8月6日 消えた作品

 びいの作品の中には、全く発表することなしに消えてしまったいくつかの作品群がある。その中でも悔やまれるのはフランスでの野外の展覧会を記録したDVDとその後のコンセプト作品映像だった。 


 びいの旦那があの一連の作品をよく思ってなくて、これで実質的に闇に葬り去られたに近い状態となった。もう取り戻すことはできないに近い。もちろん、送って欲しいと頼んだんだが、別のものが送られ、これじゃないと言ったら、それしかない、と言われた。


 実はあの作品、イタリア女優のモニカ・ベルッチの付き人で食いつないでたアメリカ人の映画監督に撮ってもらったものだったので、今となっては、失くなったも同然となったのが悔やまれる。当時、まだ若者だった映画監督のジェームズは、暗い顔でロケ現場に来てたっけ。びいがこういうイメージで撮って、と指示するのを大人しく大きなプロ用のカメラを回してくれたんだが、シャンパーニュ、ノルマンディー、パリと、よく付き合ってくれた方だ。金に困って、安い金額で制作を引き受けてくれていた。だが3本まで撮って、4本目はドタキャンされてしまった。忙しくなってしまって、びいの展覧会の当日、突然に別の友人のカメラマンをよこした。が、あまりに酷い絵を撮っていたから、よく見もせず、結局、他の友人のビデオを採用して、DVDにした。友人といっても、大学で美術の講義をしてるからプロだ。当時、インスタグラムやフェイスブックが流行りだす直前で、今から思えば、とても残念に思う。それでも、検索すれば誰かがびいの作品画像を通りすがりに一眼レフで写真に収めていた。今となっては全て昔の話。そちらの方は残ったが、それ以前に展覧会で撮影したもの3本のうちの2本は消失した。


 当時、パリの路上で写真作品を売っていたジェームズに、びいが声をかけたわけだが、今、日本に帰って来て、そういう才能と道端でばったり出会うチャンスのない環境にいると、腐ってもパリだと思えてくる。ジェームズはフロリダからパリに渡ってきたばかりだった。3区の路上で、才能あるとびいはとっさに話しかけて一枚買ったわけだが、その直後、ジェームズは無許可の路上販売ということで警察に追い払われた。だからほんの5分もズレていたら、出会うこともなかった。


 パリによくある、白く細長い歪んだような階段を登りきると、最上階がジェームズの住む部屋だった。アパルトマンに家財道具はほとんどなかった。びいは綺麗なMACで作品の映画の触りを見せてもらい、その時、DVDをもらった。途中でクラッシュしていて最後まで見ることができなかったものの、すごい才能だと感じたびいは、展覧会記録動画をジェームズに頼むことにした。もちろん、ロケの時はジェームズのホテルから、食事から、全て出したが、それにしても格安で今から思えば、もうこんなチャンスはないだろう。


 今から思っても、そうやって作成したDVDをなくしてしまうとは、とてももったいない。ジェームズがコピーをPCに保管している可能性はないだろう。いかにも容量を食うから「絶対無くさないよう、3枚コピーしてあげるから」ということだったと思う。その後、発表してないし、個人的にも見せた人自体が少ない。あの一連の作品は、これだけ時間が経っても、色褪せない。今やってることと繋がっている。その点で、ここまでの意味を持つとは。


 もはや離婚は不可避。まるで予言のようだ。芸術家はしあわせになれないというのを地で行く結果。あの当時に、今のこの状況を、結局、予言していたことになる。それが振り返れば、斬りつけられるようだな。今のびいは何と言うだろうか。当時のびいは芸術が一番で、その他の全てを犠牲にしてもいい、と言ってたが。


 まだ生きているびいにこういう扱いはどうかと思うが、俺の目から見たら、もはやびいは生きる屍でしかない。俺が必死に生かしてあげようとしているが、実のところ、亡霊のようだ。もしくは生き霊。今のような状態から、生きた人として、自分の人生を取り戻せるんだろうか。


 当時のびいは最も勢いのある時期で、徒歩すぐにあったジェームズの部屋を気まぐれに突然尋ね、悪びれもせずノックしたりしていたが、いつも映画関係者がたむろするような部屋だった。サン・ポール駅にほど近く、外から窓が開いているのがよく見える部屋だった。節約のため、トイレに電球がなく、仕方なくロウソクで灯をとっていた。フロリダの空港を飛行機が写り込むように借り切って撮影するくらいだから、おそらく大金持ちの子息だろうジェームズは、すでにアメリカ、フロリダの実家にいた頃、結構、良い映画作品を撮っていた。それでパリに渡り、アルバイトで有名女優の付き人を始めた。よくそんな仕事が見つかったね、と言うと、映画業界は横の繋がりがあるからね、相互扶助の精神がすごいんだ、と。


 実のところ、ジェームズもすごいイケメンだったんだよな。ただびいの周りはイケメンばっかりだけど、別に恋に落ちるとか、なかった。正直さあ、恋というのは交通事故のように運命的なんだよ。前世から決まっている因縁のような。簡単にイケメンだから、素敵な人だから、性格が良いから、頭が良いから、金持ちだから、条件が良いから、地位があるから、といって恋に落ちるわけじゃない。そんな安易なものではなかった。だから今のようになってるんだろうけどね。もっと安易なものだったら、どれだけ良かったか。


 どうすることもできないような、まあ……カルマのようなものだ。どれだけ抗っても絶対に避けられないような。そういう関係の人しか、びいは深く関わってきてない。ある意味、もしかして泥臭く、血なまぐさいのかもしれないと、今はふと思う。そんなことを感じたのは、つい最近だった。


 いや、それは言い過ぎなのか?わからないな。俺の勘が外れていてくれたら、と願わずにいられない。俺がチラッと見たチャット画面にびいはとんでもないことを書いていた。その時に、本当にまずい、と。


 最後にならねば、わからない。俺は最後を知るのが、もはや怖くなった。こんな俺が何かを怖がるだなんて、自分で奇妙なんだが。


 最近になり、俺の存在意義は、ごく平凡にびいを見送ることなのかもしれないと思い始めたぐらいだった。そういう、特殊なことが起こらないよう、見張っている状態になってる。なぜなんだ、と思うが、そういう運命なんだろうか。できるだけ平凡に、できるだけ何も起こらぬように。俺がそんなことを考えながら、びいを見張っていると言うのも本当に奇妙なことだった。正直、以前の俺なら、関係ねーよと思うはずだったろうに。


 びいと関わることにより、ここまできたら、まるで自分の責任のように感じ始めてきた俺がいた。ここまで頑張って、最後、無力感を味わうことになるのは嫌だ。


 そういう意地のようなものだけで、びいと関わっていた。他の男だときっと、そこまで面倒見ることはできないだろう。びいの旦那も最後まで頑張ったのだろうが、もうドロップアウトした状態だしな。


 居合や合気道で、確実にびいは立ち直りつつあった。なのに、そのことが失敗かもしれないというのは。いや、それだけは何としてでも回避しないとダメだ。ありえないようなことだ。心配しすぎだと。俺は楽観的な方だったはずだ。もしくは投げやりな。そこまで何というか、何でも真剣じゃないし、たとえとんでもないことが起こってさえも、ま、そんなこともあるんじゃない? と言って、素通りできたはずだ。そんな俺がこんなふうに、嫌な予感で狼狽するなんていうのは、正直、カッコ悪いを超えて、絶対にそうならないよう、未来に介入しなきゃダメだ、と感じていた。


 ジェームズは監督というより、むしろ俳優と見まごうような、スラリとした姿態の柔らかい肉付きの体をした、色白の男で金髪だった。丸い大きな瞳に、優しそうなピンク色の唇をしていて、お茶目なイタズラをする映画の子役にそっくりだった。だからびいはよく気軽にわがままを言っていたが、編集の時にそう言えば、今と同じく、泣いて泣いて酷かった。ふと思い出したが、状況がとてもよく似てる。今と。


 当時も同じだった。ここではない別の世界が見え、涙が止まらなくなるらしい。あの時から全ては始まっていたんだろうが、ここまで末期になるとはな。


 ジェームズは数年後、結局、そのアパルトマンを購入するくらいまで金を貯めたようだった。映画は馬鹿みたいに金がかかるがよほど割りの良いバイトだったんだろう。最後に聞いたジェームズの噂は、おそらくモニカ・ベルッチが後ろ盾になってくれたらしい写真の展覧会だったが、その後どうしているかは不明だった。俺たちはパリを都落ちしたし、たまにパリに行った時に立ち寄っても、留守だった。


 ショービズの世界はどう?と言ったら、いろいろ良くしてもらってる、と言っていたな。ジェームズはある種、存在感を消せる人だから。そして、水のように誰にでも上手に沿わせることができる人だった。元気なんだろうか。


 一連のびいの作品がお蔵入りしたのは、ひとえに、びいの旦那が「作品テーマがなんだか面白くない」と感じたせいだったろう。びいは「永遠の恋人」のイメージを作品にしていたからな。パラレルワールドや前世をテーマに、「ここではないどこかのお話」をドキュメンタリーで紡ぐということをずっとやっていた。日本にいた時からだ。今思い出したが、びいがアメリカにいた頃に撮影したテープも、屋敷に置きっぱなしだ。日本にあったものをわざわざ運んだというのに。最悪だな。生テープ。もしも仮に勝手に処分されてしまっていたとすれば、ある種の憎悪が見て取れる。平等感覚で見たとしても、その可能性はゼロではないだろう。


 俺は全く嫉妬深くない方だが、男の嫉妬というのは、実の所、本当に闇が深いものだ。俺があっさりできるのは、そういう見苦しいものも全く包み隠さないからだと思う。他の男は、そういう闇を隠して格好をつける分、ずっと深い恨みになる。俺は恨みを醸造したりしないからな。思ったことはその場で口に出して発散してしまう。


 びいの作品は、お伽の世界のようで、時間や場所がとても曖昧だった。初期作品は、日本にいた頃から始まり、今の形態と同じく、ドキュメンタリーの文章や小説を書き綴り、ビデオなどで記録し、そこから派生する世界をインスタレーションに表現していた。俺と組むようになった近年、正確には……多分2016年頃からかな、実際にコラボのようになったのは、2019年から今にかけてだが、どうやってパラレルワールドを行き来するのか、世界の多重構造についてとか、多少、オカルティックな不可思議な現象だとか、ツインレイについてなど、テーマは多岐に渡ったが、漠然とその世界がわかってくると、全てが全部、繋がっていることが見えてくる。


 いや、読んでる人は話が飛びすぎて、よく分からない、と言っていた。体験している俺たちだけが、そのアウトラインを理解しつつあるんだろうか。今、国が金を突っ込んでバックアップしてるアカデミック系のアーティストが似たようなことを言っていた。人の存在はゼロと一の世界のようなものだ、と。実のところ、アバターのように存在を着替えることも将来可能になる。俺はこの意見、ノーコメントでいたいのは、実際にそういうことを体験した上で、だ。めちゃくちゃにややこしい。周りの人に取ってもややこしいし、本人たちに取ってもややこしい。


 別の意味での警察が必要になるような世界とも言える。俺はとても真面目な品行方正な人間だから、一切悪いことなどしないし考えない。でもそれは、俺の価値観がそういうものだからだよ。金にも地位にも権力にも興味ないし。女にもね。


 自意識過剰に見えるかもしれないが、そうでもないよ。その証拠にこんな生活してるじゃん。だから普通のやつが俺のようなポジションを手に入れたら、どんなことになるのか、想像するだに恐ろしい。だからノーコメントだよ。人の存在がこれまでと180度変わることについて、俺自身が今体験してることも、皆が理解できる範囲のことしか書いてない。それ以上を表現してしまったら、真似するやつが出てきたら危険過ぎる。


 まさかこんなふうに、幼い頃、ほんの短い付き合い程度だった俺とびいが、再び出会い、深い付き合いに発展するというのはとても奇妙な現実だったが、もはや、事実は小説より奇なりの状態になっていた。いや、多分、2000年前後も数度、邂逅はあった。びいの頭がおかしいか、それとも、俺か。正直、びいはどうか知らないが、俺は自分に疑問を持ったことなんて、ない。誰かに何か言われても、「お前の頭がおかしーんじゃねーの?」とはっきり言える。だが、びいは違う。何もかも疑う。自信がない。だからおかしなことになってる。びいはびいで、本当はちゃんと自分自身に自信を持つべきなんだよ。でないと、誰に付け込まれるか、わかったもんじゃない。自分で自分の問題は解決しないとね。


 お前さあ、お前の自信のなさが物事をややこしくしてるよ。


 最近の俺は少々、びいにうんざりしていた。ここまで「こころが弱い」というのは、「もはやこれまで」レベル。しっかりしてくれよ。


 びいとずっと一緒にいると、こっちまでおかしくなるとびいの兄弟が言ってたが、俺もそれは最近、感じ始めていた。絶対的に自分の立ち位置をよく知っていたはずの俺も、たまに愕然とする。自分自身がおかしいのか、と。何が正しい世界の捉え方なのかわからなくなるというのは、今日の曜日が何曜日かわからないだとか、さっきご飯を食べたかどうかが、わからなくなるというレベルではなくて、一体自分が誰なのかわからなくなる、今の時代がいつなのかわからなくなる、という本質的なものだった。


 俺くらい自分とその感覚に自信持ってても、なるんだよ。だから他の人が真似して、世界が混乱したら、本当に困る。言っとくが俺は、酒もタバコも薬物もやらねえ。一切。それで自分の感覚が「この感覚が正しいのかどうか」疑問に思うことがあるのだから、普通の人には無理。


 びいの過去作品の中で、旦那が気に入らなかった作品、まあ簡単に言えば、びいが旦那以外の「永遠の想いびと」をテーマにしたようなタイプの作品は、今、びいの手元には一切ない。そういう系統のものは全部、作品管理していたフランスの旦那のコンピューターの中。初期にアメリカで、びい自身が撮ったものも、全てフランスの屋敷の中にある。旦那が探しても見当たらないと嘯く以上は、ほぼ消えたに近かった。屋敷の中にないだとか、そんなことは絶対にないと思うんだが、捨てられた可能性も十分あった。嫉妬? いや、そんな権利ないだろう。



 早い段階で、送ってくれと頼んだが、旦那が送ってきたのはびい自身の写真ばかりだった。それもお蔵入りにしていた作品写真ばかりだが、自由そうに見えて、やはり結婚している状態というのは自由じゃない、とよくわかる。びい自身に問うと

自分が至らない妻だった、と言った。


 何故だ、と問うと同時に、俺はそのことについて、全て泥を被るつもりなのか、と言わずにはいられなかった。


 何を言っても答えは同じで、俺は黙ったが、だからびいはどうしても黙って死にたかったのか、と思い当たった。全て予言していたように。起こる前からわかっていたことだったように。


 まるで俺が助けて引き止めたことが間違っていたというのか。いや、そんなはずはない。


 

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