかった。何も知らないということについて。


 びいも当事者としての断片的な記憶は1997年頃から、思い出してはいた。それでも、点と点が線で繋がっていく度、自分が今ここにいることと乖離して行ったんじゃないか。知らず知らずに。


 そんなふうに海外に出ないと気づかないようなことを、人々に伝えなければならないのかも、とは日々、何かの折につけ、びいから聞いていた。そのことは、びいの配偶者を居心地悪くさせた。びいがまるで右傾化してるように思えたんだろう。


 配偶者はその考え方は危険なんじゃないのかとびいに助言したが、びいはまるで若すぎるみたいな理想主義で、そんなことはないと跳ね除けていた。


 2016年頃から、俺とびいの繋がりは出来始めた。びいは俺に仕事を振った。仕事と言っても、おまけのような、サービス。


 それが戦記の人からの仕事が来て、時空の裂け目は決定的に広がった。台所の前の大きな窓の前に、南方のジャングル。時空の裂け目というのは所々にあるものだが、それでも、俺もびいも驚きを隠せず、台所で水を飲む度に罪悪感があった。それは、戦記の人も同じようなことをどこかで書いていた。


 南方、パラオのジャングルで、戦争の傷跡を追っていると、どこかから誰かがじっと見ているような気がするというやつ。


 フランスの屋敷の台所で、同じ時空の裂け目を見ていた。その先は南方に繋がっていた。今から思えば、なるべくしてなった。


 びいみたいなタイプだと、配偶者は丸め込むことも、実は可能なんじゃないかという気がしたが、結局そうできず、今のようになったとも言えた。


 隣の爺さんは、昔、アルジェリアで戦争に参加している。俺は今、軽く身震いしたが、その縁で、そばに住むことになったのかもしれなかった。俺たちは二度、同じ人に殺されたのかもな。


 日本に帰ってから、ふと気づいたが、もしかして俺たちは、Jさんに見張られていたのかもしれなかった。そして配偶者の立場は、また全く別の、逆の立場だ。


 もしそうだとしたら……今の状況に合点が行く。


 配偶者が、びいを無理矢理に日本に留まるように仕向けたという……今の状況。


 俺はその考えに至った時、まさかという思いと、本当にわからないという気持ちの狭間で思考停止してしまった。だとしたら、説明が全くないところも、辻褄が合ってしまう。


 びいの配偶者もびいと同じく、かなり調子は悪かったが……。俺のこの予感というか、裏の事情の解釈は、びいと話されることは今後もない気がした。俺の深読みが過ぎるのかもしれないし、びいにとったら、だから何、というようなものだろう。あくまでびいは……ごく普通に単に、結婚して、海外の華やかな自由な生活を謳歌していただけだ。


 電話でびいの旦那は「本当にいろいろあったんだ」とだけ言った。びいが「いろいろって何?話してよ……」と言ったが、顔を突き合わせていてさえ、話すことはあまりないのだから、もちろん、何も答えない。答えを得られないまま。


 びいと、びいの配偶者は、この2年、ほとんどまともな会話をしていなかった。日本とフランスに離れてからの全てのチャットや電話は、思えば上滑りで、そして、回数も少なかった。もはや、何もかもが、偽物の土台の上に立っていた。


 びいは、びいにしては珍しく、本当に配偶者を恨んだようだった……。初めて憎むという感情をリアルに感じた、とびいはその後、何度も繰り返して、折に触れて、俺にそう言った。



 まあ……びいの気持ちもわからないでもない。俺には詳細が書けないが、それは当然の感情で、びいがこれまで、我慢してきたことが、むしろ本当にそこまで我慢しなくてよかったのにと水泡に帰す結果になったことについて、びいはこれまでの長期にわたる我慢や努力が無に帰すくらいなら、と、その間違った方向性のアイデアは思いついただけで、とても物騒だった。


 俺が嘘だろ、と感じるようなキレ具合で、びいの怒りや恨みは驚くほど深く見えた。それは配偶者も同じように感じたんだろう。裸足で逃げ出すに近いような、そんな気がした。

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